高木ブー
ウクレレとの出会い、ザ・ドリフターズへ
大学在学中、ハワイアン・ミュージックに造詣を持つ
いかりや長介のスカウトでザ・ドリフターズ入り
大学卒業後、東京ガスの採用内定を蹴ってプロのミュージシャンとなる。
当時の芸名は高木智之で、「高木智之とハロナ・セレナーダス」「高木智之とハロナ・リズム・コーラス」「ニュー・フレッシュメン」「ジェリー藤尾とパップ・コーンズ」「ロジェ滋野とシャドーズ」のバンドマンとして米軍キャンプ等で演奏。
パップ・コーンズではバンジョーを、シャドーズではエレキギターを担当していたが、横浜のジャズ喫茶「ピーナッツ」での演奏中に、桜井輝夫といかりや長介にスカウトされ、1964年9月16日、ピアニストの欠員補充としてザ・ドリフターズに参加。
いかりや長介はザ・ドリフターズを率いたリーダー!晩年は「和久さん」で人気を博しました。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
高木智之⇒高木ブーへ
高木ブーのイメージ
やっぱり「雷様」
「無能キャラ」として扱われる事も多く、特に筋肉少女帯が失恋男の憂い・無念という重くありがちなテーマを、ドリフのコントにおける高木の役割に喩えて制作したシングル曲『元祖高木ブー伝説』をリリースしたことで話題となった。
この時、いかりやを始めドリフの事務所側は厳しいクレームを付けたものの、当の高木本人が「若い奴がバカやって頑張ってるんだから許してあげようよ」と鷹揚な対応を見せたことでリリースが可能となり、更には筋肉少女帯のライブを訪れてセッションを行うなど自ら交流を行った。
「元祖高木ブー伝説」が話題に
特技は居眠り、後に無呼吸症候群が原因と判明
プロフィールは「特技は居眠りで、どんな状況でも眠れる体質」
ほとんどアドリブに近い「雷様」
「半ページの長介、3行の仲本、1行の加藤、感嘆詞のブー」と揶揄される