豊川信用金庫の名を全国区にした事件
愛知県豊川市に本店を置く豊川信用金庫。
1937年(昭和12年)に豊川町商工信用組合として事業を開始し、2017年には創立80周年を迎えた老舗の信用金庫です。東海地方で広く利用されています。
その80年に及ぶ歴史の中で、豊川信用金庫の名が一躍全国に知れ渡った事件がありました。

豊川信用金庫のウェブサイト
それは「豊川信用金庫事件」と呼ばれ、女子高生3人の雑談がきっかけに、僅か1週間の間に20数億円もの預貯金が引き出された出来事です。
”噂が噂を呼び”といった状況が、利用者の心理へネガティブに働き事態が悪化してしまった事件でした。

「豊川信用金庫事件」を特集したテレビ番組
伝言ゲームのように噂が変化した『豊川信用金庫事件』
1973年12月8日(土)
国鉄に乗って登校中の女子高生3人組が、その中の女子高生Aが就職が決まったという話題をしていました。その就職先こそが豊川信用金庫でした。
この時、女子高生Bが「信用金庫は危ない」といった旨をAに対して発言します。その意味は強盗が入るかも知れない危険性を示唆したものでした。

強盗が入る可能性も確かにあります
しかし、その会話を聞いていた女子高生Cは帰宅後、親戚へ「豊川信金に就職が決まったAにBが、信用金庫は危ないって言っていた」など会話の文脈を踏まえずに、断片的な情報だけを親戚に伝えてしまいます。
これを親戚は「豊川信金は経営が危ない」と本来の意味とは異なる解釈をしてしまい、それをまた別の親戚に対して話してしまいます。ここから伝言ゲームのように情報が変化しながら拡散していく事になります。

噂話のイメージ
12月9日(日)~13日(木)
その親戚は翌日、よく行く美容院で担当者に「豊川信金は危ないらしい」と確証もないままに話してしまいます。そして、それをその担当者がクリーニングを営む主婦に対して伝えます。
過去に銀行の倒産に遭い、損害を被っていたこの主婦は強い不安感に襲われ、自身のクリーニング店で「豊川信金は危ない」と断定的にお客さんに広めてしまいます。そして、13日タイミングの悪い事にクリーニング店へ訪れたガス屋の主人が、店舗の電話を使って、仕事の支払い金「120万円」を豊川信金から下ろすよう指示をします。
それを聞いた主婦は「大金を下ろす=倒産」と思い込み、確信を持って夫に豊川信金からの引き出しを依頼、さらに周囲の人間に伝えていきます。

預金が無くなる恐怖たるや・・・
さらに噂を聞いたアマチュア無線愛好家が、無線を用いて噂を広範囲に広めてしまいました。この後、同信金窓口に預金者が殺到し約5000万円が引き出されています。
この日の昼頃には「危ない」といった認識だった噂が、夕方には「潰れる」と変化し、時を経て誇張されていきました。
12月14日(金)~16(日)
事態を重く見た豊川信金がその収拾の為に声明を発表しますが、それすら曲解され、さらに騒動が大きくなっていきました。その後「職員の使い込みが原因」、「理事長が自殺」という展開にまで飛び火してしまいます。
しかし、豊川信金はマスコミ各社に依頼。14日の夕方から15日朝にかけて、噂はデマであると報道し、騒動の沈静化を図ります(新聞の見出し:朝日新聞「5000人、デマに踊る」、読売新聞「デマに踊らされ信金、取り付け騒ぎ」、毎日新聞「デマにつられて走る」、など)。

銀行は結局潰れませんでした
日本銀行は事態を受け、記者会見を行い、同信用金庫の経営について「問題ない」と発言するとともに、混乱を避けるため日銀名古屋支店を通じて現金手当てを行った事を明らかにしました。
また、預金者へのアピールとして、本店の大金庫前には、日銀から輸送された現金を窓口からも見えるようにあえて山積みにしました。
15日には自殺したとされた理事長自らが窓口対応に立った事もあり、事態は沈静化に向かいます。16日、警察がデマの伝播ルートを解明し、発表。事件は終わりました。
この短期間に引き出された預貯金は一説には約26億円にも及ぶとも言われています。
※噂が広まった過程は諸説あります。
事件1か月前には大阪で「トイレットペーパー騒動」が起きていた
この事件が起きたのは1973年12月でしたが、その約1か月前には大阪でオイルショックによる紙の供給に対する不安感から「トイレットペーパー騒動」が起き、騒動は全国に飛び火。主婦たちがトイレットペーパーを買い求めに商店へ殺到する騒ぎがあったばかりでした。
多くの人が内包する不安感が、”不安が不安を呼び”という状態を引き起こした一例でした。

トイレットペーパーが無いと確かに不安ですよね
この騒動でも、豊川信用金庫同様に混乱する人々の様子がマスコミ各社から配信されています。今では”オイルショックを象徴する一場面”として文部科学省検定済教科書やニュース写真で多く取り上げられています。
当時はこのオイルショックの影響による不景気という社会不安に覆われ、消費が低迷していた時期で、ありもしないデマが流れやすい下地があったとされています。
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