メジャーデビューはSPEEDWAY
宇都宮隆
「宇都宮隆」と聞いて、1番に浮かんでくるのは何ですか?TM NETWORKのボーカル?「Get Wild」の人?俳優、宇都宮隆?それともソロシンガー宇都宮隆?
人それぞれに思い浮かぶものは違うと思いますが、活躍は周知のことだと思います。それほど彼のヴォーカルしての実力、地位は高いところにあります。
そんな宇都宮隆がメジャーデビューを果たしのはTM NETWORKではなくその前身バンドとして語られることが多い「SPEEDWAY」というロックバンドでした。
SPEEDWAY
CD購入@SPEEDWAY:今以上すべてが輝けばいいね。:So-netブログ
メンバーとしては後にTM NETWORKというバンドで大活躍をする宇都宮隆、木根尚登、小室哲哉はもちろん岩野光邦、樋口潔、荒井克己、河鰭良成、杉本ユウと新旧合わせて8名の所属が確認できるバンドです。
1983年に小室哲哉が提案したTM NETWORKの結成に同意したことで1979年から1982年までの短い期間で活動という結果でしたが、それでもこのバンドを支持しメジャーデビューしたということに誇りを持っているファンは今でも健在です。
走り始めたTM NETWORKの苦悩
1982年までSPEEDWAYのメンバーとして活動していたヴォーカルの宇都宮隆とリーダーとして引っ張っていた木根尚登は後から参加してきた小室哲哉の提案に同意し「TM NETWORK」がスタートすることになりました。
金曜日のライオン (Take it to the Lucky)
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1984年に「金曜日のライオン (Take it to the Lucky)」でデビューしたTM NETWORKですが、一躍トップスターとなった訳ではありませんでした。
この時代にプロモーションビデオを作り、今までにはないサウンドで時代が変わる瞬間がきたと思った人も多かったと思います。ですが、世間の評判は「リズム隊がいないユニット」「YMOの二番煎じ」と言われることも少なくなくヒット曲となることはありませんでした。
1974 (16光年の訪問者)
はんままま
セカンドシングルは1983年の「コカ・コーラ フレッシュサウンズコンテスト」で優勝した時に歌った「1974 (16光年の訪問者)」なのですが、お気づきでしょうか。TM NETWORKは3人組のバンドです。なのに2人しかジャケットに映っていません。
上記の理由で、木根尚登が謎のバンドメンバーという形で存在していたのです。おかしいと思いませんか?デビューシングルのPVでは木根さんの存在を確認できるのにメーカーサイドはないものとしたいということなのです。
この頃からTM NETWORKのファンだった人には失礼極まりない話ではあります。もちろんPVの作り方にも悪意が感じられませんか?サングラスもビジュアルコーディネーターからの提案に対しての反発心から始まったと言われています。どんな風にどんな立ち位置で木根尚登を変えたかったのか当時のスタッフに聞いてみたいものですね。
注目されたのは「My Revolution」からだった
TM NETWORKは注目を集めるようになったのは大ヒット曲となった「Get Wild」だと思っている人は少なくないと思います。ですが、本当に注目され始めたのは小室哲哉が楽曲提供した渡辺美里の4枚目のシングル曲「My Revolution」が大ヒットとなり作曲家、小室哲哉が注目を集めるようになってからでした。
「My Revolution」
渡辺美里の「マイ・レボリューション」について徹底的に語り尽くす NHK-FM『しりすぎてるうた〜「マイ・レボリューション」のすべて〜』が8/22放送 - amass
この曲の大ヒットにより小室哲哉に注目が集まり必然的にTM NETWORKにも注目が集まります。そしてもともと持っていた音楽力によってファンは増えリリースされたシングルセールスも良くなっていきました。
Come on Let's Dance (This is the FANKS DYNA-MIX)
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この6枚目のシングル曲くらいからTM NETWORKの音楽性評価は上がっていったのではないでしょうか。
息が切れることのない宇都宮隆の歌声とダンスミュージック要素が高い曲とがよい相乗効果を呼んでいるようにも思います。
のちにこの曲は俳優として活躍している榊原利彦やグルメレポーターとして有名なった彦摩呂が所属していた男性アイドルグループ「幕末塾」が1989年にカバーしています。
