三浦文丈 プロフィール
1970年8月12日生まれ。静岡県清水市出身。
身長174cm、体重72kg。利き足は右。
現役時代の主なポジションはMF、FWだった。

横浜マリノス時代の三浦文丈(みうら ふみたけ)
【所属チーム】
・横浜マリノス(1993-1998)
・京都パープルサンガ(1999)
・ジュビロ磐田(1999-2000)
・FC東京(2001-2006)
【代表歴】
・日本 ジュニアユース(1985-1986)
・日本 ユース(1987-1988)
・日本 五輪(1989-1991)
・日本(1995)
小学校からサッカーのエリートコースをひた走った三浦文丈!
サッカー王国静岡県に生まれ、小学校2年でサッカーを始める。6年生だった1982年に清水FCの一員として「全日本少年サッカー大会」で優勝を飾っている。
清水第五中学校3年次には「全国中学校サッカー大会準優勝」に貢献。日本ジュニアユース代表に選出されている。

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1986年に県内でも屈指のサッカー強豪校として知られる清水市立商業高等学校(通称、清商)に進学。同校の卒業生には風間八宏、名波浩、川口能活、小野伸二など錚々たる顔ぶれが揃っている。
三浦と同時期にサッカー部に在籍していたのは、同学年に中学も同じで卒業後横浜マリノスでもチームメイトとなる古賀正人、後輩に後にジュビロ磐田で活躍する藤田俊哉、名古屋グランパスの大岩剛などがいた。

横浜マリノス時代の古賀正人

清商時代の三浦文丈(右)、藤田俊哉(左)
1988年、3年生となり主将を務め、「第67回全国高校サッカー選手権」に出場。”タレント軍団”の中でエース・精神的主柱となり、抜群の展開力と運動量で優勝に貢献した。また、同年には日本ユース代表に選出され、AFCユース選手権に出場している。

清商時代の大岩剛(右)
1989年に筑波大学へと進学。1年次からバルセロナ五輪代表に選出される。
1991~92年に行われた「バルセロナ五輪アジア予選」に出場し、最終予選のバーレーン戦ではハットトリックを決める活躍を見せたが、悲願の本大会出場に導く事は出来なかった。
また4年次の1992年には同大学の主将を務め「総理大臣杯」と「関東大学サッカーリーグ」の二冠に貢献している。
1993年にプロ入り!チームは横浜マリノス!
1993年に開幕したJリーグ。その「オリジナル10」の一チームであり、名門”日産自動車サッカー部”を前身とする横浜マリノスに入団する。
Jリーグ初年度からリーグ戦24試合に出場、翌1994年にはリーグ戦38試合に出場し、ドリブル突破を武器にFW・攻撃的なMFとして活躍した。
1995年には「サントリーシリーズ」で優勝するとともに、加茂周監督のもと、「ダイナスティカップ」の日本代表に初選出されるが、代表としての試合出場はなかった。また、1996年、1997年にはJリーグ選手協会の監事を務めている。

横浜マリノス時代

横浜マリノス時代
1999年には京都パープルサンガで、カズと”W三浦”による2トップ!
1998年になると試合出場機会が減少。翌1999年に横浜マリノス在籍時に指導を受けた清水秀彦に請われて京都パープルサンガへ移籍。しかし、清水体制2年目だったが、1stステージが14位と振るわず、清水が解任されてしまう。
チームは7月に元日本代表監督の加茂周を監督に就任させ、元日本代表の三浦知良も獲得。三浦知良との”W三浦”による2トップも経験した。
しかし、シーズン途中でジュビロ磐田へと移籍する。磐田では同年末にJ1年間優勝を経験。また、この頃からポジションをボランチに転向した。

京都パープルサンガ時代のカズこと三浦知良
2001年にFC東京へと移籍する。背番号「10」を背負った。
2002年には開幕直後の対浦和レッズとの試合で、相手FW福田正博と激突。この時に左膝前十字靭帯断裂及び内側側副靱帯を損傷する大怪我を負い長期離脱を余儀なくされた。
年末の「天皇杯」で復帰するも、投入後わずかで自ら交代を申し入れ、本格復帰は翌2003年になった。
FC東京ではバランスを取りながら中盤を安定させ、攻守に貢献するプレー面だけではなく、チームを束ねる精神的主柱としても絶大な信頼を集めた。2004年には「ナビスコカップ」で優勝を果たした。

FC東京時代、「10番」を背負った!
2005年、ベテランの三浦は大きく出場機会を減らすが、先発出場の際には好パフォーマンスを見せており、三浦としてもJ2など下位クラブならばまだ十分通用するという自信を持っていた。しかし、愛着あるクラブでの現役引退を望み、2006年11月24日に現役引退を表明した。
引退後は、FC東京残留を希望し、翌2007年から同クラブのトップチームのコーチに就任し、指導者としてのキャリアをスタートさせた。
FC東京での指導経験を経て、古巣である横浜マリノス(当時は横浜F・マリノス)から招聘され、2009年よりトップチームコーチに就任。2010年からはジュニアユースのコーチを務め、この間にA級コーチジェネラルライセンス及びS級ライセンスを取得している。
以降、アルビレックス新潟、アビスパ福岡のコーチ、AC長野パルセイロの監督を経て、2017年よりアルビレックス新潟の監督に就任している。
現役時代のキレのあるドリブルのように鋭い采配に期待したい。