日本を代表する歴史小説作家だった司馬遼太郎
産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。歴史小説に新風を送る。代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』など多くがあり、戦国・幕末・明治を扱った作品が多い。
数ある歴史小説の中には大人気となったものも多く、本稿ではなかでもテレビドラマ化されたものについてまとめることとしたい。
新選組血風録
1962年に新選組副長土方歳三を主人公とした長編『燃えよ剣』を発表した司馬遼太郎は、同年5月から12月に「小説中央公論」で新選組を題材とした15編の短編を連載した。これが1964年に中央公論社から短編集『新選組血風録』としてまとめられた。
各話ごとに異なる実在と架空の隊士が主人公となり、主に土方歳三と沖田総司がストーリーの主要登場人物となり構成されている。局長の近藤勇も多く登場するが、土方、沖田に比べるとやや脇役的存在となっている。隊士の中では斎藤一と山崎烝も登場回数が多い。
司馬が最も脂が乗っていた時期の作品で、巧みな文章とストーリー構成、キャラクター造形で高い評価を受け、新撰組物の定番小説として非常に長い間版を重ね、現在に至るまで書店に並び、愛読されている。
読者が多く影響力が強いために、この作品に描かれているのがそのまま史実の新選組と受け取る読者も少なくないが、これはあくまでも大衆小説であり、小説とするために史実を意図的に変えているもの)や、根本的に架空のストーリーも含まれている。
近藤、土方、沖田、斎藤、井上などの人物像も、あくまでも小説の登場人物としての性格設定である。
1965年
1965年 制作NET 主演:栗塚旭、島田順司
1960年代のモノクロ作品で、全話ビデオソフト化され、DVD化もされている。俳優は東映所属の俳優だけではなく、劇団くるみ座や東京芸術座などから起用している。
土方歳三を演じた栗塚旭、沖田総司を演じた島田順司、斉藤一を演じた左右田一平は彼ら3人を主要キャストで起用した『俺は用心棒』も制作・放送されシリーズ化された。
司馬の原作以外にオリジナルのストーリーも含まれている。原作にはない新選組の没落と近藤の死もあり、最終回は箱館戦争での土方の死となっており、『燃えよ剣』の要素もある。
当初、司馬遼太郎は東映によるテレビドラマ化に難色を示していた。東映が映画化した『新選組血風録 近藤勇』の改変に不満を持っていたためだった。
それを説得するため、プロデューサーの上月信二は土方歳三に扮した栗塚旭と共に司馬へ挨拶に行くと、それを見た司馬が「土方そっくりや!」と絶賛し、ドラマ化が決定した。
1998年
1998年 テレビ朝日 主演:渡哲也
渡が演じる近藤勇が主人公でストーリー構成の中心となっており、土方と沖田がストーリーの中心だった原作とは雰囲気が違う。近藤の人物像も文武を共にわきまえた完璧な君子像で、大器だが間の抜けたところや俗物的な性格がある原作の近藤像とはかなり異なる。
初回は2時間スペシャルで池田屋事件(ただし山崎烝の出自にまつわるエピソードではない)。原作からは「芹沢鴨の暗殺」「沖田総司の恋」「鴨川銭取橋」「長州の間者」「油小路の決闘」などがドラマ化された。
芹沢は主題歌を歌った松山千春が演じている。男色を扱った「前髪の惣三郎」もドラマ化された。最終回は年末の12月30日に2時間30分拡大スペシャルで放送されたが、ドラマとしては条件が良くない昼間(15:00 - 17:30)の放送だった。
