ギャングスタラップの『N.W.A』
アメリカのカリフォルニア州コンプトンで1986年に結成されたヒップホップグループ『N.W.A』。
名称はNiggerz With Attitude(肝の据わったニガー)の略。名付けたドクター・ドレーは後から何の略かわかった時に相手を怖がらせることができると考えていたそう。
暴力や麻薬などの犯罪を題材にした攻撃的なギャングスタ・ラップを多用したことで知られる。
西海岸の代表的なヒップホップグループ。ウェストコースト・ヒップホップシーンの雄。
メンバーはイージー・E(Eazy-E)、アイス・キューブ(Ice Cube)、ドクター・ドレー(Dr.Dre)、MC・レン(MC Ren)、DJ・イェラ(DJ Yella)の5人。

『N.W.A』
80年代後半、西海岸に現れた『N.W.A』
N.W.Aの結成当時、ヒップホップの中心は東側のニューヨークのブロンクスやブルックリン、ハーレムだった。
N.W.Aが結成される前年には、既に東側の代表格だったランDMCは主演映画「クラッシュ・グルーブ」を全米週末興行収入成績第2位にまでヒットさせている(彼らのヒット曲「ウォーク・ディス・ウェイ(Walk This Way)」は1986年)。
そんな状況の中、西海岸にもヒップホップあり!といった存在感を放つことになったN.W.Aの問題作を振り返る。

アディダス×カンゴールハット=ランDMC
デビュースタジオアルバム 『ストレイト・アウタ・コンプトン』
1988年8月8日に発売されたN.W.Aのデビュースタジオアルバム『ストレイト・アウタ・コンプトン』。
1986年から1988年にかけて録音された(ドクタードレー曰く、週末は休みながら6週間で仕上げたそう)。
本作はギャングの抗争、異人種間の対立など当時の黒人社会の状況を写実的に、時に誇張しながら”ラップ表現”された一作である。
彼らの特徴であるギャングスタラップの反社会的な攻撃性がいかんなく発揮され、良くも悪くも話題を提供した。
そして、多くの若者の支持を集めたヒット作となり、アメリカの人気チャートでヒット曲の指標ともなっている「Billboard 200」で第4位を獲得した。
ラジオではオンエアされなかったが、発売から3カ月で100万枚以上売れ、プラチナムとなった。
意外なことに、実際の彼らは本物のギャングではなかった。
犯罪の温床となっている地域(コンプトン)に住んでいて、そうした犯罪を犯してしまう人々が身近にいたからこそ、それを現実としてラップ音楽にまとめて発信したのである。
あくまでも姿勢は常にラッパーであった。
本作の影響は世紀を超えても垣間見ることができる。
2014年に雑誌『Complex』において「50枚の最も偉大な1980年代のラップ・アルバム」の第3位に選ばれている。

アルバム『ストレイト・アウタ・コンプトン』
【収録曲】
1. 「Straight Outta Compton」
2. 「Fuck tha Police」
3. 「Gangsta Gangsta」
4. 「If It Ain't Ruff」
5. 「Parental Discretion Iz Advised」
6. 「8 Ball (Remix)」
7. 「Something Like That」
8. 「Express Yourself」
9. 「Compton's n the House (Remix)」
10. 「I Ain't tha 1」
11. 「Dopeman (Remix)」
12. 「Quiet on tha Set」
13. 「Something 2 Dance 2」

『N.W.A』
ドクター・ドレーは後年、当時を振り返り「俺たちは郊外のキッズにアップでなにが起きてるのかを見てみるチャンスを提供したんだよ」と発言している。
また、アイス・キューブは「コンプトン出身でもなければ、こういう世界は普通じゃ見られないもんだからな。俺たちの音楽は安全な距離を保ったまんまコンプトンを訪ねてみることができるものだったんだよ」と同じく、シリアスな現実社会をラップで記録的に代弁した旨を語っている。

すっかり年を重ねたアイス・キューブ(左)とドクター・ドレー(右)
≪アルバム収録曲 動画≫
過激な1曲「Fuck tha Police(ファック・ザ・ポリス)」
アルバム『ストレイト・アウタ・コンプトン』の中でも特に有名なのは「Fuck tha Police(ファック・ザ・ポリス)」だろう。
彼らの作品はその過激さゆえ、放送コードに抵触したものが多い。日本語版CDでは対訳はもとより、原詞も割愛されているが、この「Fuck tha Police」は警察の腐敗や体たらくをいわゆるディスりまくった一曲である。
FBIから警告が届いたほど過激な曲であり、2015年に公開された彼らの自伝的映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』でも触れられている。
ライブ前に警察官によって、「Fuck tha Police」のライブでの演奏禁止を通達される。もし、演奏した場合は逮捕するといった警告を受けるシーンがある(その後、ライブで演奏し、逮捕される)。
ちなみにこの曲は「ローリング・ストーン」誌が選ぶ最も偉大な500曲第425位に選出されている。
人気の上昇と共にメンバーの関係は悪化!ディスり合いも!
いくつものヒット曲を出し、人気を集めていたが、売上金の着服疑惑などメンバーの仲は次第にギクシャクしていく。その確執により、1989年に主力メンバーのアイス・キューブが離脱してしまう。
ツアーとレコードの売り上げが300万ドル(約2億7,000万円)だったのに対し、アイス・キューブの受け取った報酬はたった3万2,000ドル(約290万円)だったという。白人の敏腕マネジャーはイージー・Eばかりを優遇し、リリックなどで貢献していたアイス・キューブを冷遇していたのである。
アイス・キューブはソロとして東側のパブリック・エナミーと組んで第1作目の「Amerikkkas Most Wanted」を発売し、ヒットさせるなどひとりのラッパーとして地位を築いていく。
しかし、その後、N.W.Aがアルバム「100マイルズ・アンド・ランニン」内において「ベネディクト・アーノルド(裏切り者の代名詞)」とし、アイス・キューブをディスる。それに反応したアイス・キューブがセカンドアルバムの「Death Certificate」内でN.W.Aを痛烈にディスるなどビーフ(アーティスト間の論争)に発展した。
N.W.A.はラストアルバム『Niggaz4Life』でもアイス・キューブをディスっている。

アイス・キューブ
一方、1991年には、アイス・キューブをディスったアルバム「100マイルズ・アンド・ランニン」のメインプロデューサも務めたドクター・ドレーが離脱してしまう。
リーダーはイージー・Eであったが、音楽面での実質的な影響力を持っていた2人が抜けたことで、グループは解散を迎えた。
そして、またもディスが生まれた。
ドクター・ドレーはシュグ・ナイトと共にデス・ロウ・レコーズを立ち上げ、代表ラッパーであるドクター・ドレーらはイージー・Eを厳しく批判したのである。
しかし、1995年にイージー・Eがエイズで亡くなってしまう。その前には和解したと言われている。

ドクター・ドレー

イージー・E
N.W.Aの自伝的映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』は大ヒットし、日本でも彼らの知名度が飛躍的に向上した。
日本ではまだ”ヒップホップ開幕前夜”とも言える時代に、本場のアメリカではこんなハードなことが起きていたのだなと実感させられる名作だ。
そして、劇中2pacやスヌープ・ドッグなど”そっくりさん”も出演し、90年代前半のヒップホップを懐かしめる内容にもなっている。
ライブシーンも迫力があるので、まだご覧になっていない方は是非!
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