”永遠の妖精”として今でも話題に上るオードリー・ヘプバーンのよもやま話

”永遠の妖精”として今でも話題に上るオードリー・ヘプバーンのよもやま話

1993年直腸ガンのため、63歳という若さでこの世を去った米国の女優オードリー・ヘップバーン。既に4半世紀が過ぎているのにも拘わらず、今もなおCMなどに彼女の映像が使われている。このように、彼女は“永遠の妖精”と言われ、いつまでもその清純な美しさで我々を魅了し続けている、私の大好きな女優の一人である。


オードリー・ヘップバーンを知らない人のために!!


オードリー・ヘプバーン(英: Audrey Hepburn)は、イギリス国籍を有し、米国で活躍した女優である。ハリウッド黄金時代に活躍した女優で、映画界ならびにファッション界のアイコンとして知られる。

本名   オードリー・キャスリーン・ラストン
    (英: Audrey Kathleen Ruston)
別名義  エッダ・ファン・ヘームストラ
生年月日	1929年5月4日
没年月日	1993年1月20日(63歳没)
出生地  	ベルギー、ブリュッセル・イクセル
死没地  スイス、ヴォー州
国籍	   イギリス
身長	   170cm
ジャンル	映画
活動期間	1948年 - 1989年

『ローマの休日』(1953年)予告編より

オードリーは、オーストリア・ハンガリー帝国ボヘミア出身の父と、オランダ貴族出身の母の間に、1929年5月4日にベルギーの首都ブリュッセルの19の基礎自治体の一つ、イクセルで生まれた。幼かった頃にはベルギーやイングランド、そしてオランダのアーネムに在住していた。

The Audrey Hepburn Treasures (英語)より

オードリーはベルギーで生まれたが、父の関係でイギリス、そして母の実家がオランダだった事から必然的に、ベルギー・イギリス・オランダの3カ国を頻繁に行き来するようになる。そのため、オードリーは英語・オランダ語・フランス語・スペイン語・イタリア語を話すことができたようだ。(語学が堪能で、うらやましい限りだ!!)

5歳の頃よりクラッシック・バレエを習い初め、物心つくころにはバレエに魅了され、バレリーナになることを夢見て、懸命にレッスンを受ける日々だったという。
1948年にはイギリスバレエの基礎をつけたといわれているロシア出身のマリー・ランバートという女性にバレエを習うため、単身ロンドンに渡りマリー・ランバート・バレエ学校に入学。プロとして舞台デビューを果たす実力を身に付けるようになった。

そしてイギリスのウエスト・エンドの舞台に立つようになった。

オードリー・ヘップバーンのレッスン中の写真

プリマドンナの夢よりも、食べるために舞台・映画の道へ!!

オードリーはイギリスで舞台に立っていた頃、数本の映画にも出演している。理由の一つに成長期に患った呼吸器疾患が原因なのだろうか、舞台上では通りにくい声だと自覚をしていたオードリーは、映画の脇役の仕事も増やしていきました。
それからもう一つの理由として、大好きなバレエのプリマドンナとして家計を支えるには、ほんの少し背が高かったのだ。戦争が終わりはしたが、景気はどん底状態で女が一人で生きて行くためには”手段”を選ぶことはできなかったのだ。要は”食べるためには手段を選ばず”だったに違いない。

1951年にはオードリーが映画の撮影中、たまたまコレット女史(フランスの女性作家、コレット (Colette) というペンネームで活動し、代表作のひとつに『ジジ』 (1944年)がある)と出会い、米国のブロードウェイで舞台化される予定だった戯曲『ジジ』の主役に抜擢されたのだった。

その『ジジ』 の舞台を見た米国映画監督であるウィリアム・ワイラーにより1953年の「ローマの休日」にて主役の座を獲得した。

監督	ウィリアム・ワイラー
脚本	ダルトン・トランボ
     ジョン・ダイトン
原案	ダルトン・トランボ
製作	ウィリアム・ワイラー
出演者	グレゴリー・ペック
    オードリー・ヘプバーン

ローマを舞台に某小国の王女と新聞記者とのロマンチックで切ない恋の夢物語・・・と書くのもおこがましいほど、あまりにも有名な“世紀の妖精”オードリーのアメリカ映画デビュー作。ローマの観光地巡り的な平凡な作品に成りかねない内容をここまで素晴らしい作品に仕上げたワイラー監督の演出力には文句のつけようもない。

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ヘプバーンの可愛さだけが印象に残る作品と記憶していたが、清楚な可愛さ(幅の広めのウエストベルトのフレアースカート姿がとてもチャーミングなのだが、いったいこの時のウエストサイズはどのくらいだったのか?? 笑) だけではなく、彼女の演技力もなかなかなものと再認識した。それに脚本も細かいところまで神経が行き届いているし、やはり名作といわれる所以だろう。

ローマ市内をベスパで走るシーン

オードリー人気は”うなぎ”登り!!

