今回は、こちらの書籍を参考にさせていただきました。
平沼定晴さん。

平沼定晴さんカード。
BBM 1991 No.294 平沼定晴 - ヤフオク!

平沼定晴さん。
【BBM(ベースボール マガジン)1994年 244 平... - ヤフオク!
球史に残る大乱闘。バットが飛ぶ!!。
(動画リンク切れの場合はご容赦ください。)この動画をご覧いただくとびっくりしますが、清原氏がバットを平沼投手めがけて投げつけています。
いくらなんでもこれは危険です。そして跳び蹴りを食らわします。
ここでさすがにやばいと思ったのか、一転清原氏は逃げにかかります。
危うく告訴の事態に。
バットを当てられたため、平沼さんは翌日は歩くことができなくなりました。相手に暴力でケガを負わせたわけですから、告訴すれば傷害事件にもなる、と上層部からも連絡がありました。警察も動き出したそうです。
「ヤンチャ」さでは実は負けていない平沼さん。
平沼さんも、決して大人しい性格の人ではなかったようです。
そもそも事件の発端は、平沼さんが清原氏に投球をぶつけたのがきっかけですが、バットを投げつけられたため、応戦しようとしました。
しかし、清原氏と体格が違い、平沼さんは清原氏の尻に当たり吹っ飛ばされてしまいました。
すぐに冷静な判断をした平沼さん。
しかし、怒りをコントロールする術を持っていました。
「告訴すべきでは?」という上層部の話に、「それだけはやめてください。」と断ります。
何の理由もなしに暴力を振るわれたならまだしも、自分が当てたことが発端になっているので、それは自分にも責任があるだろう、それを全部責任を相手に押し付けるのはみっともない、という判断だったようです。
当てられた清原氏も、バットを投げつけたり跳び蹴りを食らわすのはいくらなんでもやり過ぎですが、当てられて骨折でもしたりしたら、選手生命も危ういわけですから、黙っていてはプロの世界でやっていけません。
次に当てられないように、相手を威嚇するのは自然なことです。そのやり方がまずかっただけであり、平沼さんはそこも理解していました。
清原氏との和解。
翌日、清原氏は平沼さんに謝りに行きました。恐縮して頭を下げる清原氏に、平沼さんはすぐに許しをしたそうです。もちろん告訴などなし。
そうは言っても平沼さんもまた当ててしまってはいけない。そう思うと清原氏には内角を投げづらくなりました。
ところが、清原氏のほうから、「平沼さん、思い切り突いてきてください。お願いしますよ。」と声をかけてきたそうです。
選手生命を守るのもプロの仕事ですが、真剣勝負をしたいというのもまたプロの仕事です。
これには平沼さんも感心したそうです。
リリーフとして342試合に登板、18勝22敗5セーブを挙げる。
平沼さんの特技は肩を作るのが早いことでした。そのためピンチが来ると指令がかかればすぐに投げることができ、また連投もきいたため、リリーフとしては驚異的回数を投げる年もありました。タフネスとも呼ばれました。
1998年に西武ライオンズで引退します。
中日の打撃投手へ転向。
平沼さんは1999年から、中日の打撃投手としてスタートします。
他の打撃投手と違うところは、現役を16年やって打撃投手になったことです。
通常、打撃投手はプロ入り数年で戦力外通告を受けた若い投手が務めることが多いのですが、342試合も一軍で投げた後の打撃投手は非常に珍しいと言えるでしょう。
立浪和義さんとの出会い。
打撃投手は、一筋縄ではいかない職業です。打たれないようにするのが現役の投手ならば、いかに打者を育て、打ってもらうための投球をするかが、打撃投手の役目です。平沼さんはメンタルも強く、そうはならなかったそうですが、中には打者の注文に応えるような投球ができず、イップスで辞めていく打撃投手が出てくると、自分もいつかそうなるのではという不安はあったようです。
その中で、平沼さんの支えになったのは、「ミスタードラゴンズ」立浪和義さんでした。

立浪和義さんカード。
Masterpiece 30枚限定直筆サインカード 立浪和... - ヤフオク!

立浪和義さん著作。
【文庫】 増補版 負けん気 (文芸社文庫) | 立浪 和義 |本 | 通販 | Amazon
立浪さんは、打撃投手としての平沼さんをとても重宝し、よく平沼さんを指名して練習していました。
立浪さんくらいのスーパースターになると、打撃投手に求める技術も並のものではなく、要求を満たせる打撃投手を探すと、平沼さんが一番だったのでしょう。
立浪さんの練習量に付き合うのは体力的にも半端ではなく、きつかったそうですが、自分を凄く買ってくれたのは、うれしかったし、立浪さんに逆に成長させてもらった、と述べています。
厳しい要求。
立浪さんが要求したボールは、このようなものでした。
緩いスローボールを投げた後に、今度は速い球を要求したり、内角へ速い球、スライダーはもっと大きく腕を振って投げて欲しい、スローボールは山なりのゆっくりしたもの、高めの速い球、これらを次々と要求してきて、平沼さんも肩の感覚がおかしくなってしまうほどだったそうです。
平沼さんとて人間ですから、要求された球を投げられない時もある。しかし立浪さんは顔に出さずに、文句ひとつも言わずに平沼さんの球を打ってくれたそうです。
すごく感謝をしている、と平沼さんは述べています。
「打撃投手」とは、投手なら誰でもなれるものではない。
平沼さんはこう述べています。
「コントロールがよかろうが悪かろうが、気が大きかろうが、小さかろうが誰にでもいつ何が起こるかわからん。」
「言えるのは、やった人にしかわからないということ。」という言葉も述べています。
打撃投手を伸ばすか潰すかは打者次第。
例えば、打撃投手を軽く見る打者が、ストライクが入らないと、「給料もらってるんだから、きちんと投げんか!」と言われれば、すぐに潰れてしまうし、逆に打者が励まし、感謝、賞賛によって打撃投手が育つのも真実だということです。
あの井端選手も、三割を打った時に、「先輩がいつも投げてくれるから、三割打てました。」と平沼さんにお礼を言ったそうです。
野球は決して1人のスーパースターがチームを引っ張って優勝するわけではありません。「団体競技」なのです。9人の選手の裏側には、膨大な数の人々が仕事をしています。
その1人に、打撃投手もいます。
打撃投手の良し悪しが、そのチームの行方を左右することもあるのでしょう。

清原氏との乱闘がよく取り上げられる平沼さんですが・・・。
野球の乱闘のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや
現在は打撃投手を引退し、用具係として野球に携わり続けている平沼さん。
用具係一つにしても、おそらく現役で長期間プレーしてきた経験、打撃投手として数々の名選手に感謝されるほど活躍した経験、それらの経験で、確かな用具を選んでいる姿が想像できます。
「野球は団体競技(これは著者の澤宮優さんの言葉と思われます。)」「言えるのはやった人にしかわからないということ」という言葉が、この記事を書いていて心に残りました。
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