ノーヒットノーランの”ノーラン”はノーランライアンが由来!?

カリフォルニア・エンゼルス時代のノーランライアン
70、80、90年代の各年代でノーヒットノーランを達成!
現役時代、計7度のノーヒットノーランを達成したノーランライアン。
各達成時を下記にまとめた。
1.1973年5月15日、対カンザスシティ・ロイヤルズ戦で初めてのノーヒットノーラン(所属はカリフォルニア・エンゼルス)。
2.1973年7月15日、対デトロイト・タイガース戦で17奪三振を奪い、年間2度目のノーヒットノーランを達成(所属はカリフォルニア・エンゼルス)。
3.1974年9月28日、対ツインズ戦、15奪三振でノーヒットノーラン(所属はカリフォルニア・エンゼルス)。
4.1975年6月1日、対オリオールズ戦で3年連続4度目のノーヒットノーランを達成(所属はカリフォルニア・エンゼルス)。
5.1981年は9月26日のロサンゼルス・ドジャース戦で史上最多5度目のノーヒットノーランを達成(所属はヒューストン・アストロズ)。
6.1990年6月11日、対アスレチックス戦で自身6度目のノーヒットノーランを達成。3球団での達成は史上初だった(所属はテキサス・レンジャーズ)。
7.1991年5月1日のトロント・ブルージェイズ戦は体調が悪く、「5回まで持たないかもしれないから、代わりの投手を用意しておいてくれ」と言い残しての登板だったが、16奪三振で7度目のノーヒットノーランを達成した。44歳3ヶ月での達成は現在でも史上最年長記録。(所属はテキサス・レンジャーズ)。
ちなみに8回まで無安打だったが9回に安打を許してしまったことが5試合あったという。
≪2度目のノーヒットノーラン時のエピソード≫
1973年に2度目のノーヒットノーランを達成した試合終盤、60年代を代表するスラッガー、ノーム・キャッシュに打順が回ってきた。
彼はなんとクラブハウスにあったテーブルの脚をバット代わりにして、打席に立とうとした。当然、審判に注意されるが、「バットじゃ奴の球は打てない。これを使わせてくれ」とジョークを言ったという。
キャッシュは渋々通常のバットを使うが、結局最後のバッターとなってしまった。
ライアンは、後にキャッシュのこの行動によってかえってリラックスできたと語っている。

ノーム・キャッシュ
キャッシュはユーモアのセンスに長けていた選手で、チームメイトはもちろんマスコミ、そしてファンからも人気があった。
ライアンとのエピソードでは、タイガース戦でライアンが一塁に出塁した時、一塁手のキャッシュに「素晴らしいバッティングだね。私もあやかりたいもんだよ。」と声をかけられ、しかもライアンの好きなハンティングの話を始めたので、聞き入っていたら、投手からの牽制球で刺され、キャッシュにニヤっと笑われたことがあるという(笑)
”スピード違反”!豪速球がギネス記録になった!
キャリアハイとなる22勝(16敗)、防御率2.89、いずれもリーグ最多の367奪三振を記録した1974年シーズン。
8月20日のタイガース戦で、赤外線レーダーによる球速の測定が球団企画として行われた。
そこで記録されたのが100.9mph(162.4㎞/h)だった。この球速はギネス世界記録に認定された。
しかし全ての球を計測したわけではなく、その1球は9回に記録された。本人も「あれ以上に速いと思ったボールもあった」と語っている。
ライアンの豪速球は最速103mph(165.8km/h)にまで到達。
スリークォーターから投げ込まれるストレートが剛腕の一番の武器だった。他にも、縦に大きく割れるカーブ、サークルチェンジを巧みに用いて、奪三振の山を築いた。
現役時代の奪三振数はなんと5714個。当然、MLBの最多記録となっている。
また、2795個の与四球数もMLB最多記録。”ノーコン”ライアンとしても有名だった(笑)
1993年に引退するが、当時46歳にして球速は98mph(約157.7km/h)を記録した。
現役時代、当時は一般的でなかった(むしろ”害”になるとさえ言われていた)ウエイトトレーニングやインナーマッスルトレーニングをいち早く導入。異端児と言われた投手コーチのトム・ハウスと二人三脚で編み出した独自のトレーニング方法・調整法が話題となり、著書「ピッチャーズ・バイブル」にて詳細が記載されている。
投手にとって最重要とも言える肩周辺のインナーマッスルを鍛えるなど、豪快な投球からは意外にも思える繊細な作業を繰り返していた。
「投手は若い内はより多くのイニングを投げて肩を作るべきだ」という独自の理論を持っており、現在のメジャーでスタンダードとなっている「先発投手は1試合100球・1シーズン200イニング」という考え方に疑問を持っているとのコメントが「ピッチャーズ・バイブル」の中において、ある研究者へ寄せられている。

著書「ピッチャーズ・バイブル」
引退後のノーランライアン
1993年9月22日のシアトル・マリナーズ戦に登板。しかし、1死も取れずに2安打4四球5失点で降板した。
これが現役最後の登板となった。
引退後の1996年にはヒューストン・アストロズとテキサス・レンジャーズ時代の背番号「34」が永久欠番に指定された。ちなみにカリフォルニア・エンゼルス時代の背番号「30」は1992年に永久欠番に指定されている。

アストロズ時代のノーランライアンをモデルにしたフィギュア!背番号はもちろん「34」
ノーラン・ライアン#.E5.BC.95.E9.80.80.E5.BE.8Cとは - goo Wikipedia (ウィキペディア)

テキサス・レンジャーズ時代のノーランライアン
大リーグに凄い剛速球を投げる投手がいる、その名は「ノーランライアン」。
遠いここ日本でも有名だったライアン。偉大な投手だった。