コバルトは、最初『Cobalt』でなく、『小説ジュニア』だった。
コバルトは、最初『Cobalt』でなく、『小説ジュニア』だった。
まず、後の『Cobalt』となる雑誌媒体――、
から始められるページには心浮き立つ誘い文句に胸ときめいてしまった乙女もいるのでは!?
『小説ジュニア』創刊号の中身は……?
『小説ジュニア』創刊号の巻頭を飾ったのは富島健夫の長編純愛小説「制服の胸のここには」で、一挙掲載されて好評を博した。目次にはウルトラ小説、外国ジュニア小説、ユーモア小説、身の上相談小説、悲劇小説などあったが、『Cobalt』の根幹となる少女小説というジャンル名はまだこの時は、一度も用いられてない。
ここで富島健夫さんのこと紹介。。
『Cobalt』への移行に至るまでの紆余曲折
『小説ジュニア』は季刊誌として創刊され、売り上げの好調を受けて早くも1966年8月号から“月刊化”へ。以後『小説ジュニア』として最後の発行となる1982年6月号まで刊行され続けた。
低迷期内の新人作家、新しいジャンルの誕生
1970年代に低迷期に入ったものの、
後の『Cobalt』で活躍する若手新人作家がこれを支える。
正本(まさもと)ノン
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氷室冴子
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