当時の東芝が誇る人気絶頂3人娘です。黛ジュン・小川知子と共に『東芝3人娘』と呼ばれ人気を博していきました
小川知子
黛ジュン
「恋の奴隷」がミリオンセラーを記録、名実ともにトップスターの座へ
昭和44年(1970年)6月にリリースした「恋の奴隷」が100万枚突破するというミリオンセラーを記録、奥村チヨは名実ともにトップスターの座へと登り詰めて行った。
奥村チヨの、代表曲「恋の奴隷」が男性に従属的な歌詞であったため、奥村自身は歌うことをためらっていたといいます。さらに同曲のイメージから、当時は自宅周辺にまで付きまとうファン(今で言うストーカー行為)が多く出現したことから悩まされていたということです。
1969年 - 1970年に発表した「恋の奴隷」「恋狂い」「恋泥棒」のいわゆる「恋3部作」の爆発的大ヒットにより、人気歌手としての地位を確立。それまでのコケティッシュな雰囲気に、新たに官能的な魅力も加わり、初めてNHK紅白歌合戦出場も果たします。NHKでは内部規則により「恋の奴隷」の歌唱が禁じられていました。その為、紅白では「恋泥棒」を歌いました。
熱狂的なファンからのストーカー被害
デビュー当初から、小悪魔的な独特のルックスが注目されていましたが、人気に輪をかけて大ブレークするきっかけとなったのが、歌詞も流行語となった傑作「恋の奴隷」(1969年)と、それに続く「恋泥棒」、「恋狂い」(1970年)の”恋3部作”でした。世の男性はすっかり、官能美を極めた奥村チヨの虜となってしまい、ファンによるストーカー騒ぎまで勃発する事態になったのです。