あの偉大なスポーツ選手達が引退した時って何歳だったんだろう?もう”あの頃”の彼らの年齢を超えてしまった

あの偉大なスポーツ選手達が引退した時って何歳だったんだろう?もう”あの頃”の彼らの年齢を超えてしまった

ボクシングや相撲、野球、サッカー、テニスなど、数多くのスポーツや格闘技で輝いた選手達。絶頂期で引退を決めた選手、怪我と戦いながら40歳を超えても第一線で活躍した選手。”あの頃”憧れた選手たちの引退年齢と成績をまとめた。


※書籍:柔道の王者山下泰裕五段の足跡 (1982年)

山下泰裕

1980年のモスクワオリンピックで日本はボイコットし、涙をのんだ山下だったが、当時の代表選手として唯一1984年のロサンゼルスオリンピックに出場を果たしている。
同大会では、2回戦で肉離れを起こしながら決勝に進み、美談とされるエジプトのモハメド・ラシュワンとの金メダルを賭けた戦いに臨んだ。

決勝でラシュワンは山下の右足を狙わずに、横四方固めによって敗れ、山下の金メダルが確定した。その様子が話題となり、ラシュワンは国際フェアプレー賞を受賞している。

しかし、山下によればラシュワンは最初の攻撃で右足を狙ったが、山下が普段と逆の左足を軸にして返しに行き、そのまま抑え込みに入って一本勝ちとなったという。山下はこれについて「ラシュワンは決して、卑怯な手段を使っていないし、そもそも、ケガしたところを狙うのは立派な戦略である。」と語っている。

最後の大会となった全日本選手権までに、約7年6ヶ月の間に203連勝を記録しており(内、引き分け7回)、不敗記録が途切れぬままの引退であった。
また、対外国人選手には生涯無敗(116勝無敗3引き分け)であった。

千代の富士 1991年5月14日【35歳】

1955年6月1日生まれ。北海道松前郡福島町出身。

中学生時代、陸上競技の走り高跳び・三段跳びにおいて地方大会で優勝するなど運動神経抜群だった千代の富士(本名:秋元 貢)。その後、九重(千代の山)が直々に勧誘し、九重部屋へと入門を決めた。

1970年9月場所初土俵を踏み、1974年11月場所19歳5ヶ月で十両昇進、史上初の5文字四股名の関取となった。

※書籍:NHKスペシャル横綱 千代の富士 前人未到1045勝の記録 [DVD]

千代の富士

1981年1月場所は初日から14連勝を記録。千秋楽に1敗で追いかけた北の湖との直接対決を迎えた。本割では吊り出しで敗れて全勝優勝こそ逃すものの、優勝決定戦では北の湖を右からの上手出し投げで下し、14勝1敗で幕内初優勝を果たした。

千秋楽の大相撲中継視聴率は52.2%、千代の富士の優勝が決まった瞬間の最高視聴率は65.3%に達し、場所後に千代の富士の大関昇進が決定した。現在でも大相撲中継の最高記録となっている。

その後、横綱に昇進。1990年1月場所には30回もの優勝に到達している。年齢を重ねるごとに強さを増した晩成型であった。

しかし、怪我により休場が増えていく。怪我からの復帰場所となった1991年5月場所は、初日に新鋭・貴花田(のち貴乃花)と対戦。まわしが取れず頭をつけられて寄り切りで敗れてしまう。
3日目の貴闘力戦でも完敗し、現役引退を表明。

引退会見冒頭、「体力の限界・・・、気力もなくなり、引退することになりました。」と言い、「最後に貴花田と当たってね、若い、強い芽が出てきたなと、そろそろ潮時だなと」ともコメントした。

通算成績は1,045勝437敗159休(通算勝ち星は、引退時歴代1位、存命中は魁皇に抜かれ・逝去時歴代2位、現在歴代3位)、勝率.705。
年間最多勝3回、最多連勝記録は53連勝。幕内最高優勝31回(歴代3位)。

中野浩一 1992年6月4日【36歳】

1955年11月14日生まれ。福岡県久留米市出身。

高校時代は陸上競技をやっていたが、けがの為に陸上競技での大学進学を断念。競輪選手だった父親からの勧めで競輪の世界へと入っていく。
1975年、久留米競輪場でデビュー。その後、デビュー戦を含めて18戦無敗の記録を作り、1980年には、日本のプロスポーツ選手として初めて年間賞金獲得額1億円突破を達成した。

※ゲーム(スーパーファミコン):中野浩一監修 競輪王

中野浩一

1977年の世界選手権で日本人として初優勝して以降、1986年大会まで10連覇を果たした。この10連覇のかかる大会の3ヶ月前に落車し、肋骨を5本骨折し、血胸、気胸を併発したが、10連覇への執念から治療、トレーニングを繰り返し偉業を達成している。

国内外で勝ち続けた中野だが、高松宮杯競輪(現在の高松宮記念杯競輪)は特別競輪の中で最後まで優勝できず、1992年大会では決勝戦の2着を最後に引退した。史上3人目のグランドスラム達成はならなかった。

生涯成績は1236走で666勝。通算優勝回数は158回。通算獲得賞金は13億円にものぼる。

原辰徳 1995年10月8日【37歳】

1958年7月22日生まれ。神奈川県相模原市出身(福岡県大牟田市生まれ)。

高校野球界の名将・原貢を父に持ち、原辰徳自身も生徒として東海大相模高校で指導を受け、3年連続で夏の甲子園に出場した。1975年の春選抜では準優勝。

その後、東海大在学中の1980年には、日本で開催されたアマチュア野球世界選手権に大学生としてただひとり日本代表選手に選出。その後、ドラフト1位で巨人に入団した。

※書籍:僕の汗、僕の愛。 いまキミと語りたい (ボム! エキサイティング)

原辰徳

1981年の開幕戦にスタメン出場するなど、一年目からレギュラーを獲得し、最終的に打率.268、22本塁打、67打点の成績を収め、新人王を獲得した。
1983年には球団史上4人目となる3割30本塁打100打点の記録を達成、打点王となった。

1986年、前年を上回るペースで本塁打を記録していたが、9月24日の対広島25回戦で津田恒実の直球をファウルした際に左手首の有鉤骨を骨折、残り試合の欠場を余儀なくされた。この骨折は「事実上、バッター原辰徳は、この骨折の時に終わりました」と後に自らが発言する程の影響があった。

翌年以降もホームラン王争いに加わるなど活躍するが、90年代に入ると怪我との戦いが増えていく。それでも1994年には14年連続二桁本塁打を達成している。

そして、1995年10月8日に現役最後の試合を迎える。原は4番・三塁手として出場し、7回裏の打席で左中間スタンドへ豪快な一発を叩き込んだ。
試合後の引退セレモニーでは「小さい頃 野球選手になりたい、ジャイアンツに入りたい、その夢を持って頑張りました。そして今日、その夢は終わります。しかし、私の夢には続きがあります その言葉を約束して今日引退します。」との宣言と共にバットを置いた。

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