天馬の父を持つ馬
デビュー戦、そして敗北
デビュー戦後に出走したひいらぎ賞では負けてしまうんですね。
しかし、当初は先行を予定していたが、出遅れてしまったために追い込みで勝負するしかありませんでした。それが次からの試合につながることとなりました。「あいつのことが分かった気がするんだ」と吉永騎手が妻に嬉しそうに話したというエピソードもありますし分かったとはまさにその脚に気がついた。ということでしょう。
結果としてこの敗北があったからこそ、ミスターシービーは歴史に名を残すことになったんでしょう。
才能の開花〜G1の制覇
追込馬としての才能が開花したミスターシービーに敵はありませんでした。
迎えた皐月賞、当日は追込馬は絶対不利の泥まみれの馬場だったと言います。ライバルと言われていた相手はメジロモンスニー、相手はカツラギエース、ニホンピロウイナーなど歴史に名を残す名馬たちでした。しかし、ミスターシービーはこのレース、徐々に追い上げメジロモンスニーを半馬身差で抑える走りを見せます。
不良馬場での決行でしたが、問題なく勝利を手に掴みました。
そして2冠~3冠
続くダービーでは父トウショウボーイの雪辱が掛ったレースに挑みます。ミスターシービーは1.9倍の超一番人気、しかしミスターシービーはいきなり出遅れてしまう。しかし吉永騎手は慌てることなく1コーナーをに21頭中18番目で入って行った。ダービーポジション完全無視です。ありえないレース運びに場内は大きくざわめいたと言います。しかし3コーナー過ぎから徐々に上がって行き、直線では早々に先頭。おいおい、こんな乱暴なレース運びに多くのファンはハラハラ。しかし、メジロモンスニーの追い込みなんてまだまだと言わんばかりの強さで圧勝した。
ミスターシービーも夏に蹄を傷め、夏風邪を生じて調整が遅れてしまい京都新聞杯では期待を裏切る4着に敗れてしまう。「やっぱり三冠馬は無理か」多くのファンはこの時点で伝説を諦め始めていたと言います。京都新聞杯の勝ち馬はカツラギエースであり、調整不足だった事を考えれば悲観するほどの内容では無かったのではないでしょうか。
そして菊花賞。前走よりも人気を落としたとはいえ、一番人気のミスターシービー、心を惹きつきます。。
なんと、スタートから最後尾を追走する形となりました。裏切りますミスターシービー。2コーナーをシンガリで通過。京都競馬場の3コーナーの坂の上り、シービーは大外を通って一気に先頭に並び掛けてしまいます。
京都の3コーナーからの上り下りは「ゆっくり上り、ゆっくり下る」のが常識のはず。しかしシービーは下りでは早くも先頭。直線で20頭の追い込みを受けて立つ事となった。しかしシービーの脚は衰えを見せない。「大地が、大地が弾んでミスターシービーだ!」「史上に残る、史上に残るこれが三冠の脚だ!」杉本清アナウンサーの名言も飛び出す。
結局3馬身差をつけてミスターシービーが優勝。
さすがミスターシービーと思わせます。
気性の荒さなど問題無しといった感じですね。
栄光の4冠〜そして伝説へ〜
実は蹄の具合が思わしくなく休養を長く取っており、毎日王冠が実に11ヶ月ぶりのレース参戦となりました。このとき一番人気はサンオーイでしたが、推定33.7秒という3ハロンタイムを叩き出します。
そして迎えた天皇賞(秋)ミスターシービーは当然のように一番人気。
レースでは最後方で追走を行い、不安を煽ります。直線を向いてもまだ後方。しかしミスターシービーは直線の真ん中から猛然と追い込み始めます。桁違いの脚で、カツラギエースやデュムナムキングを抑えてゴール。なんと1分59秒3はコースレコード。
確かに4冠馬は他にもいますが、ミスターシービーほど記憶に残る馬はいないでしょうね。レース展開は毎回読めない。一気に外からでも中からでも脚をぶっこむ。しかも圧倒的な脚で他を寄せ付けず。って感じでまさに「すごい」の一言です。