9枚目にリリースされた「Self Control (方舟に曳かれて)」でテレビ番組「夜のヒットスタジオ」に初出演となり、10枚目のシングル曲へと繋がっていくものでした。
Self Control (方舟に曳かれて)
はんままま
10枚目のシングル曲は彼らの代表曲とされている「Get Wild」です。この曲はテレビアニメ「シティーハンター」として親しまれそれまでTM NETWORKを知らなかった人や世代にも支持をされその後のヒットメーカーとしての活躍が始まったと言っても過言ではなりません。
この曲を境に完全なるヒットメーカーへと転身したTM NETWORKは「TMN」とグループ名を変え活動し1994年に「プロジェクト終了」としグループでの活動を終了しました。
T.UTUとしてソロ活動開始
1992年に宇都宮隆はそのアーティスト名を「T.UTU(ティー・ウツ)」としソロ活動を開始しました。その2年後の1994年にたくさんの惜しむ声がある中その活動を終了したTM NETWORKの時代と相変わらず歌声はファンの胸に響きより一層活躍します。
Trouble In Heaven
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ファッション性とビジュアルで悩殺していく宇都宮隆がT.UTUとして活躍したのは1992年から1995年まででその間にリリースしたシングルは3曲と少なくはありますがジャッキー・チェン主演の映画などに使われていたりしているのでさらに飛躍ができたのではないでしょうか。
1993年1月21日Dance Dance Dance
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「シティーハンター」に縁があるのでしょう。ジャッキーチェン主演の映画「シティーハンター」のテーマソングに起用されたシングルは諸事情によりソロ活動第一弾シングルとしてリリースされる予定だったと後日談で宇都宮隆が語っています。確かにタイアップのついた方が受け入れられやすいということはあるので理由を知りたいところではありますね。
シティーハンター
【オススメ映画】ジャッキー・チェン編
原作の主人公、冴羽獠とジャッキーチェンが似ているとジャッキーチェンのファンが言ったことから映画製作へと向かったと言われているので完全に香港映画になっているのかと思いきや女優の後藤久美子がヒロイン役で出演しているので香港映画と言われても違和感は覚えた記憶があります。漫画やアニメで「シティーハンター」を知ったという人は別物という認識が高かったのではないでしょうか。
宇都宮隆としてのソロ活動からTM NETWORKの再開
1996年にソロ活動名をT.UTUから宇都宮隆に変更し様々な活動に進出していきます。代表的なものとしてブロードウェイミュージカル「RENT」日本公演へ出演です。
ブロードウェイミュージカル「RENT」
相羽亜木のサイト-RENTグッズ
シングルもタイアップなどもあり順調にリリースしていました。翌年の1999年には「プロジェクト終了」という形で活動を終わらせていたTM NETWORKも活動を再開しバンド活動とソロ活動を並行していました。
1996年4月22日に発売された宇都宮隆名義でのシングルデビュー曲は「少年」という曲でテレビ朝日「OH!エルくらぶ」EDテーマとしても使われています。ソロ活動開始から通算5曲目の「 discovery」はプレイステーション「gaball screen」テーマ曲として使われ、1997年7月2日に発売された「if you wish...」はアニメ映画「エルマーの冒険」エンディングテーマとして・・・。その実力が数々のヒット曲へと結びつき宇都宮隆の名前は更なる高みへと昇って行ったのではないでしょうか。
自身のプロジェクトを始動させるなど精力的に活動していた宇都宮隆に病が襲ってきます。
2013年にすい臓腫瘤摘出術を行いその衰弱さに驚いた人も多かったことでしょう。現在は術後の結果も良好ということで身体に負担ないように活動を調整しながら行っています。
TM NETWORKは宇都宮隆があったのバンドなのでこれからもたくさんのヒット曲を創り出していってほしいというのがファンならずとも願うところではあります。
アレンジャーとしての小室哲哉も自身のギターをエアギターと称して笑いを取っていた木根尚登との3ショットはこれからも健在であってほしいものですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。