プロレス転向の誘い
1978年に漫画家「梶原一騎」とユセフ・トルコ氏が当時相撲界の人気力士だった高見山と千代の富士を角界から引き抜き彼らをエースとして、フジテレビの放映による『大日本プロレス』という新団体の設立を企てていた。
梶原一騎(かじわら いっき)
ユセフ・トルコ
なお、この大日本プロレスの構想は、出資金を一時預かった関係者がほぼ全額私的流用した為に消滅した。
千代の富士も真剣に検討していた。
1978年の「千代の富士」
1978年ごろ、元恋人が借金を抱えていたこと、梶原一騎らの誘いを受けていたことからプロレス転向を考えていた。
だが、プロレスでも肩を壊せば脱臼だけでなく左腕切断の危険性もあり、思いとどまった。
後年、九重親方(千代の富士)はトルコ氏と再会のおり、『あの時プロレスラーにならなくて本当に良かった』と話している。
千代の富士とプロレスラーの縁
【北尾】(双羽黒)
【安田忠夫】(孝乃富士)
もしもプロレス転向していたら?
相撲界では小兵と言われた千代の富士だが、身長183cm・体重100kg(1978年当時、その後127kgまで増やした。)という体格はプロレスラーとしては十分。
元力士は瞬発的なパワーや打たれ強さを誇る半面、弱点もある。輪島ら晩年転向組は「転んだら負けという習性があって、相手の投げ技を受けるときに踏ん張ってしまうし、派手な受け身も取りにくい」とプロレスへの適応の難しさを話す。長時間のファイトを演じる際にはスタミナを要求され、寝技やロープワークにも慣れていないという点もある。
しかし、千代の富士の長所である大型力士を一気に押し出す瞬発力、まわしを取ったら離さない腕力。そして小兵ゆえのスタミナ。
これらを考えると怪我さえなければ、きっとレスラーとしても大成したのではないかと考えます。
どんな技を使うレスラーになったのかも気になりますね。
プロレスラー千代の富士を見れなかったのは残念です。
しかし、プロレス転向していたら大横綱「千代の富士」は実現しなかった訳ですから、それもまた残念ですね。