地味血統と言われるけれど
ウメノファイバーは1996年5月5日、北海道の新冠町で産まれた。
父サクラユタカオーはG1天皇賞・秋の勝ち馬。
母ウメノローザは南関東の大井で活躍し、G1グランドチャンピオン2000を制覇。
母系を5代さかのぼると、昭和59年顕彰馬に選出されたトキツカゼがいる。

父・サクラユタカオー

トキツカゼ
「府中の女王」の片鱗チラリ
ウメノファイバーは非常に小柄な馬体だったため、牧場関係者や調教師の相沢郁は
彼女にあまり期待をかけていなかった。
しかし1998年11月14日京王杯3歳ステークス。
紅一点、のちに重賞を4勝するロサードを破り6番人気ながら優勝。
インを走る牡馬相手に外からねじ伏せる強い勝ち方だったが、この時まだ陣営は
彼女の能力に対して、絶対的な自信を持てずにいた。

ウメノファイバーを手掛けた相沢郁調教師
あれはマグレだったのか?
翌月、ウメノファイバーはG1・阪神3歳牝馬ステークスに出走する。
4コーナーで前を射程圏内に入れ直線を迎えたが、やや重の馬場に
脚をとられたのか思ったように伸びなかった。
1着スティンガーからは1.9秒差の6着。
京王杯3歳ステークスからは、フロックの香りが漂いはじめていた。
府中で2度目の重賞制覇!
年が明けて1999年2月21日。
陣営は桜花賞の前哨戦にクイーンカップを選んだ。
レースでは今までの末脚勝負から一転、3番手につける競馬でファンを驚かせたが、
ゴール100m手前あたりで先頭に立つと、圧倒的1番人気レッドチリペッパーの
追撃をしのいで勝利を手にした。

鞍上・蛯名正義騎手
末脚不発の桜花賞
桜花賞当日、馬場は良発表だったが、前日の雨の影響が残っていた。
キレ味を削がれたウメノファイバーは、直線蛯名のムチに必死になって応えるも
6着までが精いっぱいだった。

ハナ差でつかんだ女王の座
そして迎えた1999年5月30日、第60回オークス。
桜花賞馬・プリモディーネや全盛期を迎えていたサンデーサイレンス産駒・トゥザヴィクトリーやスティンガーの前に、ウメノファイバーは府中で重賞を2勝していながら7番人気という低評価だった。
スタート後は得意の末脚をいかす戦法で、向正面では後方4番手を追走。直線を待った。
4角を回ってもまだ後方。先頭に立ったトゥザヴィクトリーがそのまま押し切るかに見えたが、やはり府中でのウメノファイバーの末脚はひと味違った。
大外から豪快に追い込みトゥザヴィクトリーをハナ差でねじ伏せ、第60代オークス馬に
輝いた。

大波乱の秋華賞
秋になり、牝馬クラシック最後のレース秋華賞。
ウメノファイバーは、ぶっつけ本番でここに臨んだ。
5か月休んだことで、馬体はプラス16キロに成長していた。
いつものように後方待機でレースを進め、4角で先頭集団を捉えにかかる。
しかしこの日、驚異の末脚を炸裂させたのはウメノファイバーではなく、12番人気の
ブゼンキャンドル。
結果は4着。小差の惜しい競馬だった。
この後ウメノファイバーは、JRA賞最優秀4歳牝馬を受賞した。
孫の活躍
秋華賞後、重賞を6戦したが勝ち星を挙げることはできず、2000年12月17日の
阪神牝馬特別が現役最後のレースとなった。
現在は生まれ故郷の新冠町に戻っているが、残念ながら牧場の見学はできない。
直仔に重賞活躍馬は出でいないが、孫のヴェルデグリーンが重賞を2勝。
ウメノファイバーのファンも彼のさらなる活躍を期待していたが、2014年腸閉塞のため
早世し、競馬界は悲しみに包まれた。