元大関・貴ノ浪が急死…。現役時代のエピソードと名勝負の動画を紹介。

元大関・貴ノ浪が急死…。現役時代のエピソードと名勝負の動画を紹介。

大相撲の元大関貴ノ浪で幕内優勝2回を記録した音羽山親方が43歳で急死した。 日本人離れした体格と懐の深さをいかした現役時代の名勝負を動画で振り返る。


貴ノ浪が43歳で急死。原因は急性心不全

大相撲の元大関貴ノ浪で幕内優勝2回を記録した音羽山親方(本名・浪岡貞博)が急死した。2015年6月20日の午前、急性心不全のために大阪市内のホテルで倒れ、搬送中に亡くなった。43歳の若さだった。

音羽山親方(元大関・貴ノ浪)

影の広報部長と呼ばれた明るい人柄

マスコミの前では寡黙な力士の多かった二子山部屋勢の中では明るく物怖じしない性格であった。付き人を務めた際には「俺とお前は友達じゃないんだぞ」と安芸ノ島が呆れ、また痔の薬をおかみさんの面前で挿入しようとして叱られるなどしたエピソードが伝わる。現役時もバラエティ番組に出演して「自分が三段目のころ貴闘力関が幕下で、一番上だったんですけど、自分が何でもこなすスーパー付け人だったので…」などと面白おかしく語り、当の貴闘力自身を含む出演者の笑いをとっていた。

「日本相撲協会のスポークスマン・影の広報部長」と自称し、自身の取組について勝っても負けても、ユーモアたっぷりに回答したり、力士の裏話を公表したりと、報道関係からの人気が高かった。

身長196cm、体重160kgの体格を生かした豪快な取り口で大関まで上り詰めた貴ノ浪

貴ノ浪貞博(たかのなみ さだひろ)

取り口は、長身で長い手足からなる深い懐と、強い足腰を生かし、相手を引っ張り込むというものであり、他には真似のできないものである。

簡単に相手力士の二本差しを許し、しかも自ら棒立ちの不利な姿勢を取るため悪癖と見られたが、実はこれこそが貴ノ浪十分の型であった。
そのまま肘を張って両差し手を抱え込むと、長身に引っ張り上げられた相手は上体が伸びきってしまい、寄りも投げも力が十分でなくなってしまう。
そこから左右に振られ極め出されると最早なす術もなく土俵を割る他ないのである。

しかし、基本を外れた特異な取り口であったため、上を狙える相撲ではないと苦言を呈された。師匠も改善を指導したことがあったが、かえって負けがこみ負傷までしたので、無理に改善することはやめた。
貴ノ浪本人は、小学生の頃から変わらぬ取り口だが「良い子はマネをしちゃいけない相撲」と評した。

その性質上、曙や前述の武蔵丸と言った突き押しを得意とする長身の力士が苦手だった。
また晩年は足首の負傷にも苦しまされた。この取り口は足腰が弱いと成立しないので、大関時代には相手を引っ張り込み投げ飛ばしたりしたような場面でもあっけなく後退して土俵を割ることが増えた。

大関陥落後は復帰を目指すよりもいわゆる「見せる相撲」に徹し、「自分にしかできない相撲をとる」と、全盛時代の特有の取り口を見せることに価値をおいた。

相手に攻めさせておいて手玉に取るという意味で、真の横綱相撲の取れる唯一の力士と言ってもよかったが、同部屋にすでに上が二人いた事情などもあってか、横綱として横綱相撲を見せることはなく終わった。

元大関・貴ノ浪、現役時代の経歴と名勝負動画

青森県三沢第二中学時代に年寄藤島(後の二子山=元大関貴ノ花)に「5年だけ頑張ってみろ。関取になれるから」と勧誘され、初めは高校進学を考えていたが両親が貴ノ花を贔屓にしていたため入門が決定、1987年3月場所、本名の浪岡で初土俵。

1991年3月場所十両に昇進。
当時の部屋は、三番稽古の後に申し合いを行う猛稽古の連続、門時に119キロだった体重は、半年で約30キロも減った。そんな稽古のたまもので中卒入門で4年での十両昇進は十分に早い出世ではあったが、大器を期待する師匠からは入親方には「1年遅い」と怒られて絶句したという。
新十両を機に四股名をつける際、師匠夫人の提案で師匠の現役名貴ノ花と本名の浪岡を組み合わせて貴ノ浪と命名された。四股名は「さだひろ」であるが本名は「ただひろ」と読む。

