大きな身体を生かしたヘディングが得意だったビアホフ
オリバー・ビアホフ。サッカードイツ代表。
1968年5月1日生まれ。カールスルーエ出身。
ニックネームは「ジャーマンタワー」、「ゴールデンボーイ」。
強烈かつコースを狙ったヘディングで得点を重ねた。

ビアホフ
【個人データ】
身長:191cm
体重:90kg
ポジション:FW
利き足:右足
ビアホフの経歴
1986年、バイエル・ユルディンゲンでキャリアをスタート。その後西ドイツやオーストリアのクラブに移籍。
1990年からのシーズン、SVザルツブルクで32試合に出場し、23得点の成績を残した。1991年にセリエB・アスコリに移籍し得点を重ねた。
その活躍が認められて1995年に、後に日本代表監督を務めることになるアルベルト・ザッケローニ率いるウディネーゼへ移籍。
また、ドイツ代表にも選抜され、1996年2月21日のポルトガル戦でデビューを飾った。

ウディネーゼ時代のザッケローニ監督
ウディネーゼ時代の1997年シーズンに、27得点を挙げ、その後ビッグクラブACミランへと移籍する。ここでACミランの監督にキャリアアップしていたザッケローニの下で再び働くことになった。
この移籍は、90年代前半の黄金期と比べ、成績が低迷していたACミランにとっても、ビアホフ本人にとっても非常に大きな意味を持っていく。

ACミラン時代のビアホフ
入団後、FWの一角として活躍し、移籍1年目に20得点を挙げた。チームは序盤こそ苦戦していたが、なんとか上位に食らいつき、終盤に勝ち点を逆転しスクデッド(優勝)を獲得した。ビアホフはその後もチームに数々のタイトルをもたらす活躍をしていく。
しかし、後にバロンドールを受賞するアンドレイ・シェフチェンコの加入で出場機会が減り、2001年にリーグ・アン・モナコへ移籍。翌年セリエAのキエーボへ移籍した後、現役を引退した。
2002年の日韓W杯では、ドイツ代表に選ばれ、来日しており、サウジアラビア戦でゴールも決めている。横浜で行われたブラジルとの決勝戦での途中出場が、ドイツ代表としての最後の出場となった(W杯以降、代表引退セレモニーあり)。

2600万ユーロもの移籍金でACミランに加入したシェフチェンコ

背番号「20」と同じ得点数を挙げた!
EURO96(UEFA欧州選手権)の決勝で決勝点を挙げ、一躍スターへ!!
+++サッカー名選手館+++オリバー・ビアホフ(Oliver Bierhoff)

強烈なシュートを放つビアホフ
エピソード
・引退試合は日本(仙台)で行われている。当時所属していたセリエAのキエーボが、ベガルタ仙台と親善試合を行う機会があり、それに参加していたため。
その際、仙台市から日本の兜を贈られている。
・アビトゥア資格(ドイツの大学入学資格)を有しており、ドイツで有名なハーゲン通信大学で経営学を専攻した。10年前後にわたり籍を置き、その後卒業している。

テレビに出演するビアホフ(右)
動画
所属クラブ
1986-1988 バイエル・ユルティンゲン(西ドイツ)
1988-1989 ハンブルガーSV(西ドイツ )
1989-1990 ボルシアMG(西ドイツ)
1990-1991 アウストリア・ザルツブルク(オーストリア)
1991-1995 アスコリ(イタリア)
1995-1998 ウディネーゼ(イタリア)
1998-2001 ACミラン(イタリア)
2001-2002 モナコ(モナコ)
2002-2003 キエーボ(イタリア)

トレーディングカード(裏)
引退後はドイツA代表のチームマネージャー職に就いた。
フジテレビの青嶋アナウンサーが、90年代のサッカー番組「セリエAダイジェスト」で「ビアホフ」の名を連呼していた。ナレーション時は「マルカトーレ青嶋」と名乗り、「ビーアッホッフッ」とリズム感たっぷりに叫んでいた。
サッカーを知らない人が聞いたら、新しいビールの商品名にでも聞こえそうだなと当時思った。ドイツだし(笑)