最終回の時間の半分は総集編で、最後のエピソードは沖田の死を暗示する「菊一文字」。新選組の没落と近藤、土方の死まで描かれたが、この部分は非常に駆け足で5分程度だった。
2011年
2011年 NHK 主演:永井大
竜馬がゆく
『竜馬がゆく』(りょうまがゆく)は、司馬遼太郎の長編時代小説。幕末維新を先導した坂本龍馬(竜馬)を主人公とする。
「産経新聞」夕刊に1962年6月21日から1966年5月19日まで連載し、1963年から1966年にかけ、文藝春秋全5巻で刊行された。1974年に文春文庫創刊に伴い全8巻で刊行、単行・文庫本ともに改版されている。
司馬の代表作であり、世間一般でイメージされる竜馬像はこの歴史小説で作られたと言ってもよい。
これまでに、大河ドラマの他に、民放各局でも何度かテレビドラマ化されている。とりわけ萬屋錦之介は中村錦之助時代から、この作品の「竜馬像」に惚れ込み、中村玉緒や弟の中村嘉葎雄等とも、初版刊行まもない時期に舞台公演をしており、司馬自身の「楽屋訪問」や「打ち上げ」での写真もある。
1968年
1968年 NHK 主演:北大路欣也
明治百周年を記念して制作された、大河ドラマ初の司馬遼太郎原作ドラマ。近代日本の扉を大きく開いた青年・坂本龍馬の生涯を描いた作品。
前年の『三姉妹』に続く幕末ものであり、『独眼竜政宗』『武田信玄』以前では、同じ時代の作品が2年続いた唯一の例であった(ただし、『独眼竜政宗』『武田信玄』は広義の戦国時代を舞台としてはいるが、前者は安土桃山時代、後者は狭義の戦国時代を舞台としており、正確には同じ時代の作品ではない)。
また、前年の大河ドラマの登場人物が主人公になった例としては、現在も唯一である。大河ドラマとしては、最後のモノクロ作品である。大河ドラマで初めて、短期ながら当地(高知)ロケが行われた作品でもある(1968年3月)。
1982年
1982年 テレビ東京 主演:萬屋錦之介
1978年、東京12チャンネル(現・テレビ東京)の当時の中川順社長が「チャンネルイメージを上げるようなデカイことをやりたい」と〈12時間時代劇〉構想をブチ上げたのを始まりとする。
あまりのリスキーな構想に消極論が社内の大勢を占めたが、中川社長が後へ退かず、結局社運を賭けた大イベントとして実行に移された。
翌1979年、東京12チャンネルの開局15周年記念の一環として映画『人間の條件』を12時間に亘り放送、翌1980年も映画『宮本武蔵』を一挙放送した。その反響の大きさから、1981年からはいよいよオリジナルドラマの制作に乗り出し、同年『それからの武蔵』を放送、以降はテレビ東京オリジナルの「12時間超ワイドドラマ」(放送時間も同日の12時から24時までの12時間)を放送する様になった。
1997年
1997年 TBS 主演:上川隆也
2004年
2004年 テレビ東京開局40周年記念 主演:市川染五郎
燃えよ剣
『燃えよ剣』(もえよけん)は、司馬遼太郎の長編歴史小説。新選組副長土方歳三の生涯を描く。
1962年(昭和37年)11月から1964年(昭和39年)3月にかけ『週刊文春』に連載され、単行本は新潮社で上下巻にて刊行、現在は新潮文庫上下巻(改版2007年)で重版している。
多摩時代から新選組結成、各地での戦闘、そして箱館戦争において土方歳三が戦死するまでが、「喧嘩師」の生涯として描かれている。
1970年
1970年 製作:NET・東映京都テレビプロ 主演:栗塚旭
国盗り物語
国盗り物語』(くにとりものがたり)は、司馬遼太郎の歴史小説。斎藤道三編・織田信長編の、二編構成からなる。
