「金鳥の夏、日本の夏」で有名な金鳥『蚊取り線香』のCM
夏になると毎年のようにテレビで見かける金鳥『蚊取り線香』のCM。
80~90年代のCMから浴衣姿の美女が登場するイメージが強い。
「金鳥」は社名ではなく商標であり、正式な社名は大日本除虫菊株式会社である。
歴史は古く創業は1885年(明治18年)。
棒状の蚊取り線香「金鳥香(きんちょうこう)」の発売開始は1890年(明治23年)。
そして、有名な渦巻き型蚊取り線香の発売開始は1902年(明治35年)である。
その歴史ある金鳥『蚊取り線香』のテレビCMが始まったのは1970年頃。
初代イメージキャラクターは美空ひばりであった。
「美女と浴衣」を打ち出した80~90年代のCM
キンチョール、コックローチS、タンスにゴンなど他の製品ではお笑い芸人などを起用し、ユーモアあるテイストを重視した金鳥CMであったが、蚊取り線香では「夏」を強く連想させる浴衣美女をメインにしたCMになっていった。
その流れは1980年頃から数年に渡って起用された小柳ルミ子が起点になっている。
小柳ルミ子 金鳥『蚊取り線香』CM
天地真理・南沙織と合わせ『三人娘』と呼ばれ、1970年代前半を代表するアイドルであった小柳ルミ子。
アイドルから正統派歌手への転身に成功し、20代後半になり大人の色気が漂いはじめた頃でのCM起用であった。
数年に渡って続いた金鳥CMで『和服美女』のイメージが定着した小柳ルミ子は1983年に公開された文芸原作の映画『白蛇抄』で主演に起用され、初のヌード撮影にも挑戦する迫真の演技で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞した。

映画『白蛇抄(はくじゃしょう)』
山咲千里 金鳥『蚊取り線香』CM
1979年、高校在学中にNHK朝の連続テレビ小説『鮎のうた』ヒロインオーディションに合格、女優デビューした山咲千里(やまざき せんり)。
清純派・おとなしい女性の役が多かったが、1988年公開の映画『肉体の門』に出演、娼婦を演じてそれまでのイメージからの変化を見せた。
その1988年に、金鳥『蚊取り線香』CMに起用された。
山咲千里はその後、1992年にボンデージファッションへの傾倒を大胆に披露した写真集『ANOTHER SKIN』を発売しセクシー路線に本格移行した。
十朱幸代 金鳥『蚊取り線香』CM
1958年、NHK『バス通り裏』でドラマデビューした十朱幸代(とあけ ゆきよ)。
お嬢さんや優しい母親など親しみやすい役を多かく演じてきたが、イメージチェンジを狙い1983年の映画『魚影の群れ』で大胆な濡れ場に挑戦。
以降、幅広い役を演じ、1987年には『極道の妻たちII』で主演。
同年の『夜汽車』でも45歳(当時)の熟れたヌードも披露していた。
1990年から5年ほど起用された金鳥『蚊取り線香』のCMでは、入浴シーンなどで白く美しい肌を惜しげもなく披露。
当時48~52歳頃であったとは思えない美魔女ぶりを発揮し、それまでのCM路線を遥かに上回るセクシーさで世のお父さんたちの目を釘付けにした。
石川さゆり 金鳥『蚊取り線香』CM
1995年から起用されたのは前年の十朱幸代出演バージョンでCMソングを担当した石川さゆり。
「津軽海峡・冬景色」「波止場しぐれ」「天城越え」「夫婦善哉」など多くのヒット曲を世に送り出し、日本を代表する女性演歌歌手の一人となっていた石川さゆりは当時37歳。
時代の変化からか、十朱幸代の『妖艶な妻』路線から、『優しく美しい母』路線に変更。
洋服で登場するバージョンもあったが『着物の似合う美女』という流れはきっちり踏襲されていた。
演歌歌手である石川さゆりのイメージと、日本の夏の風物詩である蚊取り線香のイメージはフィットし、1995~2003年まで長年に渡って起用され続けた。
近年の金鳥『蚊取り線香』CM
石川さゆり以降は『和風美女』路線ではなくなり、ジャズ・ヴァイオリニストの寺井尚子(2004年~2006年)や俳優・藤原竜也(2010~)が出演している。
現在のCMに不満があるわけではないが、80~90年代に放送されていたCMによって、金鳥『蚊取り線香』といえば、「浴衣美女」というイメージが私の脳には擦り込まれている…。
和風美女路線で、ちょっぴりセクシーなやつをぜひ復活させて頂きたい。
CMの最後に出てくる文字仕掛花火はどこ?

金鳥CMで登場する文字仕掛花火
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