人生最後の瞬間まで演技し続けた女優、イングリッド・バーグマンのよもやま話【後編】

人生最後の瞬間まで演技し続けた女優、イングリッド・バーグマンのよもやま話【後編】

「人生最後の瞬間まで演技し続けた女優、イングリッド・バーグマンのよもやま話【前編】」の続編だ。前編ではイングリッド・バーグマンが誕生してからハリウッドで活躍して、アカデミー主演女優賞などを受賞した頃までの紆余曲折をお話したが、この後がまた前半以上の波乱万丈の人生を送るとは、誰が予想できたであろうか!?


こんな女性が言い寄ってきたら、99%の男は行ってしまうだろう!!、結婚してようが、なかろうが・・・。男って”バカ”だから・・・

ブロマイド写真★イングリッド・バーグマン/白黒/美しく見つめ

”聖女”が不倫かよ!!-今も昔も不倫はご法度だった!!

1940年代より、イングリッドのその役柄のイメージから観衆はイングリッドのことを「聖女」と讃え、彼女のイメージが定着しつつあった。そんな矢先に、イングリッドは米国でたまたま見た、イタリア人映画監督ロベルト・ロッセリーニの2本の映画に深い感銘を受けて、1949年にロッセリーニ監督に直接手紙を送った。内容は、『自分があなたの映画に感銘を受け、あなたの監督作品へ出演を望んでいる』ということだった。この縁でイングリッドが主演したロッセリーニ監督作品が、1950年の『ストロンボリ/神の土地』であった。この映画の撮影中にイングリッドはロッセリーニ監督に好意を抱くようになり(現代用語で言えば「意気投合」とでも言うのかな?)、やがて二人はW不倫関係になってしまうのであった。ついにはイングリッドはロッセリーニの子供、レナート・ロベルト・ラナルド・ジュスト・ジュゼッペ・ロッセリーニを身篭ってしまう。

ロベルト・ロッセリーニ

米上院議会でも槍玉に上がる!!

イングリッドがロッセリーニ監督作品に初めて出演した『ストロンボリ/神の土地』が公開されたのと同じ月の1950年2月2日に、イングリッドとロッセリーニの間に息子ロベルティーノが生まれた。ロベルティーノが生まれてから一週間後にイングリッドは夫であったリンドストロームと離婚し、メキシコでロッセリーニと再婚した。1952年6月18日には双子の娘イゾッタとイザベラが生まれた。

イングリッドとロッセリーニの不倫は米国のみならず世界中で大きなスキャンダルとなり、 米国上院議会でも二人の関係が非難されるほどだった。それだけ、受けた衝撃が大きかったに違いない。

当然、イングリッドは米国に留まることなどできず、逃げるが如く、イタリアに住居を移した。

バーグマンとロッセリーニ。1951年。

ちなみに、イングリッドの初めての夫との間にいた娘のピア・リンドストロームをイングリッドは、イタリアに渡ってからもただただ心配していて、手紙交換をしていたそうだ(やはり母としての性なのか?)。ピアはイングリッドの元夫、ペッテルに引き取られたので、夏休みの間だけでもイタリアに来させようと裁判をしたが14歳だったピアが発した言葉は「ママは好きだけど愛していません。心から愛せるほど顔を合わせる機会がなかったのです。愛しているのはパパです。」と言い、イングリッドは絶望したという。

しかし大人になってから和解し、よき理解者となった。後年はイングリッドとロッセリーニとの間に産まれた3人の子供たちとも一緒にスウェーデンの避暑地の島で休暇を楽しんでいる。イングリッドの病床にも、長女の彼女の姿があったという。「血は水よりも濃し」ですな!!

日本の不倫騒動なんぞ、ほんの口汚しだ!!

この記事を書いていると、ふとちょっと前に、不倫騒動からの休業問題がまだまだ尾を引いている某ハーフタレントが頭を過ぎったが、彼女なんか霞んで飛んで行ってしまいそうな感じの一大スキャンダルではないか!?。情熱と欲望の間の行動力と言ったら、海を越え、家族を捨てるほど猪突猛進フルパワーだったなんて!!
そういや、この頃またそのハーフタレントが野球選手と話題になっているぞ!!。

1949年から1955年にかけて、ロッセリーニは『ストロンボリ/神の土地』、『ヨーロッパ一九五一年』、『イタリア旅行』、『火刑台上のジャンヌ・ダルク』、『不安』の5作品をイングリッド主演で撮影している。しかし、ハリウッドからは完全に追放される形になり、一本もオファーはなかった。

イタリアより失意の中、米国に戻った頃のイングリッド・バーグマン

1956年の映画『追想』で、やっとハリウッド映画に復帰!!

