女優、イングリッド・バーグマンの墓碑銘には、「この女性は人生の最後の日まで演技しつづけた。素晴らしい女優ここに眠る」と刻まれているそうな!!
イングリッド・バーグマンのポスター
孤独な環境の下で幼少期を過ごす!!
イングリッド・バーグマンは1915年8月29日に父親のユタス・ベリマン(「バーグマン」は「ベリマン」の英語読み)と母親のドイツ人、フリーデル・アドラー・ベリマンの長女として、スウェーデンのストックホルムでこの世に生を受け、当時のスウェーデン王女イングリッド・アヴ・スヴェーリエにちなんでイングリッドと名付けられた。
幼少期のイングリッド(父親と母の遺影)
14歳の頃
まずは自国で名を馳せる!!
イングリッドが初めて出演した映画『ムンクブローの伯爵』の一場面
ついにハリウッドデビュー!!
『別離』は大きな興行的成功を収め、バーグマンは一躍人気女優となった。成功した原因のひとつとして、まずはイングリッドのその清楚かつ侵すべからざる美貌。それも極めて自然体かつ健康な女の美しさ。当時のハリウッドでは、女優は美しくあるために、過度のメイクアップ・整形・矯正は当たり前。しかし、バーグマンは、いっさい受け付けず、眉毛の一本も抜かず映画の大画面に登場した・登場できた女優なのだった。まさしく正統派の美人女優であり、理知的であり、柔和であり情感豊かであり、恋に燃え上がりながらもその美は押しつけがましくなく、女らしさ満載ながらセックスアピールを売りとしていない。巷では「聖女」とも称された。
イングリッドはこの時、既に既婚者だった!!
別離 日本語吹替版
『ジキル博士とハイド氏』の予告編より。1941年。
『カサブランカ」の超有名セリフ!!
ハンフリー・ボガートと共演した『カサブランカ。1942年。
『誰が為に鐘は鳴る』は、アメリカの文豪アーネスト・ヘミングウェイの同名小説『誰がために鐘は鳴る』を原作とした映画であるが、パラマウントで映画化される時、原作者たるヘミングウェイが「この役を演じるのはバーグマン以外にありえない」と言い切ったそうだ。ヘミングウェイはイングリッドと面識はなかったが、アメリカでの初主演作『別離』で彼女のことを知っていたのである。数週間後この二人は顔を合わせ、イングリッドのことを理解したヘミングウェイは「貴女はマリアだ!」と叫んだという。