1963年から1966年にかけて『サンデー毎日』に連載。新潮社で、1965~67年に全4巻と前・後編2巻の単行本(新版は1991年)で刊行。新潮文庫全4巻で多数重版している。『司馬遼太郎全集. 10・11』(文藝春秋)にもある。
一介の油売りから身を起し美濃一国を手に入れた斎藤道三、道三の娘婿であり、尾張一国から天下布武を押し進めた織田信長を主人公とした作品。
連載当初は道三の生涯のみを扱う構想で、題名の「国盗り物語」は道三の生涯にちなんでいる。編集部の意向を受けて連載は続けられ、道三が主役の斉藤道三編では美濃一国を手にするまでの争いだったが、信長が主役となる織田信長編では信長編と銘打ちながらも、道三の甥にあたる明智光秀がクローズアップされ、光秀の視点で信長が語られている。
信長の前に立ちはだかる敵対勢力も武田信玄、石山本願寺、毛利家など名だたる大大名や一大勢力になり、天下統一を賭けた戦いへとスケールアップ。クライマックスは天下統一の夢を抱いた道三の相弟子と位置付ける両者が最終的に本能寺の変で激突し、重層的な構造になっている。
司馬遼太郎の長編小説の中でも構成に破綻がなく秀作と評される傾向にあり、伊東光晴らが1994年に選んだ「近代日本の百冊」(講談社)の中の一冊に選ばれている。
1973年
1973年 NHK大河ドラマ 主演:平幹二朗
司馬遼太郎の同名小説『国盗り物語』を核に、司馬の『新史太閤記』『功名が辻』『尻啖え孫市』『梟の城』などを合わせて大野靖子が脚色した。
美濃一国を「盗る」ことに生涯を賭けた斎藤道三と、彼に後継者と目され共に天下統一に邁進しながらも、最期には本能寺で激突する織田信長と明智光秀の生き様を描いていく。司馬作品をテレビドラマ化したもの。
前作『新・平家物語』がベテラン俳優を中心としたドラマであったのにくらべ、『国盗り物語』は、高橋英樹(信長)、近藤正臣(光秀)、火野正平(秀吉)、松坂慶子(濃姫)など20代中心の布陣であった。
これは、当時のプロデューサーが放送前年に颯爽と首相に就任した田中角栄に織田信長の姿を見出し、そのあふれるエネルギーをドラマで表現したかったからだという。
原作は道三と信長の二人がリレー形式で主人公になっているが、ドラマはこの形式を踏襲しつつも実際の主役は信長となっている。
2005年
2005年 テレビ東京 主演:北大路欣也
花神
『花神』(かしん) は、司馬遼太郎の長編歴史小説。日本近代兵制の創始者・大村益次郎(村田蔵六)の生涯を描く。1969年(昭和44年)10月1日から1971年(昭和46年)11月6日まで『朝日新聞』夕刊に、633回にわたって連載された。
周防国吉敷郡(現在は、山口県山口市に編入)の百姓に生まれた村田蔵六(後年大村益次郎と改名)は、郷里を発ち、大坂適塾に緒方洪庵らを師として研鑽を積み、抜群の成績を上げ塾頭にもなった。
医師として故郷防長に戻った蔵六だが、人と交わるのが不向きなため田舎では変人扱いされていた。
黒船来航・開国開港など時代が大きく変化し始め、諸大名が最先端の科学研究とその実用化に向け本格的に動き始め、ずば抜けて洋書を解読し著述ができる蔵六は、シーボルトの弟子二宮敬作の進言で、四国宇和島藩の軍艦建造に招かれ、それを機に洋学普及のため、江戸で私塾「鳩居堂」を開き、幕府の研究教育機関(蕃書調所のち開成所)でも出講するようになる。
出世をしても自らを売り込むことに興味のない蔵六だが、維新倒幕へ向け藩内改革を目論む長州藩志士桂小五郎は、江戸で出会った蔵六をさまざまな経緯を経て藩士として招き、軍政改革の重要ポストに就けた。
その出自に対し藩内でも差別や抵抗を受けつつ、また尊皇攘夷など狂奔な活動を起こし続ける長州藩に侮蔑の念を隠さない多くの蘭学者・洋学者(福沢諭吉)たちの白い目を承知しつつ、蔵六は時代に花を咲かせる花神(花咲か爺さん)としての役割を担っていく。
