第10回 Nostalgic 2days(ノスタルジックツーデイズ)って何よ?
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今年は「ミドルエッジ」がブースとしてそしてステージコンテンツとしても参戦よ!
【緊急告知】「第10回 Nostalgic 2days」にミドルエッジが参戦します! - Middle Edge(ミドルエッジ)
ブースのど真ん中に珍車?迷車?何言ってるのよ!「名車」よ!「オペル・マンタ」登場よ!
オペル マンタA SR
k・yamamoto
スペック
| 年式 | 1971年型 |
| 乗車定員 | 5人 |
| ボディタイプ | 2ドア クーペ |
| エンジン | 直4ガソリンSOHC 1,897cc |
| 変速機 | FR |
| 変速機 | 3速AT |
| サスペンション | 前:独立 ダブルウィッシュボーン・横置きリーフ 後:固定 4リンク パナールロッド・コイル |
| 全長 | 4340mm |
| 全幅 | 1630mm |
| ホイールベース | 430mm |
ヒストリー
マンタA(Bはラリーでも活躍したマンタ400を含む皆さんもご存知のデザイン)と言われるこのモデルは、1970年に登場するの。当時は「フォード・カプリ」のライバルなんて言われたわ。マンタの初代モデルにあたるこの車は、エンジンはレコルトC、アスコナAやカデットAと共通なの。マンタの最大の魅力はなんと言ってもそのスタイリングよ!有名な日本人デザイナー「児玉英雄」も参画したデザインは、どこから見ても最高のデザインなのよ!(自画自賛)
あたしと「オペル・マンタ」との出会い
あたしの「マンタ初号機」の雄姿よ!
k・hirotsu
あたしが「オペル・マンタ」と出会ったのが25歳の時なの。当時、行きつけのクルマ屋さんの奥に飾ってあった「謎の車」に一目惚れだったわ。オレンジ色でボンネットが艶消しブラックのその車は社長のクルマで、1972年製の1900CC、SOHCの4速ミッションだったわ。勿論、側買いよ!「運命的」なものを感じたんですもの。でもこれは「マンタ」とのほんの「序章」だったのよ。
壮絶なマンタとの30年の歴史の幕開けよ!
マンタAにしかついていない「マンタ(エイ)」のエンブレムは必見よ!
k・nezu
納車の日がやってきたの。前日は興奮気味で寝不足。目をこすりながら店に行くと様子が変なの。お店のクルマが私の「マンタ」以外ないの!事務所に入ると知らない怖いお兄さん達が沢山いるわけ。尋ねるとどうも、車屋さんは夜逃げ。集金のプロの方々だったの。そのお兄さん達にお金は入金済みで今日が納車だった事を伝えると1台しか残ってない「正体不明」のポンコツの車のオーナーであることをすぐに把握してくれたわ。(でも何故か皆さん笑ったいたのよ!)カギを頂き逃げ帰るように帰ったあたしを待ち受けていたのが本当の闘いの日々だった事は、乗り出してから解ってきたわ。
足立ナンバー?木の杭?これ何ですか?そして初号機との壮絶な別れ!
OOTA CAR FES(千葉・流山市)での2号機の雄姿よ!
k・yamamoto
どうにか手に入れた「マンタ」なんだけどなにか「違和感」を感じたの。そう!ナンバーが変わってなかったの!「足立55」ってあたしは「マツド」よ!車検証を見てみると夜逃げ社長の名義のまま!?初号機の最大の悲劇は書類上、私のクルマになることはなかった事なの(泣)
「OPEL」オーナー初心者のあたしはまず、エンジンルームに書いてあったディーラー「東邦モータース」に行くことにしたわ。もちろん「マンタ」の部品やメンテの事で相談しによ!ところが絶句よ!ディーラーに行くと若い営業さんから「どこのクルマですか?」と言われたわ!ベテラン営業の方からは「懐かしい!」と言ってもらったけど「部品は皆無」との死亡宣告まで頂く始末。
その時にエンジンルームにあった「意味不明」木の杭を抜いて捨てた事に更なる事件が起きるの。しばらくたってから交差点で急カーブを切ったときに「ゴト」って大きな音と共に室内が煙だらけに。何事かと思ってエンジンルームを開けると配線がすべて燃えてい焦げていたの。そう。「木の杭」はバッテリーが倒れないように挿してあったのよ(笑)
地元の車屋さんに嫌がられながらも修理していた初号機との別れは突然きたの。二度の全塗装をし愛情を注いだ「マンタ」は10年目にキャブレターの不調の為、ほぼ不動になったわ。そこで思い切って修理に出すことにしたの。もちろん動かないのでレッカーで移動する事に。しかし、それが「マンタ」との長い別れになるとは夢にも思ってなかったわ。なんと牽引中に何がどうなったかわからないけど、カーブで電信柱に横からぶつけられたのよ!「マンタ」はくの字になり大破。もちろん外装部品が出る訳もなく泣く泣く廃車となったの。