プロゴルファー猿

猿谷 猿丸(さるたに さるまる)
大人になってから分かる、プロゴルファー猿の凄すぎる技の数々! - Middle Edge(ミドルエッジ)
プロゴルファー猿の連載の歴史
『プロゴルファー猿』が「週刊少年サンデー」誌上に初登場したのは、昭和49年の事でした。藤子不二雄Aは、昭和40年「オバケのQ太郎」のテレビアニメ化の際、テレビ局の関係者から誘われて以来、「スポーツというとゴルフ一筋」という生活を送っており、この趣味のゴルフを題材とした漫画を描くことを構想として持っていたといいます。

しかし、このゴルフ漫画の企画を週刊少年サンデーに持ち込んだ際、編集部からは大反対されました。当時ゴルフを題材とした漫画は全くなく、漫画どころかゴルフがスポーツとして少年誌に記事になることも無かったという時代でした。あくまでも、ゴルフは一部のお金持ちな大人のためのスポーツであり、子供に受けるはずがないという編集部の判断でした。

藤子不二雄Aは、少年誌でもゴルフ漫画がウケル自信が有ったと言います。ゴルフのルールは、基本的に「いかに少ない打数でボールをカップに沈めることができるか」を競う、極めて単純なものです。そして個人プレイであるゴルフは、当時人気のあった野球とはまた違った面白さが出せ、コース毎に変わってくるプレイの変化の面白さは、ゴルフ独特のものだと語っています。

藤子不二雄Aは、少年サンデー編集部を説得するために「主人公は、貧しい家計を支えるために、日々賭けゴルフで生活費を稼ぐ」…という当時流行していた、スポ根的付加価値を付けたのだといいます。

主人公は、お猿さん。藤子不二雄Aは「犬でも鹿でもよかったけど、ゴルフさせるには猿が一番面白い」と語っています。主人公は野性的な猿そっくりの少年という設定になったそうです。藤子不二雄A自身はもともとはホンモノの猿を主人公にしようかと思っていたらしい、という噂もあります。
サンデー時代(1974年~ 1980年)『プロゴルファー猿』
第1話「華麗なる世界の一匹猿の巻」が掲載されたのは週刊少年サンデー昭和49年13号のことです。当時は、 様子見の意味も兼ね、読み切りシリーズ作品としてのスタートでした。
そして昭和49年17号に第2話「恐怖!!地獄ゴルフ道場」、同22.23合併号に第3話「魔の曲打ちゴルフ殺法」、同27号に第4話「ドライバーは見世物!パットは金!」が順次掲載されます。そして、「猿」の人気は回を重ねる毎にうなぎ昇りとなっていきました。


読み切りシリーズ掲載のたびに着実に人気を重ねていった『プロゴルファー猿』ですが、この人気に応え、30〜32号では三週連続100ページ企画、39〜43号では五週連続100ページ企画が登場しました。それぞれ「vs黄金仮面編」「vs紅蜂編」の事です。

敵キャラの紅一点。紅蜂(べにばち)
もうレギュラー連載化は目前です。そして、昭和50年3・4合併号で始まる「野望編」(恐竜ドラゴン編)から、ついに本式に長期週刊連載がスタートとなりました。藤子不二雄Aのライフワークとなる「プロゴルファー猿」はこうして幕を開けたのです。

ドラゴン打ちの竜
この週刊少年サンデー版の連載は昭和53年まで続きました。第一回が掲載された昭和49年13号から数えると、約丸5年にも渡る長期連載でした。この、少年サンデー版は昭和53年45号(「閃光編」)で、猿がプロテストに合格し、猿が名実ともにプロゴルファーとなるシーンで一旦終了となります。

週刊少年サンデーでの連載が終了したからと言って、「猿」自体の世界観がそこで終わったわけではありませんでした。翌年の1979年、今度は増刊少年サンデーに舞台を移し、連載開始されました。通称「フェアウェイの戦士編」と呼ばれるこのシリーズは、これまでの週刊少年サンデー版とは違い、毎回の1話1話が単独の読み切り作品的な匂いを持ったシリーズとなります。ここでは、プロテストに合格したその後の猿丸の様子が描かれています。
コロコロ時代(1982〜)『新プロゴルファー猿』
さらに1982年 - 1988年には『コロコロコミック』(月刊、別冊)にて内容をより低年齢向けとした『新プロゴルファー猿』が連載されました。前作で本物のプロゴルファーとなった猿丸を描いていますが、内容としては前作と同様に裏のゴルフ界からの刺客との対決がメインでした。