長州征伐における勝利を収め間もない高杉晋作の没後に、奇兵隊を倒幕に向け再編成し、大政奉還後に発足した官軍における事実上の総参謀を務め、戊辰戦争の勝利に貢献し明治維新確立の功労者となった。さらに維新政府の兵部大輔として軍制近代化の確立を進めてゆく。
一方で(本人は意に介さなかったが)、旧来の思考でしか判断のできない者(海江田信義・大楽源太郎など)からの偏見・嫉妬・批判はさらに深まり、遂に京の宿泊先で遭難した。死の床にあってもやがて来たる最後の大乱「西南戦争」を予感し、新製の大砲を用意しろという遺言を残し、最後まで技術者・実務家を通し生涯を終える。
1977年
1977年 NHK大河ドラマ 主演:中村梅之助
周防の村医者から倒幕司令官に、明治新政府では兵部大輔にまで登りつめた日本近代軍制の創始者・大村益次郎を中心に、松下村塾の吉田松陰や奇兵隊の高杉晋作といった、維新回天の原動力となった若者たちを豪快に描いた青春群像劇。
司馬遼太郎の小説『花神』(主人公:大村益次郎)、『世に棲む日日』(主人公:吉田松陰と高杉晋作)、『十一番目の志士』(主人公:高杉晋作と天堂晋助)、『峠』(主人公:河井継之助)、『酔って候』の「伊達の黒船」(主人公:伊達宗城と前原巧山)の五作品を、脚本家の大野靖子がドラマ化した。(前記以外にも『燃えよ剣』等の司馬作品からの引用も散見される)
「火吹きダルマ」と称された風貌で、技術者的な無骨さを最後まで崩さない大村益次郎を前進座の歌舞伎役者・中村梅之助が演じ、もう一人の主人公とも言うべき高杉晋作を、時代劇初出演の中村雅俊が演じた。
梅之助の演技に、原作者の司馬は「梅之助さんは見事に演じきってくれた。演芸史に残る演技だ」「滅多におかしがることのない蔵六も『梅之助氏の演じた蔵六こそ私です』と顔をゆがめるだろう」などと賛辞を送った。
風神の門
『風神の門』(ふうじんのもん)は、司馬遼太郎の長編時代小説。1961年(昭和36年)から1962年4月まで『東京タイムズ』に連載された。単行本は1962年に新潮社から刊行され、現行は新潮文庫(新版全2巻)で多数重版され、春陽文庫全1巻と『司馬遼太郎全集.2』(文藝春秋)にも収められている。
戦国時代の忍者・霧隠才蔵こと服部才蔵が主人公となっている。真田十勇士を題材にした作品であるが、猿飛佐助と霧隠才蔵以外の十勇士は殆ど描写されていない。また、作品に登場する忍術は一貫して合理性を持たせて描写されており、忍術ものとしては荒唐無稽な描写が少ない作風となっている。
1980年
1980年 NHK水曜時代劇 主演:三浦浩一
関ヶ原
『関ヶ原』(せきがはら)は、司馬遼太郎の歴史小説。関ヶ原の戦いを描いた作品で、『国盗り物語』『新史太閤記』と並ぶ司馬の「戦国三部作」であり、『覇王の家』『城塞』と並ぶ「家康三部作」の一つでもある。
1964年(昭和39年)7月から1966年(昭和41年)8月にかけ「週刊サンケイ」で連載され、同年に新潮社で、初版単行本・上中下巻が出版された。1974年には新潮文庫版全3巻が刊行された。双方とも多数重刷し、何度か新装改版されている。なお『司馬遼太郎全集』(文藝春秋)では、14巻・15巻(『豊臣家の人々』と併収)に収められている。
太閤豊臣秀吉の逝去に端を発した五大老筆頭・徳川家康と、五奉行の一人で秀吉の信頼が厚かった石田三成との抗争は、やがて全国各地へ飛び火し、各国の諸大名を東西軍に分け、天下分け目の合戦の地・関ヶ原へと駆り立てていく。
