春と言ったら花見、花の下で食べたいものは?
最近のラジオ番組で、「大学生に聞いた桜の下で食べたいものランキング」をやっていて
1位はお弁当でしたが、2位がなんと「和菓子」。
「へえ?」って思わず言っちゃいましたが。
大学生ならバーベキューやら焼きそばやらたこ焼きやら言いそうなもんですが
最近の大学生は違うのかな?

味の素のサイトの「花見弁当」
お花見弁当のレシピ特集 |料理をするなら味の素パークの【レシピ大百科】
いやちがう。今回のタイトルは「和菓子」。
それも「春の和菓子」。
春、花と言えば桜、そして「花より団子」。
この団子、どんな団子だと思います?

江戸いろはかるた「は」
【みんなの知識 ちょっと便利帳】 『江戸 いろはガルタ』-「江戸いろは」- いろは歌・いろはガルタ・カルタ・かるた・加留多・賀留多・歌留多・骨牌
「花より団子」の由来は「江戸いろはかるた」。
意味は「景色や美しいもの、芸術を鑑賞し味わうよりも、ハラの足しになるものの方がいい」のたとえ。風流より実益、ってやつですね。
でも実際は、団子も食いながら花見もする、「趣味も実益も」が大好きなんだと思うんです。
日本人ってやつはね。
だから上のかるたの絵だって、花の下で団子食ってるでしょ。
1700年代に四文銭ができたことで、1串4つで四文、というのが定番になったそうですよ。
ちなみに、上方(大阪)いろはかるたの「は」は、「針の穴から天覗く」。
でも尾張(名古屋)は「花より団子」なんだそうです。
実は花見でお菓子を食べ始めたのは、秀吉
そう、あの「醍醐の花見」ですね。
慶長三年に京都醍醐寺で開いた大花見大会に、
各地の名産や銘菓を取り寄せて客にふるまったのが最初と言われています。
これがきっかけで、花見の時に和菓子を食べる習慣ができたのだそうです。
江戸期になって、吉宗の時代に
江戸の町に桜(ソメイヨシノ)がたくさん植林されました。
その花見客を相手に、団子屋が「花見団子」と銘打って売りだしたのが
花見団子のルーツのようです。

三色団子
【楽天市場】【仏具】お供え菓子「三色だんご」*:お香・数珠・仏壇のe-namu庵心堂
三色団子は、ピンク、白、緑の三色、串に3つの団子が定番ですね。
この色には意味があって、
ピンクは花、白は春霞、緑は新緑の「春の象徴」を表す
という他に、
ピンクは春、白は冬、緑は夏を表し、秋がない(飽きがない、あきない=商い)
なんて意味もあるらしいです。
とにかくめでたいものであるらしい。
ですが、江戸期の花見団子が三色団子だという文献は見つかりませんでした。
江戸時代の有名な団子屋というと、永代橋の「永代団子」や言問橋の「言問団子」ですが
どちらもこの形の三色団子は出してないんですよね。
言問団子も三色団子ですが、ピンク白緑の色合いではないんです。

言問団子の三色団子
言問団子 - Wikipedia
団子と餅、何が違う?
どっちも原料は米。
でも作り方が全く違います。
上新粉、米粉、白玉粉など、もち米やうるち米を原料にした粉を
お湯でねって丸めて、蒸したものが「団子」。
もち米を蒸して、粘りが出るまで搗いて丸めたものが「餅」。
なので、三色団子の緑の団子と、草餅(よもぎ餅)は、
原料は一緒でも違うんですよ。

草餅
草餅(くさもち)の意味 - goo国語辞書
草餅 - Wikipedia

鶯(うぐいす)餅
Wagashi Uguisu Mochi ~和菓子 うぐいす餅 - YouTube
うぐいす餅は、
餡を求肥(白玉粉やもち粉を水あめを加えて練った皮状の餅)でくるみ
左右にちょっとひっぱって「ウグイス」の形に似せ
うぐいす粉(青大豆でできたきな粉)をまぶしたおもちです。
長年の謎解明 二種類の「桜餅」の違い
小さいころ、隣りのおばちゃんに「お茶受けに桜餅買ってきて」と頼まれ
近所の和菓子屋で買って持っていったところ
「これ桜餅ちゃうわ」と言われたことがありまして。
長年意味わかんなかったんですが、
今回調べてみて、やっとわかりました
(もっと前に調べろよというツッコミはなしで)。
「桜餅」と言われたら、どっちを思い浮かべる?