『麗しのサブリナ』(うるわしのサブリナ、原題: Sabrina)は、1954年に公開された米国のロマンティック・コメディ。サミュエル・テイラーの戯曲『サブリナ・フェア』をビリー・ワイルダー監督が映画化した。『ローマの休日』に続くオードリー・ヘプバーンのヒット作。

監督	ビリー・ワイルダー
脚本	ビリー・ワイルダー
   サミュエル・テイラー
   アーネスト・レーマン
原作	サミュエル・テイラー
製作	ビリー・ワイルダー
出演者	ハンフリー・ボガート
    ウィリアム・ホールデン
    オードリー・ヘプバーン

サブリナ・パンツという言葉を生んだスポーティなオードリーのスタイルが、前作「ローマの休日」とはまた違って魅力的な作品だ。

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この映画は女性が永遠の理想とする”玉の輿”のストーリーであり、それは少女マンガにも相通じるというもの。大富豪ララビー家のお抱え運転手の娘サブリナは、一家の次男デヴィッド(W・ホールデン)に失恋し、二年をパリの花嫁学校で送る。しかし、帰ってきた時には見違えるようなシックな令嬢となっており、デヴィッドをドギマギさせる。彼女に夢中な弟を心配した長男のライナス(H・ボガート)は仕事一筋のマジメ男だが、彼までサブリナの虜となっていく・・・というお話である。

ウィリアム・ホールデンとオードリー・ヘプバーン

オードリー人気は揺るぎないものに!!

『戦争と平和』(せんそうとへいわ、原題:War and Peace)は、レフ・トルストイの小説「戦争と平和」の映画化で1956年に製作・公開されたイタリアと米国の合作映画。

監督	キング・ヴィダー
脚本	ブリジェット・ボーランド
   ロバート・ウェスタビーなど
原作	レフ・トルストイ
製作	ディノ・デ・ラウレンティス
製作総指揮	カルロ・ポンティ
主な出演者	オードリー・ヘプバーン
      ヘンリー・フォンダ
      メル・ファーラー

19世紀の帝政ロシアの末期、ロシアを巻き込んだ戦争を背景に、貴族の私生児ピエール(H・フォンダ)と伯爵令嬢ナターシャ(A・ヘプバーン)の恋愛劇を描く。

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19世紀、帝政ロシア末期のモスクワ。フランス軍の侵攻がささやかれる中、貴族の私生児ピエールはロストフ伯爵の令嬢ナターシャに想いを寄せていた。そんなある日、親友アンドレイ公爵から知らせを受け、危篤の父を看取るピエール。やがて彼は、亡くなった父の莫大な財産を相続し、それを目当てに接近してきた貴族令嬢ヘレーネと結婚することに。一方、アンドレイは妊娠した妻を残して戦地へ赴くも敗戦の憂き目に遭い、負傷帰還兵となってしまう。そんな彼は、いつしかナターシャと愛し合うようになるのだが・・・。

『戦争と平和』の一場面。1956年。

10年以上もハリウッド・トップ女優として君臨し続けたオードリー!!

オードリーが出演した映画は、コメディー、サスペンス、ミュージカル、文学作品、等等、ジャンルを問わず殆どの娯楽作品に出演していて、彼女はまさに”オールラウンド・プレーヤー”だろう。(SFには出ていないような・・・??)このような女優の作品をいちいち説明してたら、らちが空かないので、少々割愛することにするが、最後に私が愛して止まない映画『マイ・フェア・レディ』を皆さんに紹介しよう。

『マイ・フェア・レディ』(My Fair Lady)は、1964年制作の米国のミュージカル映画。同名ミュージカルの映画化。同年のアカデミー作品賞を受賞した。

監督	ジョージ・キューカー
脚本	アラン・ジェイ・ラーナー
原作	ジョージ・バーナード・ショー
製作	ジャック・L・ワーナー
出演者	オードリー・ヘプバーン

ロンドンの下町。花を売り歩いていた女性イライザは、通りすがりの言語学教授ヒギンズに言葉の訛りを指摘され、彼の提案で訛りの矯正と淑女になるための礼儀作法を教わることに。そして、ヒギンズの家に住み込みながら厳しい指導を受けるイライザ。

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彼女はやがて、上流階級の貴婦人として競馬場へ赴き、社交界に華々しくデビューする。ところが、淑女らしさにますます磨きをかけていたある日、ヒギンズの研究対象にされていたことを知り、ショックを受けたイライザは彼のもとを去ってしまうのだが・・・

