ピストルズ:前夜

パンクロックは1970年代中頃にアメリカのニューヨークで産声を上げ、その後、高い失業率に見舞われ古臭い慣習に辟易していたイギリスの若者たちへと飛び火しました。
その中心となったのが、セックスピストルズです。
パンクは音楽のスタイルではなく生き方だとはよく言われますが、自分たちの言葉で自分たちの思いを表現した音楽がパンクロックといえます。
当時のロックは簡単には演奏をコピーできないほど高度な演奏技術を必要としていましたし、スターダムシステムが出来上がっていました。
その反動からパンクロッカーたちはストリートから出てきて、シンプルで原初的な音楽を奏でたのです。
テクニックを磨くことよりも今すぐ始めることを選び、すべての価値観をぶち壊せと。
ピストルズ:結成
NYで『ニューヨーク・ドールズ』のマネージャーをしていたマルコム・マクラーレンはロンドンに戻り、キングス・ロードで『SEX』というブティックを経営していました。
その店に出入りしていたスティーヴ・ジョーンズとポール・クックがやっていたバンド『スワンカーズ』を売り出そうと考えたマルコム・マクラーレンは、店員だったグレン・マトロックと、オーディションで選んだジョニー・ロットンを加入させ、セックス・ピストルズとしてライブを開始します。
ピストルズ:メンバー

ジョニー・ロットン Johnny Rotten 1956年1月31日 :リード・ヴォーカル

スティーヴ・ジョーンズStephen Philip Jones 1955年9月3日:ギター

ポール・クックPaul Cook 1956年7月20日:ドラムス

グレン・マトロック Glen Matlock、1956年8月27日:ベース

シド・ヴィシャス Sid Vicious 1957年5月10日:ベース
ピストルズ:契約
ライブを重ねるにつれ、シンプルなロックンロールに反体制的な歌詞と髪を逆立て破れたりピンが付いたりした過激なファッションでメディアを煽り注目されていきます。
その一方で保守層からは敵視され、ライブでは乱闘騒ぎが毎回おこり、会場からしめだされはじめます。
そんな中、大手レーベルのEMIと契約し、シングル「アナーキー・イン・ザ・U.K./アイ・ワナ・ビー・ミー」をリリース。
しかし、テレビ出演時に放送禁止用語を連発し契約を破棄されてしまいます。
結果としてバンドは巨額の違約金と話題を手に入れました。
1977年にベーシストのグレン・マトロックが、音楽性の違いやジョニー・ロットンとの不和などの理由で脱退し、後任のベーシストとして、古くからジョニーと親しかったシド・ヴィシャスが参加します。
破滅的な行動を繰り返すシドは、セックス・ピストルズの象徴的な存在となります。
EMIとの契約破棄後はA&Mレコードと契約を結ぶことになりましたが、シングル「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン/分かってたまるか」の発売直前にA&Mレコードに所属しているミュージシャンや世間からの批判にあい契約は破棄されました。
このことにより、また彼らは巨額の違約金を手に入れたのでした。
最終的にヴァージン・レコードと契約に至りましたが、当時いつも問題を起こしていたことでライブが出来なくなっていたセックス・ピストルズは、エリザベス女王在位25周年祝典の日にテムズ川のボートでゲリラライヴを行いました。
確信犯としてこのプロモーションを考案したのはマルコムです。
思惑通りに逮捕され、このことが話題となりシングル「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」は全英シングルチャートで最高2位(NMEチャートでは最高1位)を記録しました。
そしてついに1977年10月、歴史に名を残すことになる唯一のオリジナル・ファースト・アルバム『勝手にしやがれ!!』が発売されました。
ピストルズ:ディスコグラフィー
セックス・ピストルズは1枚しかスタジオアルバムを残していませんが、このアルバムこそが、パンクロックのアンセムと言ってよいでしょう。
また、関係者は最初から彼らに2枚目を作成する気はなかったようだと語っています。

