Scorpions
スコーピオンズ
スコーピオンズは、ドイツを代表するバンドに留まらず、世界的にハードロック、ヘヴィメタルを代表する最重要バンドのひとつです。
1965年に結成され2016年現在も現役で活動しています。
オリジナル・メンバーは
ルドルフ・シェンカー(vo.g.)
カール・ハインツ・ヴォルマー(g.)
ウォルフガング・ズィオニー(ds.)
ヨアヒム・キルヒホッフ(b.)
の4人ですが、メンバーチェンジを数多く行っており歴代のメンバーは
【ボーカル】
ウェルナー・ホイヤー
チャールズ・ポルター
ベルント・ヘグナー
【リードギター】
カール=ハインツ・フォルマー
ウルリッヒ・オロビエク
マイケル・シェンカー
ウリ・ジョン・ロート
【ベース】
アヒム・カーカフ
ローター・ハインベルク
フランシス・ブッフホルツ
ラルフ・リッカーマン
【ドラムス】
ヴォルフガング・ヅィオニー
ジョー・ワイマン
ウェルナー・ロア
ユルゲン・ローゼンタール
ユルゲン・フェヒター
ルディ・レナーズ
ハーマン・ラレベル
クルト・クレス
ジェイムス・コタック
ケン・タイラー
インゴ・ポインツァー
となっています。総勢26人!多いですね。
スコーピオンズ
そして現在のメンバーは
クラウス・マイネ (ボーカル ・1969- )
マティアス・ヤプス (リードギター ・1978- )
ルドルフ・シェンカー (リズムギター ・1965- )
パウエル・マキオダ(ベース ・2004- )
ミッキー・ディー (ドラムス ・2016- )
の5人です。
歴史が長いだけにメンバーは多い。発売されたアルバムも多いわけですが、誰が付けたのでしょうか?スコーピオンズの70年代に国内発売されたアルバム(1枚目から6枚目)には「蠍団 」という言葉がタイトルに入っています。スコーピオンズの長い歴史を語るうえで重要な、この単語が入っている初期アルバムをご紹介します。
恐怖の蠍団
1972年発売のデビュー・アルバム「恐怖の蠍団」の注目すべきところはリード・ギタリストとしてマイケル・シェンカーが参加していることでしょう。
マイケル・シェンカーが参加した唯一のスタジオアルバムですが、このアルバムはまだハードロックといった感じはあまりしません。しかし、当時まだ10代だったマイケル・シェンカーのギタープレイが堪能できるといった意味では貴重といえるでしょう。
メンバーは、ルドルフ・シェンカー(G.)、クラウス・マイネ(Vo.)、マイケル・シェンカー (G.)、ローザー・ヘインバーグ(B.) 、ウォルフガング・ズィオニー(Dr.) の5人です。
Lonesome Crow
電撃の蠍団
1974年発売のアルバム「電撃の蠍団」です。むちゃくちゃなタイトルではありますが、タイトルに負けずと劣らないジャケット・デザインに驚きを隠せません。
内容は前作のプログレ色が後退し、一般にハード・ロック路線の基盤を作り上げたアルバムとされています。
早くも脱退してしまったマイケル・シェンカーによる曲が3曲含まれているところは見逃せません。
Fly To The Rainbow
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復讐の蠍団
ジャケット・デザインが、女性が開脚姿勢で喘ぐ様な表情をしているということで欧米で差し替えられることになったとういわくつきの1975年発売の「復讐の蠍団」。
しかし、このアルバムは1曲目から思いっきり迫ってきます。ハードなだけではなく、美しいメロディがぎっしりと詰まった1枚です。
In Trance
狂熱の蠍団
前作に引き続き、オリジナル・ジャケットが少女のヌード写真だったため幼児ポルノを問題視され、またまた差し替えとなった1976年発売の「狂熱の蠍団」です。
ジャケット問題はともかく、本作を最高傑作とするファンは多く非常に勢いもありまとまりもあるアルバムです。
Virgin Killer
暴虐の蠍団
1977年に発売された5枚目のアルバム「暴虐の蠍団」のアルバム・ジャケットも、墓地で打ち合いをしている写真がテロを連想させるとして欧米では差し替えられています。
アルバム・ジャケット問題もさることながら、本作は看板ギタリストであるウルリッヒ・ロートのスタジオ・アルバムとしては最後の作品となってしまいました。
シングルとなった「暴虐のハード・ロッカー」をはじめ、素晴らしいプレイを披露しているだけに残念です。
Taken By Force
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1978年に初のライブアルバム「蠍団爆発!!スコーピオンズ・ライヴ」を発売した後、ウルリッヒ・ロートはスコーピオンズを脱退してしまいます。
同時に邦題に付けられていた「蠍団」という単語もこれ以降なくなります。スコーピオンズが商業的な成功を収めるのは80年代に入ってからですが、日本での「蠍団」の歴史とはウルリッヒ・ロートのそれといえるのかもしれません。
それでは最後にスコーピオンズの代表曲のひつと「Wind Of Change」を!