それに追い討ちをかけるように、『ストロンボリ/神の土地』をはじめとするロッセリーニとの作品が興行的に大失敗したこともあって、ロッセリーニとの生活も破綻を迎えた。1957年にロッセリーニとついに離婚した(金の切れ目が縁の切れ目?!)。しかしそんななか、イングリッドの復帰を願う声がアメリカ国内でも徐々に強まりはじめ、ついに『追想』で久々にハリウッド映画に出演。アカデミー賞主演女優賞を受賞し、その"罪"がようやく許されることになった。

バーグマンは1956年の映画『追想』でハリウッド映画に復帰し、この作品で2度目のアカデミー主演女優賞を受賞したが、この授賞式にイングリッド自身はまだ世間の目をはばかって出席できず、イングリッドの代理としてオスカーを受け取ったのは昔からの友人であるケーリー・グラントであった。

映画は、パリに住むボーニン(ユル・ブリンナー)という山師が、英国に預けられたロマノフ王朝の財産の詐取を図ろうとする。彼は自殺未遂したアンナ・コレフ(イングリッド・バーグマン)をロシア革命で殺された筈の皇女アナスタシアに仕立て上げる。真偽を確かめる質問にも、彼女の記憶喪失を利用して巧みにかわしていくが……。アナスタシア生存説をもとに、ミステリー・タッチで展開する歴史ロマン。

1956年公開の『追想』でのイングリッド

歴史的うんちくをお話すると、ロシアのロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世と一家の悲劇的な最期をめぐって、末娘アナスタシアの生存説が流布したのはあまりにも有名だが、実際には1918年7月に一家全員が殺害されていたことが明らかになっている。DNA鑑定などがなかった時代は、ニセモノも数多く現れたのだ。

私個人としては、この映画は『カサブランカ』に次いで、好きなバーグマン主演の映画だ。しかし『カサブランカ』は何度も見る機会があるのでそろそろ飽きが来ているかな?!。あと音楽も心に残っている。

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1958年度アカデミー賞授賞式で”みそぎ”を切った!!

ロッセリーニとの不倫スキャンダルが発覚して以降、イングリッドがハリウッドで大衆の前に初めて姿を見せたのは、1958年度のアカデミー賞授賞式であった。旧友ケーリー・グラントからの紹介を受けて作品賞のプレゼンターとしてステージにあがったバーグマンは、観客からのスタンディング・オヴェーションで迎えられた。
その後のイングリッドはアメリカ映画とヨーロッパ映画の両方に出演し、ときにはテレビドラマにも出演している。1959年に出演したテレビドラマ『ねじの回転』ではエミー賞を受賞した。また、この時期のイングリッドはいくつかの舞台作品にも出演している。

世界一有名なミステリーの映画版にも出演!!

イングリッドは世界一有名なミステリーと言っても過言ではない『オリエント急行殺人事件』(オリエントきゅうこうさつじんじけん、原題:Murder on the Orient Express)の映画版に出演した。これは、アガサ・クリスティによって1934年に発表された長編推理小説であり、著者の長編としては14作目、エルキュール・ポアロシリーズとしては8作目にあたる。

本作は映画化(#映画)、テレビドラマ化(#テレビドラマ)が数回行われている。

この頃からイングリッドにも病魔が襲い始める!!

1974年、イングリッドは乳がんを患い片方の乳房を切除し、これ以降、長きにわたる乳がんとの闘病生活を強いられるようになった。しかし、闘病中にも拘わらず、
『ザ・スター (時間の問題) 』 (1976年)、
『秋のソナタ』 (1978年)などに出演、
1979年、乳がんが再発し、もう片方の乳房も切除した。実は『秋のソナタ』 の撮影中にがんの再発を知らされていたという。
TVドラマ 「ゴルダと呼ばれた女」 (1982年)に出演し 、自身2度目のエミー賞、ゴールデン・グローブ賞(ミニシリーズ・テレ ビ部門) の主演女優賞を受賞。銀幕の名花バーグマン、その散り際も見事であった。

イングリッドは67歳の誕生日に当たる1982年8月29日に、8年もの長きに渉る乳がんとの闘病生活の末にロンドンで死去した。遺体はロンドンのケンサル・グリーン霊園で火葬に付され、遺灰がスウェーデンへと送られた。遺灰のほとんどはスウェーデン西海岸のブーヒュースレーン地方の小島にある漁村フヤルバッカ周辺の海に散骨された。この小島は、バーグマンが1958年から死去する1982年まで夏季の多くを過ごした場所だった。海に散骨されなかった遺灰は、ストックホルムの北霊園 (en:Norra begravningsplatsen) の、バーグマンの両親が眠る墓の隣に埋葬された。

墓碑には「人生の最後の日まで演技し続けた」と刻まれているそうな!!

ストックホルム北霊園のバーグマンの墓

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イングリッド・バーグマン

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