
「もしもピアノが弾けたなら」とは
1981年4月1日に西田敏行さんの3枚目のシングル「いい夢みろよ」のB面として発売。
しかしその後、「もしもピアノが弾けたなら」の方が話題となりA面となりました。
作詞:阿久悠 作曲・編曲:坂田晃一
【チャート順位】
・4位(オリコン)
・1981年度年間25位(オリコン)
・4位(ザ・ベストテン)
・3位(ザ・トップテン)
【受賞歴】
・第23回日本レコード大賞 金賞
・日本作詞大賞受賞
西田敏行さん、お若いですね!33か34歳の頃です。
レコードのジャケット写真といい、ちょっと服の前を開けるのがお好きなのでしょうか(笑)
ザ・トップテンの司会だったマチャアキと郁恵ちゃんも若くてかわいいですね。
阿久悠 さんの素晴らしい歌詞

「もしもピアノが弾けたなら
思いのすべてを歌にして
きみに伝えることだろう
〜中略〜
だけどぼくにはピアノがない
きみに聴かせる腕もない
心はいつでも半開き
伝える言葉が残される」
なんとも暗い歌詞ですね!西田敏行さんの甘い声のおかげでそんな風には聞こえませんが。しかし、相手に想いをぶつける事の出来ない不器用さがとてもよく伝わってきます。
阿久悠さんも「その時代で旗色が悪くなっていた不器用な男に対する応援歌を書きたい」という願いを、この歌が主題歌となったドラマ『池中玄太80キロ』の主人公のキャラクターに託したそうです。
最初は『池中玄太80キロ』の挿入歌だった
「もしもピアノが弾けたなら」は、歌い手でもある西田敏行さん主演のドラマ『池中玄太80キロ』の第2シリーズの挿入歌でした。
池中玄太、懐かしいですねー!

主題歌というイメージが強いですが、当初は挿入歌として作られ、元々の主題歌「いい夢みろよ」のB面として発売されていたものです。
しかし、視聴者からの反響が大きく、のちに主題歌に変更され、A面とB面の立場が入れ替わる形こととなりました。
最初は主題歌ではなかったのですね~。
「いい夢みろよ」も良い曲ですが、西田敏行さんと言えば「もしもピアノが弾けたなら」、池中玄太と言えば「もしもピアノが弾けたなら」というイメージになっていますね。


アッコこと鳴山暁子役で玄太の妻を演じた坂口良子さん。本当にお美しいですね・・・。
ドラマの中の事ですが、玄太にはもったいないー!なんて思ってしまいます(笑)
2013年にお亡くなりになった時は、西田敏行さんは「池中玄太は号泣しています」とコメントを出されたそうです。
今でも残念でなりません・・・。
【坂口良子さん死去】西田敏行さん「早過ぎるよアッコ。玄太は号泣してる」 - 産経ニュース
池中玄太とは関係ありませんが、坂口良子さんが本当にお美しいので、いくつか画像を載せてみました。



「80キロ」は西田敏行さんの体重だった
話は戻りますが、タイトルの「80キロ」は、制作当時の西田さんの体重が80kgであったことに由来するそうです。
1992年に放送された最後のスペシャル版では、西田さんの体重に合わせて『池中玄太83キロ』というタイトルになりました。
体重をタイトルに使うなんてすごい発想です。
それにしても西田さん、結構重いですね!

「池中玄太80キロ(スペシャル版は83キロ)」の体重、実は西田敏行さんの体重でした。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
レコード大賞 金賞を受賞!
西田敏行さんはこの曲で、第23回日本レコード大賞 金賞を受賞されました!
それだけ流行していたということですね〜。
他の受賞者は?
第23回日本レコード大賞では、他にもこんな方々が受賞していました。
【レコード大賞】「ルビーの指環」 寺尾聰
【最優秀歌唱賞】「すみれ色の涙」 岩崎宏美
【最優秀新人賞】「ギンギラギンにさりげなく」 近藤真彦
【金賞】
「あなたひとすじ」 川中美幸
「命あたえて」 森進一
「哀しみ本線日本海」 森昌子
「人生かくれんぼ」 五木ひろし
「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」 沢田研二
「すみれ色の涙」 岩崎宏美
「センチメンタルガール」 西城秀樹
「街角トワイライト」 シャネルズ
「ルビーの指環」 寺尾聰
この曲で紅白歌合戦に初出場!
ドラマ主演にレコード大賞にと、1981年は素晴らしくご活躍された一年でした。
その最後を締めくくるように、西田敏行さんはこの曲で第32回NHK紅白歌合戦に初出場されました!
他の初出場歌手は?
第32回NHK紅白歌合戦で紅白初出場だった方々です。
【赤組】
河合 奈保子 「スマイル・フォー・ミー」
石川 ひとみ 「まちぶせ」
松村 和子 「帰ってこいよ」
川中 美幸 「ふたり酒」
牧村 三枝子 「みちづれ」
【白組】
近藤 真彦 「ギンギラギンにさりげなく」
山本 譲二 「 みちのくひとり旅」
寺尾 聰 「ルビーの指環」
西田 敏行 「もしもピアノが弾けたなら」
竜 鉄也 「奥飛騨慕情」
【名曲トリビア】山本譲二が「みちのくひとり旅」で紅白に初出場した時、サブちゃんからの祝儀は○○○○万円だった!? - Middle Edge(ミドルエッジ)
9年後の紅白でもこの曲で出場
初出場から9年後の1990年、西田さんはなんと第41回NHK紅白歌合戦の白組司会者を務めることに!
そして出場者としても9年ぶりにこの歌を披露しました。
ちなみに、NHK紅白歌合戦で歌手、司会、審査員、応援の4つのパターン(ナレーションを含めると5パターン)全てで出演経験があるのは西田敏行さんだけだそうですよ。
沢山の方にカバーされています!
こんな人も歌っています
歌う人によってイメージが変わりますが、どなたが歌っても素晴らしい曲ですね。
最近の西田敏行さんは
2011年にシングル「バトンタッチ」をリリース、2012年にNHK東日本大震災復興応援ソング「花は咲く」に参加したのを最後に、歌手活動はされていないようです。
もちろん、俳優としてはご活躍されていますよね。
本当に甘く素敵な声なので、また歌手としての西田敏行さんを見たいですね!
それまでは、家でCDを聴いて待ちたいと思います・・。