坂本龍一
坂本龍一といえば、言わずと知れた世界の音楽家。別名、教授ですね。イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の一員としての活躍や映画音楽を担当し日本人初のアカデミー作曲賞を受賞したことで知られています。
自身多くのオリジナル曲を発表する一方で、、他のアーティストへのプロデュースやアレンジ、楽曲提供もこれまた数多く行っています。坂本龍一が他のアーティストへ提供した代表的なものを取り上げてみました。結構意外ですよ。
めだかの兄妹
当時、坂本龍一といえばテクノの人でした。その彼が1982年12月21日に編曲を手掛けたのが意外や意外「わらべ」の「めだかの兄妹」です。
わらべ といえば高部知子、倉沢淳美、高橋真美の3人からなるアイドルグループというかコーラスグループというか欽ちゃんファミリーというか、そんな人たちですね。
めだかの兄妹
そして「めだかの兄妹」といえば、これはもう童謡ですね。童謡と坂本龍一。結びつかないようにも思えますが、何でも出来る音楽全判に造詣が深い坂本龍一と思えば納得です。教授ですから。
因みにメンバーの高部知子が不祥事を起こしてしまい、3人組の「わらべ」はこの曲だけなんです。大人気だったたけに勿体なかったですね。
アメリカン・フィーリング
坂本龍一がアレンジャーとして最初の大きな成功を収めたのは、1979年12月に発売されたサーカスのシングル「アメリカンフィーリング」でしょう。この曲で日本レコード大賞編曲賞を受賞しています。
アメリカン・フィーリング
当時、この曲の洗練された感じから洋楽のカバーかと思ったほどです。
振子の山羊
「アメリカン・フィーリング」の2年ほど前、大貫妙子 に楽曲提供しています。大貫妙子の通算2枚目のスタジオ・アルバム「SUNSHOWER(サンシャワー)」の中の1曲「振子の山羊」がそうです。
SUNSHOWER
「振子の山羊」は、作詞:大貫妙子 作曲:坂本龍一で、キーボードとして坂本龍一は録音にも参加しています。また、アルバムにはベース:細野晴臣、ギター:渡辺香津美、大村憲司とYMOファミリーも参加しています。
たかをくくろうか
坂本龍一とビートたけし といえば、2人が共演した1983年公開の映画「戦場のメリークリスマス」ですね。その同じ年に楽曲提供したのが「TAKESHIの、たかをくくろうか」です。
TAKESHIの、たかをくくろうか
作詞を日本を代表する詩人のひとりである谷川俊太郎が担当しているところも聴きどころです。アルバム「Singin’Loud II」にも収められています。ビートたけし の代表曲といってもいいでしょうね。
無国籍ロマンス
最近再ブレークを果たした荻野目ちゃんの4枚目のシングルだった「無国籍ロマンス」。1985年2月21日の発売でした。
無国籍ロマンス
これはもう曲がどうのこうのというよりも、荻野目ちゃんがカワイイ!それに尽きます。まぁ、その可愛さに坂本龍一が合わせた。彼の高い音楽性を窺い知ることができます。
くちびるNetwork
カワイイといえば、岡田有希子。それはそれはカワイイです。もしかすると、もしかするとですが坂本龍一が楽曲提供した中で最も良く出来ているのは、岡田有希子の「くちびるNetwork」かもしれません。
くちびるNetwork
松田聖子の詩、坂本龍一の曲、共に素晴らしいですね。特に冒頭から始まるサビですね。かしぶち哲郎のアレンジも言うことなしです。
大ヒットしたことも大いにうなづける大名曲。「くちびるNetwork」は岡田有希子にとって唯一のオリコン1位となった曲です。
もしもタヌキが世界にいたら
ウィキペディアによると、坂本龍一が最初に他のアーティストのプロデュースをしたシングルは1980年、Phew の「終曲(フィナーレ)/うらはら」だそうです。暗い。
アレンジは、1976年の「午后の休息」をはじめとする大貫妙子 のアルバム「Grey Skies」収録曲。オシャレ。
そして、提供曲はといえば1975年の「少年少女合唱団みずうみ 」のアルバム「海や山の神様たち - ここでも今でもない話」に収録されている全ての楽曲ということです。ほのぼの。
少年少女合唱団です。そうですか。その系統でいくと一般的によく知られているのは「もしもタヌキが世界にいたら」でしょう?
こうしたベースがあるから「めだかの兄妹」のアレンジなんてのもスムーズに出来るのでしょうね。幅広いです。童謡から最先端の音楽までですからね。さすが教授という他はありません。しかも、まだバリバリの現役。
これからも当分楽しませてくれそうです。