「トットちゃん」とは何者?
「窓ぎわのトットちゃん」は、通称「トットちゃん」という女の子が小学生の頃通っていたトモエ学園という学校が在学中行っていた教育や独特な雰囲気、トットちゃんの学内での様子や生活などを描いた作品。
トットちゃんとは著者の黒柳さん本人で、名前の「徹子」がうまく言えず自分の事を「トット」と言っていたことから名付けられた。実はこの作品はノンフィクションで黒柳さんが学生時代に体験した実話。また、登場人物も多くが実名で登場する。
ちなみに「窓ぎわ」の意味は小学校在学時に授業中にもかかわらず教室の窓からちんどん屋さん(楽器などを用いて人を集めお店などの宣伝をする人たち)を呼び寄せたりしていたことから名づけられたものだそうです。小学生でなかなか破天荒なことをされていますね。現在の自由なお姿からもやりそうな雰囲気は感じます。
窓ぎわのトットちゃんの主な舞台「トモエ学園」とは?

現在の東京都目黒区自由が丘にあった幼稚園と小学校の一貫校。従来の学校とは異なり、教師の考えた教育法の型に生徒を当てはめるのでなく、生徒自身が体で体感し、自分が思ったように物ややり方を選択していく教育法を取っていた。
例えば音楽の授業では楽器を与えて練習をさせるのではなく、音を聞いて生徒自らが楽器を選択し、音を出し、それから楽譜を用いて演奏などを行わせていた。自由度が高い分生徒自らの責任が大きくなるが、自分で考えて行動をとる。
自由なイメージがある黒柳さんには方針があっていたのかもしれませんね。ちなみに黒柳さんはこの学校に来る前、前に通っていた尋常小学校を1年生の時に退学させられています。本人もテレビで時々おっしゃっていますが、上述のような他の生徒の迷惑となる行動が多々あったようでかなり問題児扱いされていたようです。
トモエ学園の独特な校風
・当時現在の東急電鉄にあたる会社の重役の子供が在籍しておりその縁から廃車となった電車の車両を譲り受け、教室として再利用していた。その頃黒柳さんも編入していて作品冒頭でも描かれている。
・決まった席や時間割が存在せず、好きな席に座ったうえ、先生が教室に書いた様々な教科の課題を本人のやりたい順番で取り組ませていた。また全員が午前中に完了すると午後から散歩に出かけ、自然を通じて学習したり、町の人と触れ合ったりして学内ではできないような学習を行っていた。
・お弁当には海の物と山の物を入れさせるようにしていた。これはバランスの取れた食事を親御さんに心がけてもらうもので、具体的に言っても理解しづらいのでこのような表現にして指導していた。また毎回先生がチェックし、子供たちにどれが海と山の物か答えてもらうことで学習にもなっていた。
戦前に現在でもお手本にしたいような教育方針があったんですね。自由度が高いと自分自身で考えて行動するようになり、教員も様々な子供に対応できて多種多様な人材が生まれそうですね。
基本的に映像化されていない

「窓ぎわのトットちゃん」に関しては、朗読劇は以前あったものの映画やテレビなどの映像化はされていない。しかし2017年にテレビ朝日で放送された「トットちゃん」の冒頭部分でわずかながら初めて映像化された。この続編と言われる大人になってからのトットちゃんを描いた「トットチャンネル」「トットひとり」は映画化や「トットテレビ」と題名を変えテレビドラマ化されている。
黒柳さんがおそらく校長先生の役をやれる人はいないだろうとの事で、窓ぎわのトットちゃんに関しては依頼を断っているとの事。ちなみにトットちゃんでは竹中直人さんが演じた。
そういえばありそうでなかったと思っていましたがそういう理由があったんですね。
黒柳徹子さんとは何者?

