プロレス業界内外を問わず、多くの人を魅了し続けるアントニオ猪木。
そんなアントニオ猪木を心から敬愛するモノマネ芸人として知られるアントニオ小猪木。
読者の皆さんの中には「とんねるずのみなさんのおかげでした」の名物コーナー「博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜」で爆笑を誘ったアントニオ小猪木の「サイレント落下」を憶えている方も多いことでしょう。
アントニオ猪木の形態模写一筋に16年。
今もなお所属する西口プロレスのタレントとしてリングに上がり続けるアントニオ小猪木さんに、ミドルエッジ編集部(ミド編)はインタビューの機会を頂戴しました。
アントニオ小猪木さん
アントニオ猪木モノマネで16年、アントニオ小猪木さんです!
「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」でのサイレント落下はお茶の間を爆笑の渦に巻き込みましたが、やはり幼いころからアントニオ猪木さんへの憧れを抱いていらっしゃいましたか?
遊びの天才!?埼玉に育った少年時代
コント師やTVスター、幼い頃よりエンターテイナーを夢見ていた小猪木さん。
幼少期はどのように過ごされていましたか?
あ、たしかに今思えば幼いころに観た特撮やアニメって夕焼けのシーンが印象的でした。
そしてエンディングテーマはどこかもの悲しい…。
経験から学んで感性が磨かれていく
2007年のTBS「オールスター感謝祭 '07秋」の赤坂5丁目ミニマラソンで優勝するという(笑。
地元ではいつも、年の離れた上級生と下級生が一緒に遊んでいた
少年時代はどんなことをして遊んでいらっしゃいましたか?
幼いころは1学年も違えば体格のハンデがありました。
下級生でも遊べるようにルールを自分たちで工夫しましたよね。
一方、当時は日本全国でファミコンブームが巻き起こった時代でもありました。