トヨタ・2000GT

トヨタ・2000GTMF10型 前期型
2000GT(にせんジーティー)は、トヨタ自動車とヤマハ発動機が共同開発し、ヤマハ発動機への生産委託で1967年から1970年までトヨタブランドで生産されたスポーツカータイプの乗用車です。
チビッ子の間でも
1970年代半ばスーパーカーブームの時はランボルギーニやフェラーリの外車勢の中で唯一国産車でスーパーカーと呼べる1台だったのではないでしょうか。
【スーパーカーブーム】小学生の憧れ!!ランボルギーニ・カウンタックミウラ・イオタ・等世界の【スーパーカー】 - Middle Edge(ミドルエッジ)
トヨタ・2000GTスペック

前期型リア
トヨタ・2000GT - Wikipedia
開発までの経緯

トヨタ2000GT
1960年代前半の日本におけるモータリゼーション勃興期、トヨタ自動車にとって最大の競合メーカーである日産自動車はフェアレディ、また四輪車メーカーとしては新興の本田技研工業はSシリーズをそれぞれ市場に送り出していた。
一方のトヨタ自動車は、日産自動車と並んで日本を代表する最大手自動車メーカーでありながら、1960年代前半にはスポーツカーを生産していなかった。
そこでヤマハ発動機と共同開発へ
1965年(昭和40年)1月より、トヨタ側の開発陣がヤマハ発動機に出張しながら、ヤマハの安川研究室の十数名を主導して2000GTの開発プロジェクトを推進していった。
開発プロジェクトは順調に進み、4月末に最終設計図が完成。
計画開始からわずか11か月後の8月に試作車の第1号車が完成し、トヨタ自動車に送られた。
愛好者や評論家の一部は

ヤマハ発動機本社(静岡県磐田市)
2社共同開発とは言っているが、2000GTはその成立過程で特異性に加え、生産についてもヤマハおよびその系列企業に委託されたこともあり、「果たしてトヨタが開発した自動車と捉えるべきか」という疑問が、愛好者、評論家の一部によって呈されている。
自動車関係の書籍・雑誌では古くから、さらに近年では個人によるブログ上などでも「トヨタは2000GTの自力開発ができず、ヤマハが開発・生産したスポーツカーを買い取っていたに過ぎない」「金だけ出してトヨタのバッジをつけた」「これは実際には『ヤマハ2000GT』というべきものである」という声もある。
当時の価格
当時の2000GTの価格は238万円で、トヨタ自動車の高級車であるクラウンが2台、大衆車のカローラが6台買える程に高価であった。
1967年(昭和42年)当時の日本における大卒者の初任給がおおむね2万6000円前後であったから、21世紀初頭の日本においては1500万円から2000万円程度の感覚にも相当する、
一般の人々にとっては高嶺の花の超高額車であった。
それでも生産に手間がかかり過ぎてコスト面で引き合わない価格設定であり、この事から常に赤字計上での販売であった。トヨタ自動車にとっては「高価な広告費」とも言うべきものであった。
気になる箱の中は?
下記のサイトで詳しく掲載されてます。↓
トヨタ2000GT詳細撮影その5 ここには何が入っているのか? | clicccar.com(クリッカー)
マイナーチェンジ
市販開始から2年後の1969年8月に、マイナーチェンジが行われた。 これにより前期型(1967年5月から1969年7月生産)と、後期型(1969年8月から1970年10月生産)に大別される。
主な変更点
フォグランプとフォグランプリムが共に小型化され、グリルと直線的に一体化。
フロントウインカーレンズの形状および大型化と白色から橙色に。
リアサイドリフレクターの形状および大型化。
オイルクーラーの冷却用ルーバーパネルが凸型から凹型に。
インストルメントパネルの意匠変更。
ステアリングホイールのホーンボタンの形状変更および大型化。
ヘッドレストの追加装備。
ドアインナーハンドルの形状変更。
クーラーの追加装備。
トヨグライド(3AT)搭載モデルの追加。
実はトヨタ2300GTもあった!!

2300GT・MF12L
直列6気筒SOHC 2,253 cc エンジンを搭載したモデルも生産されているが市販に至らなかったため、正式通称名は発表されておらず不明である。
市販された2000ccモデルと区別するため、雑誌やマニアなどが2300GTと称しているが正式名ではないそうですが、 2,253 cc のモデルもあるそうです。
2,253 cc の2000GT

トヨタ2000GTエンブレム
現在トヨタ自動車で保有し展示されている(後述)車輌がTOYOTA2000GT輸出仕様となっていることや取り付けられているエンブレムが2000GTとなっていることなどから、2000GTという名の2,300 cc モデル、つまり「2000GT」としてDOHC2,000 cc とSOHC2,300 cc の2つのモデルでの併売を計画していたとも考えられる。
生産台数
赤字生産が続き、イメージリーダーカーとして充分な役割を果たしたとの判断から、1970年で生産は終了し、1967年5月から1970年8月までの3年3か月で試作車を含め、337台が生産されました。

純正ボディーカラー

トヨタ2000GT後期型
ボディーカラーは、前期型では次の3色である。
ペガサスホワイト
ソーラーレッド
サンダーシルバーメタリック
前期型では特注色として少数台生産された次の3色が、後期型で正式採用され、計6色となった。
ベラトリックスイエロー
アトランティスグリーン
トワイライトターコイズメタリック(ブルーメタリック)
カタログにゴールドモデルはなかったが、特別にゴールドに塗装された車両が3台存在した。前期型2台と後期型1台である。
オープンカー仕様
本車はクーペボディのみであったが、日本を舞台にした映画『007は二度死ぬ』(1967年)には劇用車としてオープンカー仕様車が登場している。
これは一般販売前に試作車をベースとしてオープン仕様車が撮影用と予備用の2台製作されたもので、撮影車両は後年トヨタ博物館に収蔵されました。

ボンドカー仕様
生産終了
生産終了後希少価値もあり、2000GTの存在は日本国内外で後年まで伝説的に語られるようになった。特に1970年代末にはスーパーカーブームが生じ、当時は既に生産終了していた本車は、日本で唯一のスーパーカー扱いをされた。熱心な愛好者によるクラブも日本国内外に存在する。
日本車における絶版車の人気車種として筆頭に上げられる車種の一つになり、中古車市場では多くの場合プレミアム価格が付いて、高額で取引され、新車時に日本国外に輸出された2000GTを日本に逆輸入する例もある。
2013年にはクラシックカーを専門に取り扱うRM_auctions社が行うオークションで、日本車としては最高値である1155000ドル(約1億1800万円)で落札された。
欲しくなった貴方
最後に・・・

スピードトライアル車両(画像は記録樹立車のレプリカ)。
いかがだったでしょうか?
また面白そうなネタがあったらまとめてみたいと思います。
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