日本のガールズバンドで最も成功したバンド
PROFILE | プリンセス プリンセス official website
失礼を承知で書くが「プリンセスプリンセス」はライブは上手くなかったと思う。スタジオ録音はともかく、ライブではどうしても粗が目立った。本人たちも歯痒い部分はあったのではないかと思う。
ただ、そこには、勢いというか、一生懸命さがあって、特に初期の頃は、奥居のボーカルと富田のドラムスがその音楽を支えていたと思う。
バンドの来歴、デビューからシンコーミュージック移籍まで
<オーディションからデビュー直後まで>
ガールズバンドのオーディション、「赤坂小町」としてデビュー。当初は、完全なアイドル路線で、バンドというイメージも全然ない。
<所属事務所の移籍、バンド名の変更>
所属事務所をTDKレコードから音楽座へ変更し、併せて「赤坂小町」というバンド名を「JULIAN MAMA」へ改名。さらに、シンコーミュージックへ移籍し、移籍前に、バンド名を「PRINCESS PRINCESS」へ変更している。
バンドの転機になった「キスで犯罪(キスでクライム)」。音楽座からシンコーミュージックへの移籍の切欠になった。
飛躍の年、1988年
バンドの絶頂期<1989年~1993年> ガールズバンドのブームを呼んだ
1989年から「プリンセスプリンセス」は、バンドの絶頂期へ入る。
シングルカットされた曲が5枚連続でチャート1位を獲得。同時期に発売されたオリジナル・アルバムもチャート1位を獲得。
「ZELDA」「SHOW-YA」と並んで「ガールズバンド」の牽引役になった。