はじめに
陸上自衛隊旗
近年では部隊ごとに部隊章、エンブレムなどが車両につけられているものも多くあるようです。
M24軽戦車
チャーフィー
第2次世界大戦中開発、製造され長く西側諸国で配備、運用されて来ていたようですね。ただ、1950年に朝鮮戦争の勃発によりアメリカは戦線にこの車両を多く投入しましたが、ソ連製のT-34-85には通用しないことから、新型車両との入れ替えを迫られていました。そこで戦線から退役する車両が大量になったことから日本の当時、警察予備隊として防衛、治安維持に用いるため、その一部375輌が供与されることとなりました。小柄な車体から日本人の体格に合い、操縦性、踏破性など高く評価されたそうです。それと当時は供与された車体を塗装もせず配備されていたようでアメリカ軍の白い星のマークがそのままの状態で運用されている画像が多く出てきます。
M4中戦車
シャーマン
M4中戦車 - Wikipedia
第二次世界大戦の連合国側の主力となった車両で、アメリカ合衆国の高い工業力を基盤にして大量生産されました。1945年までに全車種で5万輌近くが生産されたそうです。各生産拠点に適したエンジン形式や生産方法を採る形で並行生産させたため、多くの派生型があるようですが、構成部品を統一して互換性を持たせることにより高い信頼性が保たれていました。車輌単体での戦闘力はドイツ軍のV号戦車パンターやVI号戦車などに劣っていたが、数的優位を利用したチームワーク戦法で対抗したそうです。信頼性・生産性など工業製品としての完成度は高かったようですが、兵器としてはアメリカ軍の戦車戦の経験不足もあって問題点も多く、特に経験豊富なドイツ軍が相手では一方的に撃破されることも珍しくなかったとのことです。日本にも日本の陸上自衛隊にも供与されて1970年代半ばまで使用され、特にソ連軍の上陸の可能性のある地点として北海道など北部中心に配備されたそうです。朝鮮戦争時にはT-34-85を撃破する車両もあったそうで信頼性は高かったようです。ただ、日本人の体格には大きく先のM-24の方が好まれていたようです。いずれにしても後のM-41や61式の配備まで、(実際には61式の配備まで)陸上自衛隊の主力を担っていました。現在は全ての車両が退役しています。
M41軽戦車
ウォーカー・ブルドッグ
日本の陸上自衛隊は第2次防衛力整備計画においてアメリカの無償援助による225両の取得を計画し、最終的にM41A2、147輌の供与を受けました。M41は1961年よりM24に替わる形で全国の戦車部隊に配備が進められ、国産の61式戦車が開発・製造されると61式への入れ替えが進められましたが、自衛隊に供与されたアメリカ戦車の中では最も長く装備されており、最後の車両が退役したのは61式の次世代の国産戦車である74式戦車の開発・配備以後の1983年だったそうです。このことは日本の国力がまだまだ自国のみで防衛力を保持できなかったということなのでしょう。