少年サンデー掲載分はプロテストに合格した後の猿を描いているのに対して、別冊コロコロ版はそのような描写が一切無いのです。これは、増刊少年サンデー版が純粋に週刊少年サンデー版の続きを描いているのに対して、別冊コロコロ版は(週刊少年サンデー版では初期のエピソードに当たる部分の)アニメを機に連載開始されたものであるという性格の違いに依るものです。

アニメ『新プロゴルファー猿』はギャグタッチのアニメとして仕上がり、ファンの間からも不興を買うことになりました。結果わずか3ヶ月という異例の放映期間の短さで放映終了となります。
また、このアニメ『新プロゴルファー猿』のスタートに合わせて月刊コロコロコミック連載版もタイトルが『新プロゴルファー猿』と改題されましたが、アニメ版があっけなく終了してしまったことに影響を受けたのか、こちらもその年の年内には最終回を迎えてしまいます。原作版もアニメ版も、長期シリーズの作品としてはかなり中途半端な形での連載・放映終了となってしまいました。
「プロゴルファー猿FOREVER」他(1989〜)
アニメの終了とともにあっけなく一旦幕を閉じてしまった『プロゴルファー猿』でありますが、89年にはファンサービスの意味も持つ『猿』の読み切り短編が描かれました。これが、「週刊少年サンデー30周年記念増刊号」に掲載された『プロゴルファー猿 FOREVER』です。大橋巨泉主催のプロアマ大会に参加するためにハワイへと旅立った藤子不二雄Aが現地で「猿」に会うという内容で、10年後にビッグコミック誌で連載開始となる「サル」との繋がりが非常に興味深い作品です。現在のところ単行本未収録作品となっているのが何とも惜しいですね。

この「プロゴルファー猿FOREVER」が掲載されてから以降は、『プロゴルファー猿』の大きな展開はあまり見られませんでした。それでも主だったところを挙げてみると、中央公論社から「藤子不二雄ランド・新プロゴルファー猿」「愛蔵版・プロゴルファー猿」の刊行開始(それぞれ89年8月/89年10月)、91年〜92年には全6巻のアニメビデオの刊行、そして94年には文庫版の刊行はされています。
その間、藤子不二雄ランドやてんとう虫コミックスの絶版などもあり、ファンに取っては辛い時代となってしまいました。
ビッグコミック時代(1998〜)『サル』
98年も暮れに押し迫った12月。突然、『プロゴルファー猿』ファンにとっては衝撃とも言える藤子不二雄A先生の新連載が始まりました。ビッグコミック99年1月10日号にて連載開始となった『サル』です。
20年前、プロテストに合格した後、突然表舞台から姿を消した伝説の男・サル。この、大人に成長した20年後のサルは、広大なアメリカを舞台に、今後どのような活躍を見せてくれるのでしょうか。『プロゴルファー猿』の世界はまだまだ続きます。

アニメ、ゲームも大ヒットしました!
プロゴルファー猿が連載開始されてから、これまでの間に、藤子不二雄を取りまく環境は大きく変わっています。1979年からテレビ放映がスタートされた「ドラえもん」の大ヒットから「怪物くん」「忍者ハットリくん」…数々のヒット作で藤子作品はテレビ朝日系列で続々とアニメ化され、人気を博していました。
そんな藤子アニメブームの中、「プロゴルファー猿」までもが(スペシャル放映という単発企画ではあるが)アニメ化の機会に恵まれました。これが82年10月29日に放映されたアニメスペシャル版です。
このアニメはあくまでも一回きりの単発企画でしたが、これはその後の『プロゴルファー猿』に大きく影響を与えることになります。このアニメ化を機に、『別冊コロコロコミック』で「プロゴルファー猿」が連載スタートしたのです。