レオナルド・ナシメント・ジ・アラウージョ
1969年9月5日生まれ。ブラジル・リオデジャネイロ出身。
ブラジル代表としても活躍し、1990年から2001年まで長期間に渡って選出され、何人もの監督に評価されていた。
【個人データ】
・身長: 177cm
・体重: 71kg
・利き足: 左足
・ポジション: MF/DF

鹿島アントラーズ時代のレオナルド
【所属クラブ】
・フラメンゴ(1987-1990)※ユースには1984-1987の間在籍。
・サンパウロ(1990-1991)
・バレンシア(1991-1993)
・サンパウロ(1993-1994)
・鹿島アントラーズ(1994-1996)
・パリ・サンジェルマン(1996-1997)
・ACミラン(1997-2001)
・サンパウロ(2001)
・フラメンゴ(2002)
・ACミラン(2002-2003)
ジーコに誘われ、鹿島アントラーズに入団
1994年に、偉大なるセレソン(ブラジル代表)の10番であるジーコからの誘いを受け、当時プロリーグであるJリーグが前年に開幕したばかりの日本にやってきたレオナルド。
ジーコが所属した鹿島アントラーズで、さすがセレソンといったプレイを魅せてくれた。
現役のブラジル代表としてJリーグに来た初めての選手でもあった。

鹿島アントラーズ時代のジーコ
レオナルドはその端正なルックスから貴公子、レオ様とも呼ばれた。
また、当時日本でも有名なF1レーサーであったブラジルの英雄アイルトン・セナにも似ていた。

華麗なプレイで観客を沸かしたレオナルド

ジーコの10番を受け継いだ!
レオナルドと言えば、1995年のJリーグ・ニコスシリーズ第19節横浜F戦のゴールシーンが非常に印象深い。
相手ゴール前、味方からの緩めのパスに対し、スライディングを仕掛けるDFから逃れるように、レオナルドはひょいとボールを浮かした。
そして、4人ものDFを背負いながら、軽やかに5回のリフティングを駆使し、シュートを放った。
GKは一歩も動けず、ボールはゴールの左上に吸い込まれた。
なお、この時のGKは、当時10代にして正GKだった後の日本代表・楢崎正剛であった。
また、このゴールは2013年のJリーグ20周年企画「Jクロニクルベスト」において、過去20年のベストゴール第1位に選出された。
セリエA・ACミランでリーグ制覇に貢献!
1996年夏に移籍したリーグ・アン(フランス1部リーグ)の名門パリ・サンジェルマンFCを経て、1997年夏に当時最強リーグと言われたセリエAのビッグクラブACミランに移籍した。移籍金は850万ユーロだった。
ここでもセレソンの実力をいかんなく発揮し、ダイナミックなゴールを量産した。
1998-99シーズンは股関節炎のためフル出場は少ないものの、27試合12得点を記録してスクデット(リーグ制覇)に貢献。在籍した4シーズンで177試合に出場して22得点だった。
ちなみにこの時の監督は後の日本代表監督のアルベルト・ザッケローニであった。

ACミラン時代
ブラジル代表でワールドカップに二大会出場
1990年にブラジル代表デビューしたレオナルド。
1994年のワールドカップメンバーには左サイドバックとして選出された。
決勝トーナメント1回戦のアメリカ戦。レオナルドのワールドカップが事実上終わってしまうプレイが起こる。
相手MFと競り合った際、相手を払いのけようと腕を強く振ると、相手の顔面に肘が入ってしまった。
ゴチッという鈍い音が、中継でも拾える程に強く打ちつけられた肘打ちだった。これが故意と判断され、一発レッドで退場処分が下された。
レオナルドはそれまで左サイドで躍動していただけに、悔やまれるプレイだった。
これにより4試合の出場停止処分を受けた。おそらく故意ではないものの、この処分はワールドカップの歴史の中で2番目に長いものとなった。
また、相手DFはこの肘打ちで、頬骨を骨折し、3か月半もの間入院を余儀なくされた。
1998年のフランスワールドカップに、前大会王者として臨んだブラジル代表。
そのチームでレギュラーとして、7試合全てに出場した。しかし、決勝ではジダン擁する地元フランスの前に力なく0-3の完封負けを喫した。
また、グループリーグのモロッコ戦ではレオナルドのシュートがネットを揺らしたが、オフサイドの判定によりゴールは認められなかった。
レオナルドは、2002年の日韓ワールドカップ予選を最後にブラジル代表を退いた。
代表通算60試合出場で8得点という記録を残した。
”超”親日家のレオナルド
1996年、パリ・サンジェルマンFCから移籍のオファーが来た際、ジーコに鹿島アントラーズを離れ難い心境を伝えたところ、ジーコはレオナルドの将来を考え移籍を勧めたという。
しかし、ヨーロッパ移籍以降も日本への愛は変わらず、2005年頃には右腕に日本語で「全てに感動を」というタトゥーを入れ、「これで本当に日本とつながっている気がする」と語っている。
また、2011年東北地方太平洋沖地震時には、当時セリエAで監督を務めていたレオナルドが、下記のような激励のメッセージを、遠いイタリアの地から日本に向けて送っている。

引退後のレオナルド

2015年に来日したレオナルド
Jリーグ黎明期、後に常勝軍団となる鹿島アントラーズで華麗なプレイを披露したレオナルド。
2016年末に行われた「FIFAクラブワールドカップ」に、開催国枠で鹿島アントラーズが出場。なんと決勝まで勝ち上がり、スペインの超名門レアルマドリードと対戦した。
鹿島アントラーズは一時リードを奪うなど世界の強豪を相手に善戦。
その際、レオナルドは自身のツイッターで「みんなはすでに歴史を書き換えました!その偉業の一部に自分が関われたことに誇りを感じます。おめでとう(ポルトガル語)」と健闘を称えていた。
また、鹿島アントラーズも公式アカウントで「オブリガード、レオ!私たちは進みます。チャレンジは続く!」と感謝を伝えていた。

日本を離れて20年以上が経つのに、心遣いがありがたい!オブリガード!レオ!!
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