99年6月の三冠戦。
この頃になると、ひとつ前の試合でフィニッシュホールドになっていた技がフィニッシュにならないのが当たり前と思われるほど、技の危険度と受け身の高度化が進んでいた。
【三沢光晴をめぐる証言vol.1】小橋健太インタビュー - エキサイトニュース(5/11)
2000年6月、日本プロレスを退団しプロレスリング・ノアを設立
大勢の選手とともにプロレスリング・ノア旗揚げ
ノア旗揚げ後、小橋は膝の怪我と戦い続けることに。
2001年1月18日を最後に膝の手術とリハビリのため欠場。
2002年2月17日 - 秋山、永田裕志組戦(パートナーは三沢)で395日ぶりにリング復帰を果たしたが、左膝前十字靱帯不完全断裂で全治4か月の負傷で再び欠場。
7月5日、138日ぶりの再復帰戦を第1試合で行う。
この間、ノアのリングの中心に立っていたのは小橋の盟友・秋山だった。
【策士・秋山準】NOAHをメジャー団体に押し上げた立役者はこの人 - Middle Edge(ミドルエッジ)
一方の三沢もまた、全日本時代には交わらなかったプロレスラーたちとの遭遇でプロレスの凄さを表現。
【三沢と小川/橋本の遭遇】2001年、NOAHと同時期に立上げを迎えたZERO-1はまさにカオスでした!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
2003年3月1日、ノアのリングでGHCをかけた三沢VS小橋の死闘
もはや伝説の域に達していた「三沢VS小橋」がノアのリングでついに実現。
GHC王者・三沢に小橋が挑んだ試合はまたしてもこの年のプロレス大賞・ベストバウト賞を受賞。
三沢による新たな団体旗揚げ、度重なる手術とリハビリを余儀なくされた小橋。
従来の「三沢VS小橋」に新たな物語を綴ることで、より重厚感を増した二人のファイト。
プロレスは戦う者の人生を投影するファイトだと、まさに二人は教えてくれる。
【三沢光晴をめぐる証言vol.1】小橋健太インタビュー - エキサイトニュース(7/11)
その後、小橋は2年間ベルトを防衛し続け「絶対王者」と呼ばれることに。
以降プロレスリングノアの隆盛、苦難をともに戦いながらも三沢は2009年、リング上で命を落とす。
一方の小橋は癌、更なる怪我と向き合いながら2013年に現役を引退。
【三沢光晴をめぐる証言vol.1】小橋健太インタビュー - エキサイトニュース(11/11)
他と比較する必要のない、永遠に色褪せない「三沢VS小橋」。
力や勇気をもらいたくなったとき、いまも二人の戦いを観たいと思う。