老けメイクにも挑戦して、大きな転機となった名作『ジャイアンツ Giant』(1956年)
ジャイアンツ(2枚組) [DVD]
60年代中盤にかけてが、エリザベスの映画女優としての絶頂期
上記の作品以降から60年代中盤にかけてが、エリザベスの映画女優としてのキャリアの最大のピークであろう。MGMが『風と共に去りぬ』の二匹目のドジョウを狙う、エドワード・ドミトリク監督の『愛情の花咲く樹』(1957年)では、作品の内容自体は美しき男女の織り成す大仰なメロドラマに没する凡作であるが、狂気に陥り、南北戦争に翻弄される南部の美女を演じたエリザベスにはオスカー・ノミネーションのチャンスが巡ってきた。リチャード・ブルックス監督と再タッグを組んで挑んだテネシー・ウィリアムズの戯曲の映画化『熱いトタン屋根の猫 Cat on a Hot Tin Roof』(1958年)では、南部の名家の酒びたりの次男坊に嫁いだ、欲求不満でいっぱいの若妻マーガレットを怪演。エリザベスは自身のパブリック・イメージをかなぐり捨てる迫真の熱演を見せ、彼女はこの作品でもオスカーの主演女優賞にノミネートされている。以降、モンゴメリー・クリフト、キャサリン・ヘプバーン、マーセデス・マッケンブリッジと共演した『去年の夏 突然に』(1959年)、『バターフィールド8』(1960年)と4年連続でアカデミー主演女優賞にノミネートされ、最後の『バターフィールド8』でアカデミー主演女優賞を獲得した。
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晴れてオスカー女優の称号を得たエリザベスは、長期契約で縛られていたMGMを離れ、自由に作品選びが出来る立場になった。しかし皮肉なことに、ハリウッドにおける女優の賞味期限も容赦なく近づいていて、それは天下の美女リズといえども逃れようのない宿命であった。従って60年代後半は、女優リズにとって、爛熟の時代であったと同時に早くもキャリアの総まとめに取り掛からねばならない、ジレンマの10年間となった。一般的にはおそらく、ハリウッド女優として初めて100万ドルの出演料を得た『クレオパトラ』(業界的には、湯水のごとく予算を浪費したとブーイングの嵐らしい)や、この映画で出会ったリチャード・バートンとの2度にわたる結婚・離婚ドタバタ劇とからめ、バートンとの共演作『予期せぬ出来事』、『いそしぎ』、『バージニア・ウルフなんかこわくない』、『じゃじゃ馬ならし』、『危険な旅路』、『夕なぎ』などが総括されるだろう。
クレオパトラ(3枚組) [DVD]
『バージニア・ウルフなんかこわくない』(1966年)で二度目のオスカー
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最後にエリザベスの私生活!!
マイク・トッド、エリザベス・テイラー夫妻と娘リザ 1957年
1965年の『いそしぎ』で夫婦共演したテイラーとバートン
8回の結婚を経験したエリザベスだが、生涯で1人の養子を含む4人の子供、10人の孫、そして4人のひ孫に恵まれている。
また結婚に至らずも多くの人と浮名を流しており、10代のエリザベスが俳優としても活動していたロナルド・レーガン米元大統領と関係を持ったことや、ジョン・F・ケネディ元大統領と俳優ロバート・スタックと同時に性交渉をしたことが明らかにされている。また、歌手フランク・シナトラや国務長官ヘンリー・キッシンジャー、富豪のマルコム・フォーブスなどもいたようだ。皆さん大物ぞろいですなぁ~!!
慈善活動も精力的に活動!!
生涯を通じてエリザベスは一貫して慈善活動に献身し、豊富な資金援助も行っている。HIVとエイズ関連の基金を創設し、総額2億7千万ドル以上の収益をあげたチャリティを主催している。彼女はエイズに関する見識がほとんどなかった時代から、積極的に支援活動を行った最初期の著名人の一人であり、1984年にエイズ基金を創設してエイズプロジェクト・ロサンゼルス (en:AIDS Project Los Angeles) に貢献した。エリザベスが死去した時に、これらの慈善活動について、前米国大統領ビル・クリントンが「エリザベスの遺志は、いつまでも世界中の人々の心に素晴らしいものとして生き続けるだろう。彼女はそれだけの業績を残し、たゆむことのない努力を続けたのだ」とコメントを寄せている。