テレビ番組の司会者、クイズ番組の回答者、作家や親善大使など様々な顔を持ち、今も度々テレビで見かける芸能界の重鎮ともいえる存在だが本職は何かご存知だろうか?
実は日本で初めてテレビが放映される際に、NHKが採用したテレビ女優第1号としてNHKに入局したことがデビューのきっかけになっている。つまり黒柳さんの元々の職業は女優である。
ちなみに黒柳さんの入局5年後には局アナとして女優の野際陽子さんがNHKに入局され、2017年に野際さんが逝去されるまでずっと親交が深かったそうです。
黒柳さんのエピソード
・ザベストテンを始める際、番組を企画した山田修爾氏をはじめとしたスタッフに対し、何があってもランキングに絶対にうそをつかないでほしいと条件を出す。晩年はそれが一因で出演者の欠席が目立つようになったが、発表するランキングの価値が高まり人気上昇と後に12年続く長寿番組へとなる原動力となった。
・ベストテンのもう一人の司会者であった久米宏さんは、黒柳さんがパートナーの候補を聞かれた際に、以前ラジオ番組で共演したことと、取材にに出かける際にお弁当を忘れて取りに帰った時に偶然見かけたことで黒柳さんの中に印象が残り抜擢された。
・1984年に笑っていいとものテレフォンショッキングで通常20分弱のコーナーのところ、黒柳さんがトークを止められず当時歴代1位となる43分喋り続けた。そのため予定していたコーナーが一部中止となる事態へなった。また2005年に出演した際も39分喋り続けている。ちなみにこの記録は番組終了直前の2014年1月にとんねるずが48分を記録し歴代2位となった。
・テレビに出る際は通常「たまねぎ頭」と呼ばれる髪型で出演している。これはゲストを迎える側で出演することが多いため髪型が変わるとゲストより目立ってしまうことがあるためとの事。また、おでこのところにピンマイクを忍ばせ前髪で隠している。
・他番組で企画になるほどタレント泣かせの質問をすることが多々ある。例えば徹子の部屋では村上ショージさんには「ウケないスベリ芸を開発された」と紹介して困惑させたり、最近では木村拓哉さんにSMAPの解散を切り込んだりしていた。しかしそのおかげで他の方がなかなかできないゲストの引き出しを開けることができ、番組を盛り上げ話題になる事が多い。
・年齢不詳な印象だが1933年生まれで今年で85歳になられる。この年齢でとは思えないくらいのハードな内容の仕事量を何十年も継続していてとてもお忙しくお元気な印象である。
トーク番組で引き際を聞かれた際に、近藤真彦さんがこれ以上見ていられないと思ったら引退勧告を出してもらうようになっているとの事。
木村さんは答えられる範囲で答えていらっしゃったように思いましたし、村上ショージさんは「僕本当はウケたいんです」って返していたりと黒柳さんでないとああいう展開にはならないでしょうし、何よりゲストの本音を引き出せているので視聴者は見ていて嬉しいですよね。
その他の黒柳さんの著書

トットチャンネル(1984年)
窓ぎわのトットちゃんの続編と言われており、大人になりテレビの世界に入ったトットちゃんが数々の失敗を繰り返しながらもひたむきに努力し、一人の女性として成長していく姿を描いている。また斉藤由貴さん主演で1987年に映画化された。

つば広の帽子をかぶって-いわさきちひろ伝(1989年)
飯沢匡氏との共同著書。昭和に画家や絵本作家として活躍されたいわさきちひろ氏。穏やかな印象を持つ作品が多いがその背景には戦争を経験し時代に翻弄されてきた一人の女性としての苦悩や葛藤があったことを描いた作品。
黒柳さんはこれまで数十冊の著書を出版されており、本の世界では自身を「トット」名乗ることが多く、タイトルにも「トット」とつくものが多いです。その多くがノンフィクションで半生をや今までの活動を記したものが多いようです
同時期にベストセラーとなった著書

なんとなく、クリスタル/田中康夫(1980年)
裕福な生活を送る女子大生のファッションモデルを主人公にした物語。富裕層にしか浸透していないような単語が数多く記載され、当時一橋大学4回生だった本人が自分の視点を加えて分析した内容が盛り込まれ、それらが話題となり100万部を超えるベストセラーとなった。クリスタル族という流行語が生まれたり同年文藝賞も受賞している。発売翌年には映画化もされた。

人間万事塞翁が丙午/青島幸男(1981年)
21歳で東京日本橋の仕出し弁当屋に嫁いだハナという女性を主人公に、戦前戦後の下町の生活や様子、夫が亡くなるまでの半生を描いたもの。講談調に書かれており、その年の直木賞を受賞。また翌年にはテレビドラマ化もされた。ちなみに主人公のモデルは著者の母親。
偶然ですが上記の二人は後の知事になられています。この他にもタレント活動など多方面で活躍されており多彩な一面がありますね。
さいごに
いかがでしたでしょうか?小さい時から個性の強いお子様で、大人になってもその個性を生かしつつ様々なお仕事をされ、しかもその多くが大成功していらっしゃるように思います。でもその陰で相当なご苦労があったようでつらいこともそれに比例して多かったように感じました。しかし何より80歳を超えてもずっとお元気でハードな仕事をこなしていらっしゃるのには本当に頭が下がります。私もこうありたいと思いました。
トモエ学園は空襲などの影響で現在は廃校になっていますが、軍が統率していたような時代に子どもの考えを尊重できるような教育が行われていたことにびっくりでした。自分の個性を知りそれを活かしていくことができれば人生も充実しやすくなるのではないかと思いました。