ミュージカル舞台『マイ・フェア・レディ』が1956年にブロードウェイで公開されてロングランヒットとなっていたが、その映画化権を550万ドルで買い取り制作されたものである。投資した額を回収するため必ず当たる主役をということで舞台版のイライザ役であるジュリー・アンドリュースではなくオードリー・ヘプバーンを抜擢。実に興味深いこととして、映画ではオードリー・ヘプバーンの歌は、一部の歌い出し部分を除いて マーニ・ニクソンによる吹き替えで、オードリー本人は口パクをして演技をしていた。しかし、吹きかえられたため、完全にはリップシンクしていない。ただ、1994年にLDのスペシャルコレクション(日本では1996年3月)が発売された時に、本人によってレコーディングされた音源も収録され話題となった。

『マイ・フェア・レディ』(1964年)の撮影現場。

ジュリー・アンドリュース主演のブロードウェイの映画化だが、映画ではオードリーだった。ジュリーなら当然自分で歌っていただろうが、オードリーはマーニ・ニクソン(「王様と私」のデボラカー、「ウェストサイド物語」のナタリーウッド等の吹き替えも行った)により吹き替えられた。しかし、本人がテストで歌った貴重な映像が残っている。この年のアカデミー主演女優賞は"メリー・ポピンズ"のジュリー・アンドリュースが取り、本作で役を取り上げられた同情票も影響しているのと、吹き替えではなく本人が歌っていたことが大きく作用したと言われている。
映画『マイ・フェア・レディー』がアカデミー賞の主要部門を総なめする中、ライバル候補のジュリー・アンドリュースに主演女優賞を奪われる形でオスカーを逃してしまったオードリーの悔しさは相当なものであったらしく、授賞式後に周囲に激しく八つ当たりする映像が残っているという。

「女優は主演男優に好意を抱くもの!!」なのか??

この記事の冒頭部分でちょっとオードリーの幼少期については話したが、要するに金銭的には不自由はなかったようだが、家庭的には父親の失踪や厳格な母親の下での束縛教育、また戦争による疲弊で、内心ではかなり暖かい家庭のある生活を望んでいたに違いない。求めても得られなかったおだやかで安定した愛情と家庭。結婚願望も強かったオードリーは年上で頼れる相手と何度も恋に落ちている。オードリーは1952年に舞台で知り合ったジェイムズ・ハンソン (en:James Hanson, Baron Hanson) に一目惚れし、婚約までいった。しかし2人の仕事があまりにもすれ違ってしまうため、オードリーの判断で破局に至った。他にもミュージカルのプロデューサーのマイケルや、ローマの休日で共演したグレゴリー・ペック、既婚者だったハンフリー・ボガートなどと噂になったが、いずれも結婚に至ってはいない。オードリーの女優業は年齢と共に減っていき、後半生のほとんどを国際連合児童基金(ユニセフ)での仕事に捧げた。

その後グレゴリーのパーティで知り合ったアメリカの俳優メル・ファーラーと後に『戦争と平和』で共演し、1945年に2人は結婚するが、1968年に離婚している。

『戦争と平和』撮影中のヘプバーンとメル・ファーラー。1955年

その後オードリーは船旅で知り合ったイタリアの精神科医アンドレア・マリオ・ドッティと1969年に結婚したが、この時オードリーは40歳、アンドレアは30歳だった。

ヘプバーンとアンドレア・ドッティ

「多かれ少なかれ女優は主演男優に好意を抱くものですし、その逆の場合もあるでしょう。演じられているキャラクターを好きになった経験がある人には理解できると思います。珍しいことではありません。ただ、撮影が終わるとそのような感情はなくなってしまうものです」とはオードリーが1954年の雑誌インタビューで語ったとされる。この言葉が女優という職業の特性を最も端的に表していると思う。日本場合も然りで、共演した男優・女優がそのままゴールインしているケースが実に多いことが分かる。

少女時代に体験した家庭崩壊と戦争が、後年のユニセフ活動の原点

第二次世界大戦での悲惨な戦争体験をしていたこともあり、オードリー・ヘプバーンは積極的にチャリティ活動を行う意志が固い人物だった。オードリー自身も第二次世界大戦後、ユニセフの支援を受けたことが親善大使になったきっかけの1つだとも言われている。子供たちのためのユニセフの支援を1954年に開始したオードリーは自らの目で発展途上国の現状を知るために様々な国へ足を運ぶようになる。そこで目の当たりにした劣悪な環境や悲惨な状況に大変ショックを受けたそうだ。
晩年様々な健康問題を抱え、段々と表舞台に出る機会が少なくなっていったオードリーだが、1988年には、オードリーはユニセフの親善大使に任命されることになり、亡くなる1993年までその任が解かれることはなかった。

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オードリー・ヘプバーン

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