夢中で曲ばかり聴く日々、遅れてやっと気づく聖飢魔Ⅱのコンセプトというもの
2015年の8月、聖飢魔Ⅱに出会ってからの私はというと取り憑かれたように曲を聞き続け、自分のツイッターを荒らすかのような聖飢魔Ⅱツイートだらけだった。
こんな勢いでハマるのは人生初だったので周りが見えていなかったのだろう…
彼らは何者でどんな活動をしてきたのか?
私はしばらく活動絵巻を見続け楽しんでいたが、実を言うと彼らが何者でどんな活動をしてきたのかは、はじめは興味なかった。
その時の私にとって重要だったのは曲のカッコよさと、パフォーマンスの満足度だったので、彼らが何者なのかはとりあえず重要ではなかったのだ。
説明が少しややこしくなったが、うどんも器も、つまり彼らの曲も、パフォーマンスも、信念も、見た目も、周りのスタッフにいかに愛されているのかを含めて好きになり、自他共に認める聖飢魔Ⅱ信者へとなったのは後になってからだった。
(ツイッターを見ている人は分かりずらいかもしれないが私の中で当時まだ、聖飢魔Ⅱのここからここまでが好きという明確な線引きがあった)
「解散したのになぜこんなにかっこいいんだろう」
ある日再集結の活動絵巻を見ている時に私の中にフッとこんな疑問が芽生える。
「解散したのになぜこんなにかっこいいんだろう」
なぜカッコいいのか、なぜ輝いて見えるのか、私は一体彼らの何に惹かれたのか、聖飢魔Ⅱ好きをこじらせて一周まわってどんどんわけの分からない思考回路になっていく。
それからは活動絵巻以外に書籍や写真集のようなものを集めてみたり(悪魔用語は割愛)閣下のお言葉、いわゆるMCに耳を傾けてみたり、構成員のインタビュー記事を読んでみたりと私の中で聖飢魔Ⅱがどんどん大きくなっていくのを感じた。

私からみて彼らはそれぞれの中にまっすぐの、折れない槍のようなものを持っていてそれを軸にして聖飢魔Ⅱというバンドがまわっているといった感じだ。なにがあってもその軸がぶれたり折れたりすることはない...
その槍はそれぞれで別々の色や形をしていて同じものはないのだが、構成員みんな同じなのは自分達が楽しめることをやりたい、という思いでいてくれてること。
聖飢魔Ⅱそのものを私達信者以上に彼等が楽しんでいるのだ、10万年以上生きてるのに。
どの年代の映像記録もインタビュー記事もまるで少年のようにキャッキャとはしゃいで楽しんでいるように見える。
世間の凝り固まった悪しき常識とされるものをぶち壊し自分達の住みやすい世界にしようと悪魔教を広める聖飢魔Ⅱ、私はまんまとその教えに絡めとられたのだ。
ミニコラム《悪魔用語》
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