まずは、「ウエスタン(西部劇)」の基礎知識から!!

映画『駅馬車』の一場面
| Berlinale |
アメリカの南北戦争後、19世紀後半のアメリカ西部を舞台に、開拓者魂を持つ白人を主人公に無法者や先住民と対決するという物語が、白人がフロンティアを開拓したという開拓者精神と合致し、大きな人気を得て、20世紀前半のアメリカ映画やTVの興隆とともに1つのジャンルとして形成された。つまりアメリカの西部開拓期における人々の苦闘や,そこで起きた事件などを題材とした映画、テレビドラマなどを"西部劇”、又は、"ウェスタン”という。
西部劇は映画やTVとともに歴史を歩んできた。そして西部劇はハリウッドが築き上げた独自のジャンルであり、西部開拓の歴史を持つアメリカだからこそ生まれたとも言える。
厳しい自然の中で多くの困難と闘いながら逞しく生きてきた開拓者の物語は、アメリカ人の誇りであり、フロンティア精神と夢を含み、アメリカンドリームそのものであった。アメリカ西部の大自然を背景に開拓者魂(フロティア精神)を詩情豊かに描く西部劇は多くの人々を魅了し、西部開拓時代へのノスタルジーを掻き立てられるものだった。それは19世紀後半の西部開拓時代での開拓者精神を称え、アメリカを発展させたものとして賛美するものであった。
こうした西部劇の基本は強く勇敢なヒーローの存在であり、そのヒーローを演じる俳優は西部劇スターとなった。
当然のことではあるが、私などの世代は当時の映画やテレビの西部劇に夢中だったし、憧れの存在であった。
「ウエスタン(西部劇)の変質、そして衰退!!

映画『折れた矢』の一場面
La flèche brisée - Wild West Movies: le cinéma du far-west
1950年代に入る頃から、フロンティア精神を肯定してそこに主人公(ヒーロー)がいて無法者や先住民を倒す「西部劇」という一つの図式が崩れ始めていった。その代表格である1950年のデルマー・デイヴィス監督『折れた矢』では、先住民は他者で白人コミュニティを脅かす存在という図式ではなく、先住民の側から描き、戦いを好むのではなく平和を求める彼らの姿が描かれた。それは当時、黒人の地位向上を目指す公民権運動が次第に激しくなる時代に入り、人権意識が高まる中でインディアンや黒人の描き方が批判されるようになり、単なる勧善懲悪では有り得ない現実を浮かび上がらせ、それまでの西部劇が捨象してきた問題に対して向き合わざるを得なくなったことであった。単に勧善懲悪で、開拓者精神を肯定する強いヒーローがいて、悪を倒すそれまでの図式も崩れていった。それまでの西部劇映画にあった悪に立ち向かうヒーロー像はもはや存在せず、何が正しくて何が悪いか、明らかにしないままにただ主人公の人間らしさが主になって、そこではもはやヒーローが描きにくくなったのである。このような傾向は、従来からの西部劇ファンが離れていく結果を招いてしまう。そして製作費の高騰もあってイタリアなどの海外で作成された、いわゆる「マカロニ・ウェスタン」と呼ばれる多くの西部劇が作られ始めるきっかけになったのである。
「マカロニ・ウエスタン」とは??
実は、マカロニ・ブームが巻き起こる数年前から、ジャガイモ(ドイツ)製の西部劇があった!!

映画「Der Schatz im Silbersee」の一場面
Lex Barker (*1919) · Portrait · KINO.de
マカロニ・ウェスタン発生の先駆となったのは、一つに「カール・マイ西部劇」とよばれる一連の西ドイツ映画があげられる。カール・マイは19世紀の作家で冒険小説を数多く書いた有名作家で、その作品の中にはアメリカ・インディアンを主人公とした小説もあり、ドイツではさかんに映画化されていた。ロケ地はユーゴスラビア(当時)で、マカロニ・ウェスタン登場以降も引き続いてドイツでも西部劇が作られていった。マカロニ・ウェスタンには制作や俳優の面で西ドイツ映画界が相当関与しているが、それはそういう歴史的背景があるからだ。例えば『荒野の用心棒』はドイツでは「イタリア映画」とは言わずに「伊・西独・西合作」と定義されている。
イタリアの「サンダル映画」の衰退も強く影響!!

「サンダル映画」の代表作の一例
剣とサンダルの挽歌 ~イタリア歴史活劇映画大全 (映画秘宝COLLECTION 40) | 二階堂 卓也 |本 | 通販 | Amazon
1960年代中盤以降、イタリア映画産業が斜陽の道に向かい始め、経営危機に陥り、活路を見いだすために「西部劇」が製作され始めたのである。
マカロニは、中身がないという暗喩も含まれるという説もある!!

一般的なマカロニの一例
実は、マカロニにしろ、スパゲティにしろ、「蔑称」の側面があり、「駄作」の烙印を押し付けられたマカロニがマイナージャンルとして、米国の劇場から干されてしまう歴史があった。
「マカロニ・ウエスタン」が米国へと渡った際、大歓迎されると思いきや、痛烈な批判とバッシングを受け、銀幕から干されるという憂い目にあってしまったのだ。
映画『キル・ビル』は「ハンバーガー・チャンバラ」かな?!

映画『キル・ビル』の殺陣場面
Here Are Some Epic Fight Scenes From Quentin Tarantino Movies To Console You Now That He's Not Making That Western
模倣による粗製濫造も人気低迷の一因!!
批判を集めた最大の要因の一つに、模倣による似たような作品が濫造され、しかも粗悪すぎたのだ。
「マカロニ・ウエスタン」三大傑作でも米国での評判はイマイチだった!!
セルジオ・レオーネが監督した「マカロニ・ウエスタン」の三大傑作、『荒野の用心棒(A Fistfull of Dollars. 1964 伊)』、『夕陽のガンマン(For A Few Dollars More. 1965 伊)』、『続・夕陽のガンマン(The Good,Bad And The Ugly. 1966 伊)』と言えども、米国ではイマイチな反応だった。
日本やヨーロッパでは、絵画のように緻密な構成、表情を汲み取るアップ、独特な空気感を醸し出す長回し、などなど斬新な手法を用いて男同士の薄暗い絆にスポットを当てたドラマとして、すこぶる評価され熱烈に歓迎された。このように、上記三部作は当然の如く、大金を生み出したのであった。
だが、暫くすると二匹目のドジョウを狙う輩が横行し始める。レオーネ監督のような巧みなレイアウトや撮影技法など無視し、上辺だけに着目した乱雑な模倣品が次々製作されるようになった。結局、業界は急速なマンネリズムに襲われしまい、小さな金鉱脈が尽きるとたちまち荒れはてゴーストタウンと化した街のように、たった十数年の間にマカロニ・ウェスタンは衰退してしまうのであった。