まずはとにかく映画館情報。大きいハコも、名画座も。
ぴあ創刊当時から隔週刊になるころは、東京にはたくさんの映画館がありました。
東京都内だけで300近い映画館があったんです。
たとえば、1982年当時で一番多かったのは新宿で、38件の映画館が掲載されていました。
1982年6月の新宿映画館MAP
ぴあ 1982年6月18日号
今新宿にある映画館は9館。1981年時点で存在していた映画館は、
「新宿ピカデリー」「テアトル新宿」「新宿武蔵野館」の3館のみです。
ミラノ座が2014年末に閉館したのは本当にさびしかった(涙
1985年2月22日号 ロードショウページ
○即/古いぴあ/1985年/2.22/NO.234/及川正通 - ヤフオク!
近日上映の映画の紹介も、きちんと出ています。
邦画ロードショウのページには、にっかつロマンポルノとかの紹介も載っていて、こっそり見てもやもやドキドキしたりしてたよ。
映画館のスケジュール一覧
ぴあ 1982年9月24日号
「映画の街角」というタイトルのページ
ぴあ 1982年9月24日号
映画館、上映映画、年月日と上映開始時間がこんなに細かく書かれています。
今はWEBですべて見られますが
それを一つの誌面にぎゅううっと詰め込んだ状態です。
しかも当時は2本3本の複数上映が普通にありましたから
そのことも含めると情報量は膨大ですよね。
映画館ごとの開始時間の情報はとても重要でした。
何時に始まる、が知りたいのはもちろんですが、
前の回の終了直前に館内に入って、席を取るためでもあります。
当時の映画館はいつでも出入り自由で、
現在みたいな完全入れ替え制の上映館はほとんどなかったです。
2~3本同時上映の映画は「名画座」と呼ばれる映画館でやっていて
「封切り館」と呼ばれる大きい映画館で上映されるような、そのシーズンの新作ではなく
リバイバルだったり、なんらかのテーマに沿ったチョイスをしていたりと
各名画座ごとに個性がありました。
三鷹オスカーの半券
ケロリン
今はなき「三鷹オスカー」は、あまり有名ではないけど珠玉のいい映画を並べていて
しかも「ぴあ」を持っていくと100円引きしてくれるので
けっこうオールで通ったりしてました。
体力あったなあ。昔は。
大きい上映館から、2~30名しか入れないようなミニシアター
さらに公共施設で行う上映会や、高校・大学の映画研究会の上映スケジュールまで
すべて平等に情報掲載するのが「ぴあ」のモットーだったようです。
映画だけじゃない。演劇も、コンサートも。
もちろん掲載されているのは映画情報だけじゃないです。
演劇も、コンサートも、チケットが必要な商業ベースのものだけでなく、
自主的な上演や無料のライブまで、きちんと網羅されていました。
1982年9月24日号 コンサートページ
ぴあ 1982年9月24日号
1980年代後半は「小劇場ブーム」と呼ばれ
原作・脚本・監督・主演・大劇場・スポンサーありきの商業ベースの演劇ではなく
劇団がオリジナルの作品を小さいハコで上演するスタイルの興行が定着しブームになりました。
その筆頭が野田秀樹の「夢の遊眠社」。
それから鴻上尚志「第三舞台」、
そして三谷幸喜「東京サンシャインボーイズ」。
これらのチケットを取るために、いつ、どこで前売りを始めるか
その情報は常に「ぴあ」から得ていました。
演劇やコンサート情報は、新聞記事か新聞広告、それと「ぴあ」しかなかった当時
いつもこのページを見れば情報がある、という安心感は、絶大でした。
FMラジオは番組情報だけでなく曲目まで
1980年前後は、東京ではFM局は2局だけでした。
NHK-FMとFM東京。
扱う局が少ないせいもあると思いますが
1~2週間の番組表と一緒に、
オンエアする予定の楽曲の、アーティストごとのインデックスもついていました。
そのころはラジカセで音源を録って、ウォークマンで聴く
そういうスタイルが定着していましたから
できるだけ音のいいFMラジオで録音して、外に持ち出して聴いていたものです。
そのためにも楽曲のインデックスはとても重宝していました。