
デビューから本格化まで
1996年に地方盛岡競馬場でデビューしたメイセイオペラは、徐々に頭角を現し
6戦目から9連勝、しかもほとんどが圧勝で、岩手の怪物トウケイニセイの再来と呼ばれる
ようになる。しかし、中央との交流レース、ダービーGPは2番人気ながらも10着敗退
続くスーパーダートダービーも10着と中央の壁に跳ね返されてしまう。
気を取り直して地方馬との桐花賞は勝利し、古馬を含めた盛岡最強の座についた。
最強のライバル、アブクマポーロ
岩手で敵なしとなったメイセイオペラは全国制覇のため、遠征を試みる
交流G1の川崎記念が98年の初戦となったが、南関東最強のアブクマポーロに手も足も出ず
4着敗退。この後、ライバルとしてアブクマポーロとは何度も死闘を繰り返すこととなる。
地元のレースを勝利し、再度遠征、帝王賞に駒を進めるが、ここでもアブクマポーロの
3着と雪辱ならずだった。しかし、中央馬を相手に互角以上にやれていることも事実で
ここからメイセイオペラのさらなる快進撃が始まるのであった。

ライバルへの雪辱
地元岩手のレースでは中央馬だろうとまったくの敵なし、メイセイオペラは中央交流レースも含め連勝、そして地元の交流G1南部杯に駒を進める。今まで挑戦する立場のメイセイオペラだったが、今度はライバルアブクマポーロが盛岡に遠征してきたのである。地元の期待を受け、負けられない一戦でメイセイオペラは見事にライバルへ雪辱を果たし、初めてのG1制覇を飾る。
しかし、次走東京大賞典では、今度は迎え撃つアブクマポーロに歯が立たず2着。それでも中央の馬には先着しているので、立派な成績と言えるだろう。

中央G1レース制覇
1999年、初戦に選んだのは、中央のG1レースフェブラリーSだった。
ライバル、アブクマポーロは川崎記念へ進んだため、中央のG1レースとは言え、十分勝負になるレースだった。メイセイオペラは2番人気に支持され、直線鋭く抜け出すと後続に2馬身差をつけ優勝。地方所属馬による初めての中央G1レース制覇となった。
水沢から大挙押し寄せたファンたちは歓喜に沸き、鞍上の菅原に対する「イサオコール」が鳴りやまなかった。

故障、そして引退
中央のG1レースを勝ったとはいえ、ダート最強の名を称するにはアブクマポーロを倒さなければいけない。しかし、アブクマポーロは故障で引退、ライバル不在となったメイセイオペラは年末まで連勝街道をまっしぐら、しかし、年末の東京大賞典で1番人気ながら、11着に敗れると、フェブラリーSも4着敗退、帝王賞も11着、その後故障を発生し、引退を余儀なくされる。決して早熟の血統では無く、これからさらに強くなる可能性があっただけに惜しい引退であった。

その後の地方馬
メイセイオペラが引退した後、地方所属のままで中央のG1レースを勝利した馬はいない(2016年2月現在)アジュディミツオーやフリオーソ、さらに中央のクラシックレースを沸かせたコスモバルクがいたが、G1には手が届いていない。メイセイオペラがどれだけの偉業を果たしたかがよくわかる。ハルウララのように別の意味で沸かしてくれる馬もいたが、やはり競走馬は強くてなんぼの世界である。ダートグレードがだいぶ整備された今、中央馬をなぎ倒す強い地方馬が出てきてほしいものである。


引退後、韓国へ
メイセイオペラは引退後、種牡馬となるが、父を超える産駒は生まれず、韓国の地で種牡馬生活を送ることとなる。そこでは活躍馬を出し、重宝されているとのことである。韓国から遠征をしてくるメイセイオペラ産駒をぜひ見てみたいものである。

プロジェクトX
メイセイオペラの快挙は、あのNHKのプロジェクトXにて取り上げられた。
DVD化はされていないが、書籍や動画サイトなどでその雄姿を拝むことができる。
語り継ぎたい名馬
メイセイオペラは地方所属のまま中央のG1レースを制覇した唯一無二の馬である。他にも素晴らしい成績の馬は幾多もいるが、メイセイオペラの成し遂げた偉業というのは、地方競馬ファンにとっても中央競馬ファンにとっても語り継いでいきたい、そんな気持ちにさせるのである。