始めに・・・

故松田優作さんがお亡くなりになられて28年がたちます。
子供の頃から大好きで出演映画やドラマは全て見てきましたが、
11月6日は命日に因んで毎年、出演作品を見る様にしています。
出生
1949年9月21日、山口県下関市で、日本人の父と韓国人の母との間に非嫡出子として生まれました。
父親は長崎出身の保護司で当時39歳、郷里に妻子を持つ180センチメートル近い大柄な男性だったそうです。
2人の異父兄がおり、(異母兄弟もいる) 兄弟仲は良かったが、次第に自身の出生の秘密に気付き始め、それが原因で孤独を感じる様に・・・
留学

モントレー湾
1967年11月、18歳の時に「米国へ行って弁護士になれ」との母親からの厳命により、
不本意ながら下関市立第一高等学校 (現: 山口県立下関中等教育学校)を2年で中退し、
叔母夫妻を頼って米国籍を得る為に渡米する。
カリフォルニア州モントレー郡シーサイド市のシーサイド高校に入学。
挫折

成田空港到着
叔母夫妻の離婚訴訟や言葉のギャップなどに悩み、1968年9月に母に無断でシーサイド高校を中退し帰国する。
帰国後

関東学院大学 金沢八景キャンパス
長兄一家が居住する東京都豊島区のアパートに居候し、私立豊南高等学校夜間部普通科の4年生に途中編入。1970年に関東学院大学文学部に入学する。
俳優へ

金子信雄
1971年3月、21歳の時に劇団『文学座』の入所試験を受けるも一次の筆記試験で不合格。
同年5月、金子信雄主宰の劇団「新演劇人クラブ・マールイ」に入団。
ここで最初の妻美智子と知り合う。
入団後
1972年4月、文学座付属演技研究所十二期生となり、文学座同期には阿川泰子、高橋洋子、山西道広、1期後輩に中村雅俊、1期先輩に桃井かおりがいた。
役者に専念するために、6月には大学に退学届を出す。
無名時代に新宿駅東口のトリスバー「ロック」でバーテンダーを務めていた際に、客として来ていたひし美ゆり子、原田大二郎、村野武範らと知り合い交友を結んでいる。
きっかけ
村野竹範が自身が出演していた『飛び出せ!青春』のプロデューサーである岡田晋吉が新人俳優を探していることを聞き、松田を推薦した。
これがきっかけで、1973年、刑事ドラマ『太陽にほえろ!』にジーパン刑事としてレギュラー出演。
ジーパン刑事
刑事ドラマ『太陽にほえろ!』で一躍人気と活躍が認められました。
特に殉職シーンは話題となり現在でも役者仲間や多くのファンに語り継がれています。
帰化

帰化届
『太陽にほえろ!』出演の同時期、「現在は松田優作という通称名を使っているので番組の関係者にも知られていませんが、もし僕が在日韓国人であることがわかったら、
みなさんが失望すると思います」という理由で法務省に帰化申請を行い、
日本国籍を取得しました。
これにより、通名だった松田優作が本名となったそうです。
暴力事件

通称 東拘・小菅
1976年1月31日、26歳の時、前年7月19日に行なわれた『俺たちの勲章』の鹿児島ロケ打ち上げの際、19歳の予備校生に対して共演者と共に暴力を振るい、
全治3か月の重傷を負わせた容疑で警視庁新宿警察署に逮捕される。
このため、毎日放送の4月新番組『隠し目付参上』をクランクイン寸前に降ろされ、1年間テレビドラマのレギュラー出演を自粛しました。
身柄を東京拘置所に移された後、傷害容疑で起訴され、
同年3月10日、東京地裁で懲役10月、執行猶予3年の有罪判決を受けています。
1979年には
私も大好きで映画館で5~6回観た、村川透監督角川映画『蘇える金狼』に出演。
意外にも・・・

※画像はイメージです。
ハードボイルドのイメージが強い優作さんですが、『太陽にほえろ!』出演当時は運転免許を持っていなかったそうです。
その為、車の運転場面は全て代役で、
『探偵物語』の時にベスパに乗るため自動二輪免許取得し、後に普通自動車免許も取得。
また目も近視で、普段掛けていた眼鏡も上部が黒縁のいわゆるオヤジ眼鏡だったとか。
探偵物語のベスパ

中型自動二輪免許(現:普通二輪)を取得したばかりで、プライベートではホンダGL400に乗っていたところ、友人の岩城滉一が「それダサイよ」の一言で、ベスパを使う決心をしたと云われている。
家族

お若い頃の美由紀婦人
劇団仲間であり、後に『完全なる飼育』などの代表作を持つ作家・松田美智子と1975年 (昭和50年) 9月21日に結婚し、
長女が生まれるも、女優・熊谷美由紀 (現・松田美由紀) との不倫が原因で1981年 (昭和56年) 12月24日に離婚。
その後、龍平出産後に美由紀さんと結婚。
次男・翔太、次女・Yuki(ユウキ。エレクトロニックユニット「Young Juvenile Youth」のボーカル)が誕生。
病と死去
1989年11月6日午後6時45分、入院中の東京都武蔵野市にある西窪病院 (現在の武蔵野陽和会病院)で膀胱癌の腰部転移により死去しました。40歳没。
法名は「天心院釋優道」。
40歳の若さでお亡くなりになられた優作さん、個人的ですが、優作さん位にハードボイルドと言う言葉が似合う役者さんは、もう出てこない様な気がします。
最後に・・・

いかがだったでしょうか?
改めて優作さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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