物語は徳川家康とその謀臣・本多正信、石田三成とその重臣・島左近の4人の人間模様と謀略戦を中心に描かれるが、その対立構図だけでなく、上杉・毛利・島津・鍋島・真田・長宗我部といった各地の有力大名の内情も述べてゆくことで、マクロな視点で関ヶ原の戦いへ至る情勢を描いている。
1981年
1981年 TBS開局30周年記念番組 主演:森繁久彌
石田三成と徳川家康を主人公に、豊臣秀吉の死から天下分け目の関ヶ原の合戦に至るまでの過程を壮大なスケールで描く。
このドラマの最大の特徴は、それまで「徳川家康に無謀な戦いを挑んだ愚か者」もしくは「太閤亡き後の実権を握ろうとした奸臣」として描かれがちだった石田三成を、司馬の原作に即した「豊臣家への忠義に熱い正義の人」として主人公に据えた点にある。
このドラマの放映前にもNHK大河ドラマ『黄金の日日』などのように三成を悪役として描かないドラマはあったが、それらは全て三成が脇役として描かれるのみであり、本格的に三成を主人公に据えて描いたのはこのドラマがはじめてである。
ただし、一方的に美化するのではなく、融通のきかない性格から敵を増やし破滅していく過程を客観的に描く視点は、原作に忠実である。逆に、徳川家康に関しては司馬の原作と異なり、原作のように「陰謀家の狸オヤジ」という描き方はせず、関ヶ原の戦いの後に豊臣家の忠臣としての三成に敬意を表して涙するといった、懐の大きい人物として描いている。
翔ぶが如く
『翔ぶが如く』(とぶがごとく)は、司馬遼太郎の長編歴史小説。現行判は、文春文庫全10巻と『司馬遼太郎全集 35・36・37・38巻』(文藝春秋)。
題名は司馬と交友があった宮城谷昌光によれば、詩経小雅・鴻雁の什にある「斯干」という漢詩の「鳥のこれ革(と)ぶが如く、キジのこれ飛ぶが如く」から取ったものであるという。「斯干」は兄弟が仲良く新しい宮室を建てるという詩であり、明治という国家を作り上げた西郷隆盛と大久保利通を兄弟のようだと捉えているのだという。
上記の引用の通り、本来「翔ぶ」と書いて「とぶ」という読み方はせず、字義または飛翔の語句から「翔」の字を当て字として使用したとされる。近年子供への命名に「翔」の字を使用し「と」と読ませるケースが見られるが、この小説により広まった可能性がある。
1972年(昭和47年)1月から1976年(昭和51年)9月にかけ、「毎日新聞」朝刊に連載された。
薩摩藩士として明治維新の立役者となった西郷隆盛と大久保利通。この二人の友情と対立を軸に征韓論・ 明治6年政変などを経て、各地で起こった不平士族の反乱、やがて西南戦争へと向ってゆく経緯と戦争の進行を、著者独特の鳥瞰的手法で描いた。
「坂の上の雲」と並び、司馬作品中で最も長い長編小説で、登場人物も西郷・大久保以外に極めて多岐にわたる。中でも薩摩郷士の代表として大警視となった川路利良と、幕末期は西郷の用心棒として、維新後は近衛陸軍少将として薩摩城下士のリーダー的存在となった桐野利秋の二人が重要な位置を占めている。
1990年
1990年 NHK大河ドラマ 主演:西田敏行
原作は70年代に執筆された征韓論争から西南戦争までを描いた長編作品。そのため原作では、西郷・大久保の若年時代は描かれておらず、第二部「明治編」のみが原作に該当する。
第一部「幕末編」は原作の挿話と、同じく幕末維新期を描いた司馬遼太郎の『竜馬がゆく』『花神』などの長編小説や『最後の将軍』『きつね馬』『酔って候』などの短編小説をもとに書かれた、脚本家・小山内美江子のオリジナルストーリーである。また、原作では川路利良も中心人物の一人だが、ドラマではあまり踏み込んだ描かれ方はされていない。
