
ライスシャワー
ダービーで本格化
ライスシャワーのデビューは2歳の夏と比較的早いデビューだった。
晩成のステイヤーというイメージがあるので意外かもしれないが
2歳のオープン特別芙蓉ステークスに勝利している。
実はこの勝利で賞金を稼いだことが後々活きてくるのである。
その後、一度も3着にも入れないまま日本ダービーを迎える
思えば2歳の芙蓉ステークスに勝利していなければ、賞金が足りず
除外は確定的だっただろう。
近走不振のライスシャワーは16番人気のまったくのノーマークな存在であった。
しかし、その低評価を覆すように2着入線し、1着で1番人気のミホノブルボンとの
馬連は万馬券であった。
ミホノブルボンの三冠を阻止
ダービーで2着になったライスシャワー
秋はセントライト記念、京都新聞杯と続けて2着に好走する。
ダービーがフロックでないことを証明した。
そして迎えた菊花賞、圧倒的人気は無敗の三冠馬に挑むミホノブルボン
ライスシャワーは離れているとはいえ、2番人気、ダービーに比べれば
大きく支持を伸ばした結果だった。
誰もがミホノブルボンが無敗の三冠馬になることを期待する中
最後の直線であっさりと交わしていったのがライスシャワー
目標を決めて、きっちりと仕事をする。鞍上の的場均に導かれ
先頭でゴール板を駆け抜ける。
ミホノブルボンは無敗の三冠馬になれず、結果、このレースが
最後のレースとなった。
そして、ライスシャワーのステイヤーとしての素質が
淀の舞台で開花したのであった。

メジロマックイーンの三連覇を阻止
菊花賞制覇後、有馬記念を経て、年明け2戦目の日経賞を快勝し
ライスシャワーは春の天皇賞に出走する。
菊花賞のミホノブルボンと同様、ここでも大きな壁が立ち塞がる。
現役最強馬メジロマックイーンである。
しかもメジロマックイーンは春の天皇賞を連覇しており
前走も休み明けながら、圧勝、ミホノブルボン以上に
手強い相手といっていいだろう。
しかも鞍上の武豊は春の天皇賞を四連覇しており
ここを勝てば、メジロマックイーンは同一G1を三連覇
武豊は五連覇となる。これは1993年のことだが
2016年現在も中央競馬ではこの記録は達成されていない。
ここでもこの記録達成に皆は期待を寄せた。しかし
ライスシャワーは直線、メジロマックイーンを交わし、そのままゴールを
駆け抜ける。ミホノブルボンの大記録に続いて、今度は
メジロマックイーンの大記録も阻止をした。
関東の刺客と呼ばれたライスシャワーはこの時はまだヒールなイメージが
強かったのである。的場騎手もそんなライスシャワーのキャラクターに
ぴったりで、まさに名コンビであった。
長きに渡る不振
古馬のチャンピオンとなったライスシャワーだったが、この後
長いトンネルに入ることとなる。
秋は4戦全敗、翌1994年春は日経賞で2着に入るも
その後、故障してしまい、休養を余儀なくされる。
休み明けで挑んだ有馬記念は3着と好走するが
翌1995年の京都記念、日経賞は格下相手に
掲示板にも乗れず、敗退。
もう、ライスシャワーは終わってしまったか?
その答えは次走、春の天皇賞にあった。
4角先頭の奇襲
ライスシャワーは2年ぶりに春の天皇賞に駒を進める。
思えば、2年前にこのレースに勝利をしてから、勝ち星をあげていない
しかしながら、3000メートル以上のレースは2戦2勝と負けがない
しかも、古馬の王者であるナリタブライアンは故障で休養中のため
他にG1馬もおらず、比較的、手薄なメンバー。
そんなこともあってか、近走不振のライスシャワーでも4番人気という
支持であった。
レースは3コーナーからロングスパートをしかけたライスシャワーが
最後の直線で迫るステージチャンプを振り切り、1着でゴール板を駆け抜ける。
見事に復活勝利を遂げたライスシャワー、そして淀の舞台で
G1レース3勝目をあげたのであった。
ライスシャワーの3コーナーからのスパート
メジロマックイーンやミホノブルボンをマークして勝つという
レーススタイルではなく、自分から勝ちにいくレースをした。
刺客ではなく、主役のレースだった。

杉本アナウンサーの実況
明らかにライスシャワーを応援している。
4コーナー先頭の「あー、やっぱりこの馬は強いのか」
「おそらくメジロマックイーンもミホノブルボンも喜んでいるでしょう」
などの名言がいくつもの炸裂しています。

ゴール後の的場コール
一人の魂がこもった的場コールが聞こえてくる。
この人はライスシャワーの馬券をいくら買ったのか今でも気になる(笑)

運命の宝塚記念
天皇賞を制覇したライスシャワーは休養する予定であったが
宝塚記念のファン投票で1位に選ばれたこと
阪神大震災の影響で普段は阪神競馬場で行われる同レースは
ライスシャワーが得意とする京都競馬場で行われること
今後の種牡馬価値を考えると中距離タイトルが是非とも欲しいことなどもあり
宝塚記念へと出走する。
メンバーも手薄で十分な勝機あり
ライスシャワーは後方からレースを進める
悲劇は3コーナー手前で待っていた。
京都競馬場に悲鳴が上がる。
ライスシャワーはレース中に故障を発生
その場で安楽死という悲劇的な結末となった。
淀を愛した最強のステイヤーは淀の地で永遠の眠りについた。
1995年の宝塚記念はダンツシアトルが勝ったレースではなく
ライスシャワーの悲劇が起こったレースとして記憶に残ることとなった。
ライスシャワーの死の影響
優駿の門のアルフィーが日本ダービーで死亡したのはライスシャワーの宝塚記念を見て、作者が決めた
記念碑の建立
京都競馬場には記念碑が建てられ、今でもファンが後を絶たない

京都競馬場に行けば、ライスシャワーの記念碑を見ることができる。
ぜひ、京都競馬場を訪れた際は訪ねてほしい、死後20年経つ今でも
にんじんが後を絶たないのは、彼がそれだけ、愛されていたということである。