
ブロマイド写真★イングリッド・バーグマン/白黒/美しく見つめ
”聖女”が不倫かよ!!-今も昔も不倫はご法度だった!!

ロベルト・ロッセリーニ
米上院議会でも槍玉に上がる!!

バーグマンとロッセリーニ。1951年。
ちなみに、イングリッドの初めての夫との間にいた娘のピア・リンドストロームをイングリッドは、イタリアに渡ってからもただただ心配していて、手紙交換をしていたそうだ(やはり母としての性なのか?)。ピアはイングリッドの元夫、ペッテルに引き取られたので、夏休みの間だけでもイタリアに来させようと裁判をしたが14歳だったピアが発した言葉は「ママは好きだけど愛していません。心から愛せるほど顔を合わせる機会がなかったのです。愛しているのはパパです。」と言い、イングリッドは絶望したという。
しかし大人になってから和解し、よき理解者となった。後年はイングリッドとロッセリーニとの間に産まれた3人の子供たちとも一緒にスウェーデンの避暑地の島で休暇を楽しんでいる。イングリッドの病床にも、長女の彼女の姿があったという。「血は水よりも濃し」ですな!!
日本の不倫騒動なんぞ、ほんの口汚しだ!!
この記事を書いていると、ふとちょっと前に、不倫騒動からの休業問題がまだまだ尾を引いている某ハーフタレントが頭を過ぎったが、彼女なんか霞んで飛んで行ってしまいそうな感じの一大スキャンダルではないか!?。情熱と欲望の間の行動力と言ったら、海を越え、家族を捨てるほど猪突猛進フルパワーだったなんて!!
そういや、この頃またそのハーフタレントが野球選手と話題になっているぞ!!。

イタリアより失意の中、米国に戻った頃のイングリッド・バーグマン
1956年の映画『追想』で、やっとハリウッド映画に復帰!!
それに追い討ちをかけるように、『ストロンボリ/神の土地』をはじめとするロッセリーニとの作品が興行的に大失敗したこともあって、ロッセリーニとの生活も破綻を迎えた。1957年にロッセリーニとついに離婚した(金の切れ目が縁の切れ目?!)。しかしそんななか、イングリッドの復帰を願う声がアメリカ国内でも徐々に強まりはじめ、ついに『追想』で久々にハリウッド映画に出演。アカデミー賞主演女優賞を受賞し、その"罪"がようやく許されることになった。

1956年公開の『追想』でのイングリッド
歴史的うんちくをお話すると、ロシアのロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世と一家の悲劇的な最期をめぐって、末娘アナスタシアの生存説が流布したのはあまりにも有名だが、実際には1918年7月に一家全員が殺害されていたことが明らかになっている。DNA鑑定などがなかった時代は、ニセモノも数多く現れたのだ。

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1958年度アカデミー賞授賞式で”みそぎ”を切った!!
ロッセリーニとの不倫スキャンダルが発覚して以降、イングリッドがハリウッドで大衆の前に初めて姿を見せたのは、1958年度のアカデミー賞授賞式であった。旧友ケーリー・グラントからの紹介を受けて作品賞のプレゼンターとしてステージにあがったバーグマンは、観客からのスタンディング・オヴェーションで迎えられた。
その後のイングリッドはアメリカ映画とヨーロッパ映画の両方に出演し、ときにはテレビドラマにも出演している。1959年に出演したテレビドラマ『ねじの回転』ではエミー賞を受賞した。また、この時期のイングリッドはいくつかの舞台作品にも出演している。
世界一有名なミステリーの映画版にも出演!!
イングリッドは世界一有名なミステリーと言っても過言ではない『オリエント急行殺人事件』(オリエントきゅうこうさつじんじけん、原題:Murder on the Orient Express)の映画版に出演した。これは、アガサ・クリスティによって1934年に発表された長編推理小説であり、著者の長編としては14作目、エルキュール・ポアロシリーズとしては8作目にあたる。
本作は映画化(#映画)、テレビドラマ化(#テレビドラマ)が数回行われている。
この頃からイングリッドにも病魔が襲い始める!!
1974年、イングリッドは乳がんを患い片方の乳房を切除し、これ以降、長きにわたる乳がんとの闘病生活を強いられるようになった。しかし、闘病中にも拘わらず、
『ザ・スター (時間の問題) 』 (1976年)、
『秋のソナタ』 (1978年)などに出演、
1979年、乳がんが再発し、もう片方の乳房も切除した。実は『秋のソナタ』 の撮影中にがんの再発を知らされていたという。
TVドラマ 「ゴルダと呼ばれた女」 (1982年)に出演し 、自身2度目のエミー賞、ゴールデン・グローブ賞(ミニシリーズ・テレ ビ部門) の主演女優賞を受賞。銀幕の名花バーグマン、その散り際も見事であった。

ストックホルム北霊園のバーグマンの墓