1991年9月場所では大善と12勝3敗で十両優勝を争い、優勝決定戦を戦った。
翌11月場所はその大善と、高田川三人衆の一人鬼雷砲、そして終生の好敵手となる武蔵丸らと同期で新入幕。
この場所は初日から7連勝し、新入幕初優勝かと話題となった。
中日には水戸泉に負けたが翌日優勝争いの筆頭だった琴錦を倒して勝ち越し、残りは全部負けて8勝7敗だったが周囲は驚き、「未完の大器」と注目を浴び始める。

その後約1年間は前頭中位辺りに留まりやや低迷したが、1993年3月場所、前頭筆頭の地位で9勝6敗と勝ち越し。翌5月場所に新三役(小結)に昇進。
その同5月場所で10勝5敗を挙げ、自身初の三賞(敢闘賞)を獲得。
7月場所に新関脇で9勝6敗、9月場所は10勝5敗。
11月場所は12勝3敗の好成績を挙げながら「土俵際に下がりながら勝つ相撲が多過ぎて内容が悪過ぎる」という理由で、三賞獲得はならなかった。

翌1994年1月場所は自身初の大関獲りの場所となった。
しかし、同部屋に貴ノ花と若ノ花の2大関がいるため、同じく大関獲りだった武蔵丸よりも好成績が求められた。
7日目、それまで1度も勝てなかった横綱曙との対戦で斜めに仕切る(本人いわく「突っ張りの威力をそらす狙いだった」)という奇策に出る。
これが効いたのか、珍手の河津掛けで曙を倒し、ようやく横綱戦初勝利をおさめる。

結果13勝2敗の成績を残し、2回目の敢闘賞を受賞。
同年1月場所後、ライバル武蔵丸と同時に大関昇進が決まった。
大関同時昇進は1977年1月場所後の若三杉・ 魁傑(再昇進)以来、17年ぶりのことだった。
なお大関昇進伝達式での貴ノ浪の口上は、若貴兄弟と同様に四字熟語の「勇往邁進」という言葉を用いていた。

新大関の3月場所では12勝3敗となり、千秋楽では同じく12勝3敗の曙と貴闘力との優勝決定戦に進出、勝てば清國以来となる新大関優勝のチャンスだった。
優勝決定・巴戦で貴ノ浪は、同部屋の貴闘力には勝ったものの、次の曙には負けてしまい、曙は続けて貴闘力も破ったため、結果、幕内優勝は曙にさらわれた。

1996年1月場所は14勝1敗の好成績を挙げ、横綱貴乃花との同部屋対決・優勝決定戦では、初めて横綱曙を下した決まり手の河津掛けで再び制して、念願の幕内初優勝を達成。

1996年1月、大相撲初場所で初優勝し、賜杯を手にする大関貴ノ浪

さらに翌1997年(平成9年)11月場所も14勝1敗で、再度貴乃花との同部屋決定戦に上手投げで勝って、11場所ぶり2度目の幕内優勝を果たした。

貴乃花から「何十年に1人かそれ以上の存在」と言わしめた。

しかし、続く綱獲りだった翌場所は1回目が11勝4敗、2回目も10勝5敗と共に大関での2場所連続優勝を達成出来ず、惜しくも綱には届かなかった。1996年11月場所は、史上最多となる幕内5力士の優勝決定戦に進出、魁皇には勝利したが、巴戦で武蔵丸に敗れ優勝を逃している。

また1995年5月場所・1997年1月場所・1999年1月場所を、3回共に6勝9敗と大関で皆勤負け越しを記録したり、1桁勝ち星が続いたりで低迷した時期もあった。

特に剣晃を大の苦手(幕内対戦成績は9勝9敗)としており、剣晃戦の敗北をきっかけに優勝を逃してしまうケースも多かった。それでも角番を脱出した場所では、大体が終盤まで優勝争いに加わるなどの強さを発揮している。

特に1999年3月場所は12勝3敗の準優勝という好成績で角番脱出を果たした上に、11日目には通算5場所目にして入幕を果たした雅山と対戦して勝利したことで雅山がこの場所で2桁白星を挙げることを阻んだ。
なお雅山との対戦を控えていた際には「ちょんまげの結えないやつに負けられない」と対抗心を燃やしていたという。

2度の大関陥落も経験し、引退を考えたが「オレにしか取れない相撲を、お客さんに楽しんでもらえたらいい」と耐え忍び、陥落後の在位は通算25場所を数えた。

2003年九州場所で、幕内で史上1位の58度も対戦したライバル武蔵丸が引退した際は、支度部屋で「寂しい…」と人目もはばからず号泣していた。
対戦成績は、貴ノ浪の21勝37敗。

それからわずか4場所後の2004年5月場所で、貴ノ浪自身も現役引退となった。

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