原作では西郷・大久保をはじめ多くの薩摩人は無口な人物として描かれ、沈黙に耐えられる薩摩人の器量を他藩出身者と比較して描写しているが、脚本を担当した小山内美江子は「無口だとドラマにならない」と泣く泣くセリフを継ぎ足したという。原作者の司馬もその点に関しては寛容であり、対談で小山内の苦労をねぎらった。
第一部、第二部を通じてナレーションは全て鹿児島弁である(第一部のナレーションを担当した草野大悟は鹿児島出身)。無論出演者の台詞も大抵鹿児島弁なので、分かりにくい言葉には字幕がついた。もっとも、劇中のナレーションやセリフに使われている鹿児島弁は、標準語に影響されやや洗練されたもの(「唐芋標準語」。特にナレーションはイントネーションのみ)であり、実際の鹿児島弁はより難解で複雑なものである。
西郷を演じた西田敏行は当時有名だった肖像画でよく見られる西郷に近づこうと、メイクや表情など撮影時の努力だけでなく、実際にクランクイン前から体重を増やして撮影に挑んだ逸話がある。身長については6尺を優に超えていた西郷に対しカメラアングルを工夫することで大柄な印象を操作した。また、鹿賀丈史の演じる大久保もかなり実像に近い演技であると、大久保の子孫から賞賛されている。
1990年のNHK大河ドラマ「翔ぶが如く」!原作は司馬遼太郎、主演は西田敏行、鹿賀丈史でした!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
徳川慶喜
『最後の将軍-徳川慶喜』(さいごのしょうぐん とくがわよしのぶ)は、司馬遼太郎の長編時代小説。『別冊文藝春秋』96号~98号(1966年6月、9月、12月)に連載。
翌67年に文藝春秋で初版単行本が刊行された。現在は文春文庫版(改版1997年)で重版している。
江戸幕府最後の将軍である徳川慶喜を、その生い立ちから没するまで描いた。1998年にNHK大河ドラマ『徳川慶喜』の原作となった。
作者は、徳川慶喜を才知に富んだ人物ではあるが、感情的に不可解な人物として描いている。慶喜自身、生母が有栖川宮家から嫁いだ上に、幼い頃から水戸史観に大きな影響を受けたため、後世の逆賊の汚名を避けるために薩長に対し絶対恭順をしたと説明されている。
1998年
1998年 NHK大河ドラマ 主演:本木雅弘
原作は司馬遼太郎が、1960年代に執筆した中編小説『最後の将軍 徳川慶喜』(文春文庫ほか)。司馬の原作が短いので、本作では他に、渋沢栄一らが編んだ基礎史料たる『徳川慶喜公伝』(平凡社東洋文庫全4巻)を参考に、随所で原作以上に用いた。
大河ドラマで、幕末を題材にしたのは、同じ司馬遼太郎原作、1990年の『翔ぶが如く』以来の8年ぶりであった。主演・本木雅弘は、1991年の『太平記』以来で、二度目の大河ドラマ出演で主役抜擢された。
脚本は『武田信玄』(1988年)や『信長』(1992年)などを手がけた田向正健。
江戸幕府最後の征夷大将軍・徳川慶喜が主人公で、主に幕府側の視点から幕末の政治劇を描く。ナレーションを担当したのは大原麗子で、大原演じる新門辰五郎の妻れん(架空人物)が当時を回顧する体で物語を進めていた。
江戸っ子のれんが江戸弁で砕けたナレーションを行なうという設定のため、慶喜を「ケイキさん」と呼んだり「これは後から判ったことなんだけど」「ここだけの話なんだけど」「わっちら下々の者は知らなかったんだけど」といったフレーズがよく用いられた。
菅原文太・若尾文子・杉良太郎らベテラン勢の他、石田ひかり・深津絵里ら若手女優を起用して人気確保に努め、また架空人物のエピソードや多面的表現を盛り込むなどしたが、幕末の対立構造の複雑さや、主人公の慶喜の動きの乏しさ、そして数多く登場する架空人物の存在意義の低さなどから、視聴率は伸び悩んだ。
