関西弁でまくしたてるニュースタイル?パンクロック

1979年、イギリスから飛び火したパンクロックムーブメントの中で「INU」は産声を上げました。
セックスピストルズに触発され英歌詞で歌うバンドが多い中、日本語 しかも関西弁でまくしたてるリーダー町田町蔵のボーカル・スタイルは人々の興味を惹きました。
1981年発表「メシ喰うな!」

結成から2年後の1981年、INUはアルバム「メシ喰うな!」を発表。
ビビッドイエローの背景に、世の中すべてを見透かしたような町田少年の顔がデカデカと写るこのジャケット。どこかで目にしたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
歌い方から曲中に入るうめき声まで 絶妙なバランスで仕上げられたこのアルバムは日本のロック史に大きな影響を及ぼしました。
また楽器隊の演奏レベルも非常に高く、現代の和風ロックの先駆となるような楽曲スタイルだったことがわかります。
INUのメンバー

INU - Wikipedia
INUの前身は町田が17歳の時に結成した「腐れおめこ」というバンドでした。
そこからメンバーチェンジを繰り返し1979年に「INU」に改名。数々の伝説を残していくことになります。
INU解散と町田のその後

INUはファーストアルバム「メシ喰うな!」を発表した五ヶ月後、突如解散を発表します。
町田は数々のバンドを結成しては解散し、ロックを追求し続ける傍ら俳優としても多くの作品に出演。
その後「くっすん大黒」で文壇デビュー。「町田康」と改名し、小説家としての活動を始めます。
町蔵改名、小説家「町田康」

1996年、町田は本名の町田康(まちだやすし)という表記をそのまま使用し、町田康(まちだこう)という呼称で文壇デビューします。
彼の作品は数々の賞を受賞し、「町田康の作品に触れずして現代文学を語ることはできない」と言われるほどの高評価を得ます。
町田はINU時代から続く独特の日本語表現で今も多くの人を魅了し続けているのです。

代表作は「くっすん大黒」、「パンク侍、斬られて候 」、「きれぎれ」etc...
他に類を見ない世界観で高評価を得ています。
INUの残した音源

小説家「町田康」がかつて率いたパンクバンド「INU」の軌跡 いかがでしたか?
是非チェックしてみてください。