道明寺の「桜餅」
桜餅 - Wikipedia

長命寺の「桜餅」
桜餅 - Wikipedia
上の「道明寺」桜餅は関西風、
下の「長命寺」桜餅は関東風と言われています。
隣りのおばちゃんは関西出身のひとだったので、
私は長命寺を買って行って「ちゃうわ」と言われたわけです(涙
起源も全く違います。
道明寺のさくらもち
道明寺というのは、糒(ほしい 乾飯、干飯とも書く)のこと。
糒は、戦国時代に兵糧として使われた保存食の一種です。
これを、藤井寺にある「道明寺」の神前に供えていたもち米を原料にして作ったところ、
評判がよく、これを聞いた秀吉が(また秀吉だよ!)
この糒を「道明寺」と呼ぶよう令状を出しました。
で、この糒を粉にしたものを「道明寺粉」と呼ぶのです。
長命寺のさくらもち
長命寺は、江戸時代、向島にあったお寺。長命寺という名前は三代将軍家光の命名です。
そこで門番をしていた山本新六という人が
隅田川の堤に植わっている桜の葉の掃除に苦慮していて
なんとか有効利用できないものかと考えだしたのが
「桜の葉の塩漬け」(最初はしょうゆ漬けだったようですが)。
1717年、山本屋という菓子屋を門前にかまえ、
もち粉を伸ばして焼いた皮で餡を包み、桜の葉の塩漬けで巻いて
花見客に出したのが、長命寺の桜餅の起源です。
当時のことは多くの草紙や浮世絵にも書かれていて
これが「桜餅」と呼ばれるお菓子のもとになりました。
道明寺と長命寺。
どっちもお寺の名前だしなんか似てるし。
間違えるのもやむなしって感じです。
どっちもおいしいからべつにいいんだけど。
とってもニューカマーな「いちご大福」
そして「いちご大福」。
和菓子の歴史の中ではダントツに新しいですよね。
考案され販売されたのは昭和後期です。

いちご大福
いちご大福の販売が始まります! - 遠州菓子処 たちばな|静岡県磐田市
まあ、いちごが春の定番商品ですから
冬から春にかけての季節限定和菓子です。
「うちが元祖!」と主張している和菓子屋はいっぱいあって、起源は諸説あります。
なんでも1987年の「ザ・ベストテン」のなかで
司会の黒柳さんが、「ちかごろいちご大福っていうのが出た」と
ゲストにふるまった回があるそうで
そのあたりで登場したのではないかと言われています。

大角玉屋のいちご大福
いちご大福/東京都・新宿、銀座の和菓子製造、和菓子販売の大角玉屋
もともと大福は「鶉(うずら)餅」と呼ばれていたものが
1771年に小石川に住むおたまさんという未亡人によって
小さめに作られて売りだされたのが始まりだそうです。
腹もちがいいので「腹太餅(はらぶともち)」とか
「大腹餅(だいふくもち)」とか言われていたのが転じて「大福もち」に。
大福は固くなりやすく、
固くなってしまった大福は焼いて食べるのが一般的だったとのこと。
もともとそんな日持ちのしない大福と
傷みやすいいちごをかけあわせた「いちご大福」は
技術と流通の進んだ現代ならではの和菓子なのかもしれません。
いちごの甘酸っぱさとあずきの絶妙なコラボ、
よくぞ考えついてくれたと思います(^^)

春の和菓子たち
春の和菓子のご紹介✿ | ショップニュース |かなざわはこまち
さあ、春爛漫の花の下
おいしい春の和菓子を食べにでかけましょう。