一方で、主演の本木は、常にポーカーフェイスで通しクールで聡明、策謀にも長けた慶喜を表現し、その演技に好評価を得た。また慶喜の家臣で、幕末の動乱に巻き込まれていくなど準主役格の活躍を見せる村田新三郎(架空の人物)を、当時はまだ無名に近かった藤木直人が演じている。
蒼天の夢〜松陰と晋作・新世紀への挑戦〜
『世に棲む日日』(よにすむひび)は、司馬遼太郎の長編歴史小説。1969年2月から1970年12月まで「週刊朝日」に連載された。初版は1971年に文藝春秋から全3巻で刊行された。現行版は文春文庫全4冊(改版2003年)で重版している。同社の『全集 27』もある。
幕末初期の長州藩士の思想家吉田松陰と、門下生で奇兵隊を結成し、馬関戦争や長州征伐において活躍した倒幕の志士高杉晋作を描く。前編の吉田松陰編と後編の高杉晋作編に分かれる。
司馬は『世に棲む日日』を中心とした作品業績により、1972年に第6回吉川英治文学賞を受賞している。
1977年放映のNHK大河ドラマ『花神』の原作の一部になった。
2000年
2000年 NHK正月時代劇 主演:中村橋之助
菜の花の沖
『菜の花の沖』(なのはなのおき)は、司馬遼太郎の長編小説。1979年4月から1982年1月まで『産経新聞』に連載。1982年5月~11月に文藝春秋全6巻で刊行。現在は文春文庫全6巻(改版2000年)と、『司馬遼太郎全集 42・43・44』(文藝春秋)に収録。
江戸時代の廻船商人である高田屋嘉兵衛を主人公とした歴史小説。
司馬作品は、歴史小説の体裁をとりつつも、作者独自の歴史観による解説を折り込んだ構成を特徴としており、後期作品である本作は、近世社会の社会経済や和船の設計・航海術をはじめ随所で思弁的に史論を述べつつ、後半で主人公が当事者となるゴローニン事件へ至る背景事情(日露関係史への知見)と共に、物語が進行する構成となっている。
2000年
2000年 NHKドラマ 主演:竹中直人
功名が辻
『功名が辻』(こうみょうがつじ)は、司馬遼太郎の歴史小説。1963年(昭和38年)10月から1965年(昭和40年)1月にかけ、各地方紙に連載された。題名「功名が辻」の辻は「十字路、交差点、路上」という意味である。
司馬作品には珍しく、後に良妻賢母の見本ともなった、千代という女性を主人公の1人にした作品となっている。牢人から織田家に仕官し、後に長浜城主、掛川城主を経て土佐藩主となった夫山内一豊の転戦、苦悩、そして出世と、それを支え続けた妻の千代を中心に、合戦を通じて信長、秀吉、家康の3人の天下人が絡んでくる。
史実や大河ドラマと違って、千代の母が法秀院という設定になっており、作品中では千代自身が縫った小袖のエピソードなども盛り込まれている。
1997年
1997年 テレビ朝日・東映 主演:檀ふみ、宅麻伸
2006年
2006年 NHK大河ドラマ 主演:仲間由紀恵
原作は司馬遼太郎が1960年代初頭に執筆した同名小説で、司馬作品の大河ドラマ化は6作目となる。主人公である千代とその夫・山内一豊は仲間由紀恵と上川隆也がそれぞれ演じた。脚本は大河ドラマは初執筆となる大石静であった。音楽担当は1996年の『秀吉』と同じ小六禮次郎である。
オープニングは「夫婦の絆を意味する一本の糸が複雑にさまざまに変化し、その移り変わりの背景に、色々な素材が登場しては消えて行く。その流れが、夫婦の絆と、それを取り巻く事象を意味している」というコンセプトで製作された。
脚本の大石は、『国盗り物語』など司馬の諸作品に描かれるエピソードを転用しながら、登場人物のキャラクターや歴史上の出来事の背景に大胆な解釈を加え、これまでの大河ドラマ的な描き方とは一線を画した戦国物語を紡いだ。
