続いて「不死鳥」の名のつく、フェニックススプラッシュ。
技解説:フェニックススプラッシュ|ハヤブサオフィシャルブログ「愛と勇気とあるこーる」Powered by Ameba
この他にも、ファルコン・アローやHエッジなど、自身のオリジナル技を解説されています。また、近年の活動や日常生活などを楽しく綴ったハヤブサ選手のブログは、今も公開されています。
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全日本プロレスへの参戦
FMWで確固たる地位を築いたハヤブサ選手に、メジャー団体への挑戦というチャンスが巡ってきました。ジャイアント馬場選手率いる、全日本プロレスです。
当時、最初の引退から現役復帰をしていた大仁田厚選手が、かつての師匠・ジャイアント馬場選手に掛け合う形で実現した全日本参戦でしたが、ハヤブサ選手には思うところがあったようです。
忘れられない馬場さんの言葉…ハヤブサ<5> : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
それでも、全日本のトップ選手との激闘を通して、ハヤブサ選手への高評価は揺るぎないものとなりました。その後も、全日本プロレスにはスポット参戦を継続しました。
「H」への転身
1999年当時、FMWのリングは「理不尽大王」こと冬木弘道選手がコミッショナーとして牛耳っていました。FMW正規軍に属するハヤブサ選手と冬木選手は長年の抗争を繰り広げていましたが、あろうことか冬木選手は、ハヤブサ選手にマスク剥奪を勧告したのです。
素顔で闘うことを余儀なくされたハヤブサ選手。そこで生み出されたのが、それまでの「ハヤブサ」のイメージを覆す「H」というキャラクターでした。
H選手は飛び技を多用せず、時にはラフファイトも辞さない、セクシーかつ明るいキャラクターでファンを魅了しました。そして、この時代に生まれた彼の決め台詞がこちらです。
「お楽しみは、これからだ!!」
約1年の「H」時代を経て、彼は再びマスクマン・ハヤブサとしての活動に戻ります。
事故
2001年10月22日、FMW後楽園ホール大会。シリーズ最終戦、ハヤブサ選手はマンモス佐々木選手との試合に臨んでいました。
ハヤブサさんが運命変えた事故直後に発した言葉「オレが命をかけたFMWを見捨てないでください」
その時の状況を、後にハヤブサ選手はこう述懐しています。