クリスティアン・ヴィエリ!所属チームがコロコロ変わった”重戦車”!

クリスティアン・ヴィエリ!所属チームがコロコロ変わった”重戦車”!

ガッチリとした体格で、パワフルなプレースタイルから”重戦車”との異名をとったクリスティアン・ヴィエリ。ユヴェントスやインテルなどを渡り歩いたヘディングの強いFWだった。スペインのリーガ・エスパニョーラで得点王も獲得している。


”重戦車”クリスティアン・ヴィエリ

1973年7月12日生まれ。イタリアボローニャ出身(但し、幼少の頃はオーストラリア・シドニーで育った)。
父親はセリエAの元サッカー選手ロベルト・ヴィエリで、母親はフランス人。

ガッチリとした体格で、パワフルなプレースタイルから”重戦車”との異名をとった。
サッカーを始める前まで、陸上競技や水泳で体を鍛えており、ラグビーをしていたこともある。

現役時代は空中戦に強い選手で、ヘディングでの得点が非常に多かった。また、ポストプレーにも優れ、左足のシュートで得点を重ねた。

ヴィエリのもう一つの愛称である「ボボ」は、メディアからの質問に「ボー(分かんないよ)」と一言で片づけることが多かったため、そう呼ばれることとなった。

クリスティアン・ヴィエリ

【個人データ】
・身長:185cm
・体重:84kg
・ポジション:FW
・利き足:左足

【所属チーム】
<ユース>
・マルコーニ・スタリオンズ(1987-1988)
・サンタ・ルキア(1989-1990)
・プラート(1989-1990)
・トリノFC(1990-1991)

<クラブ>
・トリノFC(1991-1992)
・ピサ(1992-1993)
・ラヴェンナ(1993-1994)
・ヴェネツィア(1994-1995)
・アタランタ(1995-1996)
・ユヴェントス(1996-1997)
・アトレティコ・マドリード(1997-1998)
・ラツィオ(1998-1999)
・インテル・ミラノ(1999-2005)
・ミラン(2005-2006)
・モナコ(2006)
・サンプドリア(2006)
・アタランタ(2006-2007)
・フィオレンティーナ(2007-2008)
・アタランタ(2008-2009)

トリノFC時代のヴィエリ

ユベントス時代

インテル時代

【代表歴】
・イタリア U-21(1992-1996)
・イタリア(1997-2006)

イタリア代表時代

クリスティアン・ヴィエリ 来歴

デビューはセリエC1プラートだった。
そのシーズンの90年2月、後に加入する事となるインテルが獲得しようとしていたが実現に至らず、シーズン終了後にエミリアーノ・モンドニコ率いるトリノFCと契約した。この移籍はモンドニコが獲得を考えていたためであった。

しかし、トリノFCは実際にはFWが必要ではなく、ジョルジョ・ブレッシャーニやワルテル・カーザグランデの控えとしての扱いであった。

ヴィエリが在籍していた2シーズンは、5位(1990-91)と3位(1991-92)だった。

トリノFC

トリノFC以降、1シーズンごとに移籍を繰り返すが、1996-97シーズンにビッグクラブのユヴェントスに移籍を果たす。ちなみにユヴェントスはトリノFCと同じトリノをホームタウンとしており、ダービーマッチはデルビー・デッラ・モーレと呼ばれる。

ユヴェントスでは、デル・ピエロとともにこれからのユヴェントスを支えていく若手期待の星として活躍し始めた。しかし、翌1997-98シーズンにはスペインのアトレティコ・マドリードに移籍してしまう。

ただ、結果は残しており、リーガ・エスパニョーラ初参戦にして24試合24得点という成績を残し、得点王を獲得。「リーガは生ぬるい」と発言し、翌シーズンには自身の故郷のラツィオに移籍、セリエAへ復帰することになった。

後年、ビエリ自身が、アトレティコ・マドリードへの移籍を振り返っており、当時提示された年棒がユヴェントスの20億リラ(約1億4000万円)よりも、アトレティコ・マドリードの方が1億円以上多い35億リラ(約2億4500万円)だったため、移籍を決断したという。
この移籍をヴィエリは後悔しており、「アトレティコ・マドリードに移籍した時は、金のことしか考えなかった。もしあの時に戻れるなら、ユヴェントスに残っていただろう」と語っている。
また、近年ヴィエリは「根っからのユヴェンティーノ(ユヴェントスファン)」だと公言しており、移籍当時は本当に金に目がくらんでしまったようだ。

アトレティコ・マドリード時代

1998-99シーズン、ラツィオで22試合に出場し、12得点と一定の存在感を示した。しかし、また移籍を行い、1999年にマルチェロ・リッピが監督に招聘されたインテルに移った。
チームは開幕当初ヴィエリの活躍で首位に躍り出るも2トップの相棒だったブラジル代表・ロナウドの負傷離脱などもあり、次第に調子を落としていき、結局2位に終わった。移籍金である3,200万ポンドは当時の移籍金史上最高額であった。

2005年まで所属したインテルでサッカー選手としてのピークを迎える。
2002-03シーズンにはチームは2位に終わったが、23試合で24得点と出場試合数を上回る得点を記録し、得点王を獲得した。ただ、30代を迎えたインテル時代の後半には、エースとしての働きが見られなくなっていった。また、古傷や故障も重なって思うようなプレイが出来ず、若手FWのアドリアーノの台頭もあり出場機会が減少した。

インテルには2005年まで所属し、出場143試合で103得点だった。

”怪物”ロナウド(左)と”重戦車”ヴィエリ(右)

2005-06シーズンにACミランへ移籍する。しかしシェフチェンコ、インザーギらFW陣とのレギュラー争いに敗れ、出場機会が得られず、半年後の2006年1月にはASモナコへ完全移籍することとなった。

しかしシーズン終了後わずか半年でセリエA・サンプドリアへの移籍が決定するも、サッカーに対するモチベーションが保てないとして現役引退を仄めかしていた。移籍期限ギリギリの8月29日(現地時間)に古巣アタランタへの復帰が決まった。

契約金は約22万円とプロ最低賃金での契約であるが、1ゴールごとにオプション契約として1000万円が支払われることになった。
しかし、アタランタではACシエーナ戦でセンターサークル少し前から決めたロングシュートこそあったものの、それを含め7試合での補欠出場、2得点のみに終わった。
2006-07シーズン終了後、1年間の契約期間が切れたアタランタからフィオレンティーナへ移籍。
2007-08シーズン第19節のトリノFC戦で先制点となるPKを決め、自身通算200得点を達成した。

2008年、3度目のアタランタ入団を果たすも、サポーターとのいざこざが絶えず、シーズン終了前に契約解除となった。
2009年、イングランド・プレミアリーグのブラックバーン・ローヴァーズFCの練習に参加していたが途中で帰国した。
2009年10月22日、現役引退を表明した。2016年には中国のサッカーリーグで現役復帰すると自身のSNSで発表したが、その後は現在のところ不明。

ACミラン時代、左がヴィエリ

イタリア代表でも活躍

イタリアU-21代表には1992年から選出されていたヴィエリ。
1997年3月29日のモルドバ戦でA代表にデビューし、アズーリ(イタリア代表の愛称)の一員となった。

ワールドカップには2度出場し、1998年のフランスW杯で5試合5得点、2002年の日韓W杯で4試合4得点といずれも活躍した。しかし、優勝を義務付けられた偉大な代表チームだが、フランスW杯ではベスト8、日韓W杯ではベスト16止まりであった。

自身3度目のワールドカップとなる2006年のドイツW杯を目指していたが、怪我の影響などもあり、メンバーから漏れた。

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