たとえば、信長・濃姫・光秀の三角関係を本能寺の変の背景として描き、従来の大河ドラマであれば1回丸々使うエピソードである本能寺の変を放送開始わずか15分で終結させ、残り30分を事変によって揺れ動く人物たちの描写に費やした。
また次の回でも、秀吉が光秀を破った山崎の戦いが放送冒頭のアバンタイトルでの説明で済まされてしまっているなど、合戦自体よりその前後の人間ドラマを重視する姿勢が見られた。
坂の上の雲
『坂の上の雲』(さかのうえのくも)は、司馬遼太郎の長編歴史小説。著者の代表作の一つとされる。
1968年(昭和43年)から1972年(昭和47年)にかけ『産経新聞』に連載。単行版全6巻(文藝春秋、初版1969年~1972年)、文庫版全8巻(文春文庫、初版1978年、島田謹二解説)で刊行。
司馬遼太郎は、自身の太平洋戦争末期の体験から日本の成り立ちについて、深い感慨を持つに至った。戦後新聞社勤務を経て昭和30年代に作家となったが、題材として振り返るには、資料収集も含め時間を要した。
近代日本の定義を明治維新以後に置くとするなら、本作品は長編作品としては初の近代物である。
『坂の上の雲』とは、封建の世から目覚めたばかりの日本が、登って行けばやがてはそこに手が届くと思い登って行った近代国家や列強というものを「坂の上の雲」に例えた、切なさのこもった題名である。
作者が常々問うていた日本特有の精神と文化が19世紀末の西洋文化に対しどのような反応を示したか、を正面から問うた作品である。作者は、そのため事実のみを書く、という方針を持っていたと述べたが、これについては様々に問題点も指摘されている。
当初は秋山好古、秋山真之の兄弟と正岡子規の3人を主人公に、松山出身の彼らが明治という近代日本の勃興期を、いかに生きたかを描き、青春群像小説の面が強調されている。
2009年
2009年秋~2011年秋 NHKスペシャルドラマ 主演:本木雅弘、阿部寛、香川照之)
司馬遼太郎には連載中から「本作を映像化させてほしい」とのオファーが殺到していたという。しかし「戦争賛美と誤解される、作品のスケールを描ききれない」として司馬は許可しなかった。
当時、NHKもオファーを行っていたが2週間考えた末の司馬の結論は「やっぱり無理やで」だったという。
司馬の死後、NHKの「総力を挙げて取り組みたい」との熱意と映像技術の発展により、作品のニュアンスを正しく理解できる映像化が可能となったとして1999年に司馬遼太郎記念財団が映像化を許諾。
その後、著作権を相続した福田みどり夫人の許諾を得て、2002年には志願したスタッフを中心に製作チームが結成された。
2003年1月、大河ドラマとは別枠の「21世紀スペシャル大河ドラマ」として2006年に放送する予定が発表された。しかし、2004年6月に脚本担当の野沢尚が死去(自殺)したことに加え、2005年1月には映像化を推進した海老沢勝二会長がNHKの不祥事などを理由に辞任。
野沢は全話分の脚本の初稿を書き上げていたが、制作費が高額となることや受信料不払いが相次いだことなどから体制が再検討された。
脚本については製作スタッフが外部諮問委員会などの監修をもとに完成させ、全18回を1年かけて放送するという当初の予定を変更し、3部構成の全13回を2009年秋から足掛け3年で放送することが2007年1月に主要キャスト4人(本木、阿部、香川、菅野)とともに発表された。また当初冠にしていた「スペシャル大河ドラマ」は後に「大河」の文言を抜いて単に「スペシャルドラマ」という冠に変更された。