デビューから重賞初制覇まで
ブラックホークのデビューは年明け3歳の1月、新馬戦を勝利するが
その後は堅実に走るものの思ったように成績が上がらず、4歳の春に
ようやく3連勝で重賞のダービー卿チャレンジトロフィーを制するのであった。
その後、安田記念に出走するもタイキシャトルの前に11着と初めて掲示板を
外す結果となり、この後、1年以上の休養を取ることとなる。
スプリント路線へ
復帰後も堅実に走り、スワンステークスをレコード勝ち、しかしマイルチャンピオンシップではエアジハードの前に3着と、またしてもG1の壁に阻まれる。転機となったのはスプリント路線に参戦した暮れのスプリンターズステークス、初重賞制覇を果たした横山典弘騎手とのコンビで見事に差し切り勝ち、G1のタイトルを手にする。以降、ブラックホークの主戦場はスプリント路線となる。
善戦マン
G1を勝利したブラックホークだったが、その後はイマイチなレースが続き
2着3着はキープをするものの、勝ちきれない日々が続く、しかしながら
馬券を買っているファンからすれば、安心して見ていられる馬でもあった
何故なら、馬券圏内にはきっちりと来てくれるからである。
安田記念制覇
勝ちきれなくとも善戦する。ブラックホークがそんなレースを続けて、1年以上経過していたが、ついに1着のゴールを手にする。そのレースがG1安田記念。2年連続で惨敗しているし、そもそもマイルは長いだろうと思われていたが、追い込み策で見事勝利。2着に人気薄のブレイクタイムが入り、馬連は10万円を超える配当となった。
そして、これが現役最後のレースとなった。
種牡馬時代、その後
ブラックホークは産駒にクーヴェルチュール、チェレブリタと二頭の
重賞ウィナーを出したが、父を超える産駒は生まれず2015年に息を引き取った。
ライバル達
ブラックホークが活躍した1999年から2001年にかけてのスプリント路線は
アグネスワールド、キングヘイロー、トロットスター、ダイタクヤマトなど
群雄割拠の時代であった。その中でもブラックホークは安定した成績を残した。