日本で一番古いバラエティ番組は何でしょう??
それは、1953年2月20日から1968年3月25日までNHKで放送されたクイズ番組『ジェスチャー』である。テレビの特性を生かし、その草創期を代表する番組である。テレビクイズ番組の草分けとして有名だ。

出題される「超難問」の例
出演陣の横顔!!

白組キャプテン 柳家 金語楼
なお、両キャプテンは放送開始から、最終回まで15年間変わらずに続く名コンビだった。

進行・司会の小川 宏アナウンサー
1955年より『ジェスチャー』の4代目司会者として10年にわたって活躍。同番組における圧倒的な知名度を背景に1965年1月に退職。
NHK退職後、フジテレビと専属契約を結び、1965年5月より同局朝のワイドショー『小川宏ショー』の司会を通算17年務め、4451回という金字塔を打ち立て、「人名を冠した番組の最長寿記録」としてギネスブックから認定・掲載された。
「それは置いといて・・・」!!
私が一番思い出に残っていることは、複数のジェスチャーを組み合わせるため、もしくはジェスチャーを訂正するための「・・・は置いといて、・・・」(箱を動かすように両手を横に振る)というポーズですね。当時、この番組も公開録画だったのですが、誰かがこのポーズをすると、必ずと言って良いほど見ている観客が口を揃えて「それは置いといて・・・」と驚くほどに合いの手が入っていた記憶が蘇る。
個人芸の世界の三人が集まって、バラエティ形式のコメディを展開した『お笑い三人組』!!

『お笑い三人組』の一場面
『お笑い三人組』とは、落語家の三遊亭小金馬(現:4代目三遊亭金馬)、講談の一竜斎貞鳳、物真似の 3代目江戸屋猫八の寄席トリオが、下町を舞台に三人の持味を生かしたギャグとコントで展開する公開シチュエーション・コメディードラマだった。当時、アメリカのルーシー・ショウと形式が似ていた。
もともとこの番組に出演した三人は、私生活でも仲良しだったことから、この番組ができたとのことだ。寄席では個人芸の世界の三人が、絶妙の掛け合いでコメディを演じるところに新鮮さがあった。
また、この三人の相手役になるのが、妻や妹として出演した楠木トシエ、桜京美、音羽美子の三人だった。
3代目江戸屋猫八と楠木トシエが顔を近づけて、「八ちゃん、おたまちゃん、うー」というギャグが当時大流行だった。また、エンディングでは3人が主題歌を歌い、剽軽に踊りながら終わるのが定番であった。主題歌の歌詞は、「アハハ ウフフ 三人元気に顔出して、ニコニコニッコリ笑ったら、心はいつでも青空だ♪ どこからどこまで青空だ♪ アハハ ウフフ エヘヘの オホホで アハハのハ 僕らはお笑い三人組」というものだった。また、ドラマの途中で「あまから横丁はどこにある? それはあなたの胸の中♪」と女性キャスト3人が歌う副主題歌も人気があった。
また、忘れられないのは、毎回ゲストに歌手が登場し、劇中で物語に関係なく自分の持ち歌を唄うことであった。

楠木トシエ、桜京美、音羽美子
出演陣の横顔!!

4代目三遊亭金馬
2017年現在、東西併せて落語界最古参の落語家であり、現在、唯一の戦中派落語家である。ただし、年齢と真打昇進年を基準に置けば4代目桂米丸が最長老である。


3代目江戸屋猫八
浅草演芸場での芝居公演をそのまま放送していた「デン助劇場」!!

大宮敏充とデン助
大宮 敏充(おおみや としみつ、1913年4月13日 - 1976年12月23日)は昭和時代に浅草を中心に活躍したコメディアンである。本名は、恒川 登志夫。大宮デン助はあるいは単にデン助という愛称で広く知られている人物。彼が演じるキャラクター「デン助」は戦後浅草喜劇界やテレビで一世を風靡した。
この番組は1959年から1972年まで放送されていて、確か土曜日、学校から帰って来るとお約束のように見ていた。これが関西人だと吉本新喜劇の番組なんでしょうかね?!。
ちなみにデン助は浅草国際通りの裏手に実在した経師の木村伝助さんをヒントに考案されたキャラクターだそうで、戦前の1942年から浅草で公演を始めたという。
メリヤスシャツ、腹巻き、背広、ハゲ頭をゆらゆらゆらし、ぐるっとした大きな目玉、青い口ひげをはやし、決まり文句「オレにデンとまかせておけ」と共に、大流行したような・・・。
また、番組内でプレゼントされていた首振り人形(デン助人形)が大層な人気だった。

デン助人形