千代の富士って?
たしかに筋肉質で力士としては細身でした。
こんな体の男とぶつかって無事ではすまないなって思います。
ライバルは?
ライバルといえば隆の里俊英でしょう。
横綱になった後は幾多の名勝負を繰り広げました。
ある意味ではスピードの千代の富士、パワーの隆の里と分かれ、このころは非常に相撲が面白かったでしょうね。
エピソード
「幕内経験をもつ最若年者」と言われるほど入幕は早く20の時です。しかし恋人の借金があったためプロレス転向も考えたと言われています。
また、一時期はヘビースモーカーでもあり一日3箱吸うほどでしたが、貴乃花の進言により見事禁煙に成功し、大きな体を作ることに成功します。そのとき50万円のライターを川に投げ捨てたそうです。
脱臼癖を抱えており、それが成功につながったとの意見もあります。プロレス転向を思いとどまったのも脱臼癖のおかげです。さらに脱臼を防ぐために筋力トレーニングを行い、あの体が出来上がったというわけです。
本人の優勝31回・53連勝・通算1045勝という大記録の裏側にはライバル不在ともいわれる状況が影響しています。輪島、三重ノ海は、千代の富士が大関昇進決定の頃に引退してしまい、唯一の「天敵」と言われた隆の里も横綱昇進が遅く30の頃だったので、怪我に苦しまされ引退してしまいました。
八百長疑惑などもありましたが、『実力があってガチンコで戦っても勝ち目が無いと相手に思わせられたからこそ、相手の力士も礼金が貰える八百長に応じたということ』とただ単に楽をしたかった?のかとも思わせるエピソードも持ち合わせています。ただ実力は確かだったことは周りの人間の証言で証明されています。
引退へ
そんな千代の富士にも引退の時がきます。
1000勝力士といえど、時代の流れには勝てなかったということでしょう。最後は貴闘力との一戦でした。しかし敗北してしまい、引退することとなってしまいました。「ウルフ、辞めるときはスパッと潔く辞めような。ちんたらチンタラと横綱を務めるんじゃねえぞ」と当時の九重親方に言われ、千代の富士はその言葉を守っての引退となりました。当時からかなり大きく九重親方を信頼していたんでしょう。
「体力の限界」の一言はあまりに衝撃的ですね。この引退の言葉はよく真似されたりと意外な反響もありました。
ウルフがあまりにカッコよく引退したため今でも真似する人がいる始末。
これからも九重親方として相撲界を盛り上げてくれるでしょう。