”フォーク音楽の女王”ことジョーン・バエズは永久不滅です!!~1960年代フォーク音楽事情

”フォーク音楽の女王”ことジョーン・バエズは永久不滅です!!~1960年代フォーク音楽事情

読者の方でジョーン・バエズという米国の歌手をご存知な方はどれだけおられるか、ちょっと心配ですが、私たちがちょうど大人の階段を登ろうとしていた時期に深夜ラジオなどで聞いていたんですよ!!


ジョーン・バエズはフォークロックの草創期から、今なお活動

ジョーン・バエズ(英: Joan Chandos Baez、1941年1月9日 - )は、米国出身の女性ミュージシャン、シンガーソングライター。フォークロックの草創期から、今なお第一線で活動し続けている女性音楽アーティストの第一人者。キャリアは60年間にも及び、フォーク界に多くの足跡を残した。

出生名	Joan Chandos Baez
生誕	1941年1月9日(77歳)
出身地	アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州スタテンアイランド
ジャンル	フォーク
フォークロック
職業	ミュージシャン
シンガーソングライター
担当楽器	ボーカル、ギター、ピアノ、ウクレレ、ジャンベ
活動期間	1958年 - 現在

1961年の頃のジョーン・バエズ

1941年1月9日、米国・ニューヨーク州のスタテン島にてメキシコ系の家に三姉妹の次女として生まれた。父アルバート・バエズ(1912-2007)は、後にスタンフォード大学やMIT(マサチューセッツ工科大学)で教鞭を採るメキシコ系の物理学者であり、Joan Seniorまたは "Big Joan"と呼ばれる彼女の母親、ジョーン・バエズ(1913-2013)(néeBridge)は、スコットランド系の血をひいていた。

幼少期のジョーン・バエズ

父親のアルバートは物理学者であるが、当時としては珍しく、軍需産業への協力を拒否し続けていて、こういった父の毅然とした態度は、娘ジョーン・バエズが歌手となっても貫き続けた公民権運動や反戦運動に対する考え方にも相通ずるものがある。

海外生活で培われた正義感!!

ジョーンの父親の仕事の都合で何回か大規模な引越を経験するが、一度は海外の中東イラクのバクダッド大学で教鞭をとり、物理学の研究所を作る仕事に携わることがあり、家族も一緒にその地で暮らすことになった。この頃はジョーンが丁度8~9歳頃であったが、その場所で見たこと、聞いたことがジョーンにとって、”社会の正義”に対する彼女の情熱の基になっていると彼女本人が告白している。

イラクにいた頃のジョーン・バエズ

つまり、米国では絶対見れない光景ー動物を人が見ている前で叩き殺したり、乞食がゴミ箱で食い物をあさったり、足を失った子供たちがダンボールの上に乗ってズルズル引きずり回しながら物乞いをしている姿などなど、-子供心にさえも見るに耐え難いものであったのであろう!!

肌の色による差別を体感!!

1951年、ジョーンが10歳になる頃、父親と一緒に米国に戻り、カリフォルニア州のレッドランズという所で暮らすようになり、2年後には中学校に通うことになったが、この頃に初めて人種の壁を感じる出来事を体験することになる。

14歳の頃のジョーン・バエズ

ジョーンはラテン系と白人系のハーフになるが、見た目は白人というよりはラテン系が強く現れていたため、白人には”有色人種”扱いをされ、また、スペイン語をうまく話せなかったため、ラテン系には”白人”扱いされるようになり、差別を体感するようになった。
そんな折、彼女を癒したのが「音楽」であった。彼女は合唱団に入り、ソプラノ・メゾソプラノ・アルト・テノールの各々パートを必要に応じて、すべて担当していたそうだ。また、ピアノやギター演奏も習得していた。当時の米国で人気の音楽と言えば、カントリー&ウェスタンとリズム&ブルースで、彼女はその音楽で使用されるコードの殆どを中学校の時にマスターしたそうだ。

1958年に、彼女の父親はMITの教職職を受け入れ、家族は父親と一緒にマサチューセッツ州に移った。移り住んだ所は民俗音楽の中心で有名なこともあり、ジョーンはボストン近郊のケンブリッジの近くでライブ活動を始めた。彼女はクラブでも演奏し、ボストン大学でも約6週間出演したそうだ。1958年に、ケンブリッジのクラブ47で、彼女は彼女の最初のコンサートを行ったのだ。彼女の本当のプロのキャリアは1959年のニューポートフォークフェスティバルからで始まった。その後、
1960年には人生初のファースト・アルバム『ジョーン・バエズ』を世に出した。爆発的なヒットではなかったが、そこそこの成績は収めるのであった。

The First Lady of Folk - 1958-1961 ジョーン・バエズ

同アルバムは「ドナドナ」「朝日のあたる家」などトラディショナルのフォーク・バラード、ブルースと哀歌が、彼女自身のギターによって演奏された物であった。

ほどなくして、1961年9月発売の『ジョーン・バエズ Vol.2(Joan Baez, Vol. 2)』はゴールド・アルバムとなり、翌年リリースされた『ジョーン・バエズ・イン・コンサート 』も同じくゴールド・アルバムを獲得した。バエズは、1960年代初頭から中期に掛けて、アメリカにおけるルーツ・リバイバルの先頭に立ち、自らの聴衆に対し、ブレイク前のボブ・ディランを紹介し、また多くのアーティストは彼女を模倣した

公民権運動・反戦運動にのめり込んで行く!!

1960年代中盤にもなると、ベトナム戦争の悲惨さ・深刻さが徐々に米国中に知れ渡って行こうという中、ジョーンの正義感は段々大きくなり、また徴兵拒否で投獄中だった社会活動家のデヴィッド・ハリスと結婚したことにより、ますますその傾向を強くするのだった。彼女は「勝利を我らに(We shall overcome)」などの反戦歌を高らかに歌うようになった。

1966年頃のジョーン・バエズ


1968年12月、ディランの作品のみを歌った2枚組のアルバム『Any Day Now』を発表。シングルカットされた「ラヴ・イズ・ジャスト・ア・フォー・レター・ワード(Love is just a four-word)」はバエズのコンサートの定番曲のひとつとなった。

Any Day Now by Joan Baez

ジョーン独特の歌声と政治的行動は、ポピュラー音楽に大きな影響を与えただけでなく、人権と平和のために社会抗議、歌、行進のための乗り物として彼女の人気を使用する最初のミュージシャンの1人でした。

USA・ニューヨーク公演(2016年3月)

ジョーン・バエズは今年2018年3月に自分の歌手人生で最後のアルバムとなる『Whistle Down The Wind』を発表し、そのアルバムの発売に合わせて、2018年3月のストックホルム公演から2019年2月のフランクフルト公演まで、ヨーロッパや東欧、カナダやアメリカの各地90ヶ所、11ヶ月に及ぶ最後のワールド・ツアーを行い、それをもって歌手活動から引退すると宣言した。
引退の直接の、そしていちばんの理由は、自分の声域が狭まり、高い声が出なくなってしまったということだ。そしてジョーンは過去に自分が発表してきた40枚近くに及ぶアルバムを本に喩え、ラスト・アルバムの『Whistle Down The Wind』はブックエンドになるような作品だと表現している。

Whistle Down the Wind

でも、暫くたってまたやむにやまれず復帰しそうですが・・・(小生の希望も含めて)

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