人気の上昇と共にメンバーの関係は悪化!ディスり合いも!
いくつものヒット曲を出し、人気を集めていたが、売上金の着服疑惑などメンバーの仲は次第にギクシャクしていく。その確執により、1989年に主力メンバーのアイス・キューブが離脱してしまう。
ツアーとレコードの売り上げが300万ドル(約2億7,000万円)だったのに対し、アイス・キューブの受け取った報酬はたった3万2,000ドル(約290万円)だったという。白人の敏腕マネジャーはイージー・Eばかりを優遇し、リリックなどで貢献していたアイス・キューブを冷遇していたのである。
アイス・キューブはソロとして東側のパブリック・エナミーと組んで第1作目の「Amerikkkas Most Wanted」を発売し、ヒットさせるなどひとりのラッパーとして地位を築いていく。
しかし、その後、N.W.Aがアルバム「100マイルズ・アンド・ランニン」内において「ベネディクト・アーノルド(裏切り者の代名詞)」とし、アイス・キューブをディスる。それに反応したアイス・キューブがセカンドアルバムの「Death Certificate」内でN.W.Aを痛烈にディスるなどビーフ(アーティスト間の論争)に発展した。
N.W.A.はラストアルバム『Niggaz4Life』でもアイス・キューブをディスっている。
アイス・キューブ
一方、1991年には、アイス・キューブをディスったアルバム「100マイルズ・アンド・ランニン」のメインプロデューサも務めたドクター・ドレーが離脱してしまう。
リーダーはイージー・Eであったが、音楽面での実質的な影響力を持っていた2人が抜けたことで、グループは解散を迎えた。
そして、またもディスが生まれた。
ドクター・ドレーはシュグ・ナイトと共にデス・ロウ・レコーズを立ち上げ、代表ラッパーであるドクター・ドレーらはイージー・Eを厳しく批判したのである。
しかし、1995年にイージー・Eがエイズで亡くなってしまう。その前には和解したと言われている。
ドクター・ドレー
イージー・E
N.W.Aの自伝的映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』は大ヒットし、日本でも彼らの知名度が飛躍的に向上した。
日本ではまだ”ヒップホップ開幕前夜”とも言える時代に、本場のアメリカではこんなハードなことが起きていたのだなと実感させられる名作だ。
そして、劇中2pacやスヌープ・ドッグなど”そっくりさん”も出演し、90年代前半のヒップホップを懐かしめる内容にもなっている。
ライブシーンも迫力があるので、まだご覧になっていない方は是非!
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