女優、イングリッド・バーグマンの墓碑銘には、「この女性は人生の最後の日まで演技しつづけた。素晴らしい女優ここに眠る」と刻まれているそうな!!
![イングリッド・バーグマン(典: Ingrid Bergman, 1915年8月29日 - 1982年8月29日)は、ヨーロッパとアメリカで活躍したスウェーデン出身の女優。なお、Ingrid Bergman はスウェーデン語ではインリド・ベリマン [ˈɪŋːrɪd ˈbærjman] と発音される。
本名 Ingrid Bergman
生年月日 1915年8月29日
没年月日 1982年8月29日(67歳没)
出生地 スウェーデン、ストックホルム
死没地 英国、ロンドン
国籍 スウェーデン
職業 女優
活動期間 1932年 - 1982年
アカデミー賞を3回、エミー賞を2回、トニー賞の演劇主演女優賞の受賞経験があり、AFI(アメリカ映画協会)選定の「映画スターベスト100」の女優部門では第4位となっている。エンターテインメント界の歴史に燦然と名を残す、レジェンドであり、大女優中の大女優である。](/assets/loading-white-036a89e74d12e2370818d8c3c529c859a6fee8fc9cdb71ed2771bae412866e0b.png)
イングリッド・バーグマンのポスター
孤独な環境の下で幼少期を過ごす!!
イングリッド・バーグマンは1915年8月29日に父親のユタス・ベリマン(「バーグマン」は「ベリマン」の英語読み)と母親のドイツ人、フリーデル・アドラー・ベリマンの長女として、スウェーデンのストックホルムでこの世に生を受け、当時のスウェーデン王女イングリッド・アヴ・スヴェーリエにちなんでイングリッドと名付けられた。

幼少期のイングリッド(父親と母の遺影)

14歳の頃
まずは自国で名を馳せる!!

イングリッドが初めて出演した映画『ムンクブローの伯爵』の一場面
ついにハリウッドデビュー!!
『別離』は大きな興行的成功を収め、バーグマンは一躍人気女優となった。成功した原因のひとつとして、まずはイングリッドのその清楚かつ侵すべからざる美貌。それも極めて自然体かつ健康な女の美しさ。当時のハリウッドでは、女優は美しくあるために、過度のメイクアップ・整形・矯正は当たり前。しかし、バーグマンは、いっさい受け付けず、眉毛の一本も抜かず映画の大画面に登場した・登場できた女優なのだった。まさしく正統派の美人女優であり、理知的であり、柔和であり情感豊かであり、恋に燃え上がりながらもその美は押しつけがましくなく、女らしさ満載ながらセックスアピールを売りとしていない。巷では「聖女」とも称された。
イングリッドはこの時、既に既婚者だった!!

別離 日本語吹替版

『ジキル博士とハイド氏』の予告編より。1941年。
『カサブランカ」の超有名セリフ!!

ハンフリー・ボガートと共演した『カサブランカ。1942年。
『誰が為に鐘は鳴る』は、アメリカの文豪アーネスト・ヘミングウェイの同名小説『誰がために鐘は鳴る』を原作とした映画であるが、パラマウントで映画化される時、原作者たるヘミングウェイが「この役を演じるのはバーグマン以外にありえない」と言い切ったそうだ。ヘミングウェイはイングリッドと面識はなかったが、アメリカでの初主演作『別離』で彼女のことを知っていたのである。数週間後この二人は顔を合わせ、イングリッドのことを理解したヘミングウェイは「貴女はマリアだ!」と叫んだという。
『ガス燈』の後、イングリッドは『白い恐怖』(1945年)、『汚名』(1946年)、『山羊座のもとに』(1949年)と、3本のアルフレッド・ヒッチコックの監督映画作品に出演している。これらの映画のうち史劇の『山羊座のもとに』だけがカラー作品だが、『白い恐怖』や『汚名』ほどには評価の高い作品とはいえない。
ヒッチコック監督も”美人”がお好きなようだ!!。
『ジャンヌ・ダーク』公開中に大事件が勃発!!
『ジャンヌ・ダーク』は興行的成功を収めることができなかった理由に、この作品の公開中に、イングリッドとイタリア人映画監督ロベルト・ロッセリーニとの不倫スキャンダルが明るみになってしまったことにもその一因があった。さらに映画関係者からの評価もよくなく、複数のアカデミー賞にノミネートされ、撮影賞と衣装デザイン賞を受賞したが、最優秀作品賞を受賞することはできなかった。
ちなみに、この大スキャンダルの顛末については【後編】にたっぷり書きますが、ちょっとだけネタばらしすると、ハリウッドから完全に追放される形になってしまうのでした!!。さてどうなるイングリッド!!。