『勝手にしやがれ!!』(原題:Never Mind the Bollocks, Here's the Sex Pistols)
【UKオリジナル盤】
Side A
1.さらばベルリンの陽 - Holidays in the Sun(3分20秒)
2.ライアー - Liar(2分41秒)
3.分かってたまるか - No Feeling(2分49秒)
4.ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン - God Save the Queen(3分19秒)
5.怒りの日 - Problems(4分10秒)
Side B
1.セブンティーン - Seventeen(2分02秒)
2.アナーキー・イン・ザ・U.K. - Anarchy in the U.K.(3分32秒)
3.ボディーズ - Bodies(3分03秒)
4.プリティ・ヴェイカント - Pretty Vacant(3分17秒)
5.ニューヨーク - New York(3分05秒)
6.拝啓EMI殿 - E.M.I.(2分57秒)
当初は特典としてシングル「サブミッション」が付加されていましたが、1977年11月リリース以降アルバム内に組み込まれ、曲順が若干変更されています。
また、各国によって収録曲、曲順が異なっており、US盤およびカナダ版ではジャケットがピンクの下地に緑のバンドロゴとなっています。

2ndシングル:ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン
【シングル】
・アナーキー・イン・ザ・U.K./アイ・ワナ・ビー・ミー (Anarchy In the U.K. / I Wanna Be Me)
・ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン/ディド・ユー・ノー・ロング (God Save the Queen / Did You No Wrong)
・プリティ・ヴェイカント/ノー・ファン (Pretty Vacant / No Fun)
・さらばベルリンの陽/サテライト (Holidays In the Sun / Satellite)
【ライヴ・アルバム】
・Anarchy in the UK: Live at the 76 Club (1985年)
・勝手に来やがれ - Filthy Lucre Live(1996年)
・Raw and Live (2004年)
【企画盤】
・ザ・グレイト・ロックン・ロール・スウィンドル - The Great Rock'n'roll Swindle(1979年)
・Some Product: Carri on Sex Pistols (1979年)
・Flogging a Dead Horse (1980年)
・KISS THIS~ベスト・オブ・セックス・ピストルズ Kiss This (1992年)
・Jubilee (2002年)
・Sex Pistols Box Set (2002年)
・Spunk (ブートレグ-1977年、オフィシャル-2006年)
・Agents of Anarchy (2008年)
ピストルズ:解散

1978年、初のアメリカツアーを開始しましたが、1月14日のサンフランシスコ、ウインターランド公演でジョニー・ロットンがバンドを脱退してしまいます。
マルコムは、シド・ヴィシャスにフランク・シナトラの「マイ・ウェイ」をレコーディングさせ発売。その後アメリカツアーを行いましたが、宿泊していたホテルで恋人であったナンシー・スパンゲンが死亡。刺殺した容疑をかけられたまま、麻薬の大量摂取が原因でシドも死亡してしまいました。
スティーヴ・ジョーンズとポール・クックは、イギリスの大列車強盗犯人ロナルド・ビッグスや元ナチスのマルチン・ボルマンを参加させセックスピストルズを継続させましたが、話題作りに終始した感があり音楽的に認められることはありませんでした。
ジョニーが脱退した時点で、セックスピストルズは解散したと言ってよいでしょう。
ピストルズ:再結成
セックスピストルズ脱退後のジョニーの名言「ロックは死んだ」ですが、信じられないことに彼らは再結成をします。
1996年、オリジナル・メンバーでワールド・ツアーを行いました。
その後も、2002年、2003年、2007年と再結成しています。
また、2006年にはロックの殿堂入りを打診されますがそれを拒否し、ロックの殿堂入りを蹴った史上初めてのアーティストとなりました。
再結成に対しては賛否いろいろとありましたが、「俺たちはピストルズだ。なんだってやる」と批判の声を一蹴しました。
破滅へ向かって突き進み「No Future」と叫んでいたセックスピストルズですが、今なお逞しく、したたかに生き残っているというのは奇跡といってもいいでしょう。
そして、ある意味セックスピストルズの象徴であったシド・ヴィシャスの死は、彼があまりにも純粋であったからにほかなりません。
様々なところで取り上げられている「ロックは死んだ」というジョニーの発言ですが、実は「しかし、ポップスは生き残る」と続きます。セックスピストルズはポップスとなったのでしょう。
たった1枚のアルバムだけで歴史に名を遺したセックス・ピストルズ。
パンクロックが必要とされる状況は良好とは言えないのでしょうが、どのような状況であれ彼らの音楽が輝きを失うことはないでしょう。