「セダン」から「ステーションワゴン」「RV・SUV・クロスオーバーSUV」「ミニバン」へ転換が進んだ90年代

「セダン」から「ステーションワゴン」「RV・SUV・クロスオーバーSUV」「ミニバン」へ転換が進んだ90年代

90年代の幕開けは「ステーションワゴン」と「RV・SUV」から始まり、ワゴンブームの立役者である「スバル・レガシー・ツーリングワゴン」や本格的なSUVの「三菱パジェロ」の人気は高まり、後続のワゴンやSUVも続々と登場しました。トヨタの「エスティマ」やホンダの「オデッセイ」などのミニバンも大ブレイクしました。クロスオーバーSUVの「ホンダ・CR-V」も登場しました。その一方セダンなど保守的なモデルは低迷していきました。セダンはほんとに少なくなりましたね。


社会的現象を巻き起こしたワゴンブームの立役者『スバル・レガシー・ツーリングワゴン』

初代『スバル・レガシー・ツーリングワゴン』 (1989年2月~1993年9月生産モデル) ステーションワゴンのブームの基礎を作ったモデル 

1989年10月にスバル・レガシィツーリングワゴンに「GT」グレードが追加されたことや、輸入車であるボルボ・850エステートが爆発的な人気を得たことから、ステーションワゴンはライトバンと違い、セダンと同等かそれ以上の機能・性能を備えるものという認識が定着し、各社ともこの動きに追従する形でステーションワゴンの「洒落たレジャーヴィークル」への脱皮をはかり、日本にステーションワゴンのブームが到来する。
(出典:Wikipedia「ステーションワゴン」)

初代『スバル・レガシー・ツーリングワゴン』 1989年2月~1993年9月生産モデル

二代目『スバル・レガシー・ツーリングワゴン』 (1993年10月~1998年5月生産モデル) レガシィ人気を不動にしたモデル 

二代目『スバル・レガシー・ツーリングワゴン』 1993年10月~1998年5月生産モデル

三代目『スバル・レガシー・ツーリングワゴン』(1998年6月~2003年4月生産モデル) 2Lミドルクラスのワゴンの大ヒットモデル

三代目『スバル・レガシー・ツーリングワゴン』 1998年6月~2003年4月生産モデル

1990年代のステーションワゴンブームの火付け役『ボルボ・850エステート(ステーションワゴン)』

1990年代に人気を博したボルボのステーションワゴン「850エステート」。ボルボ・カー・ジャパンがレストアを施した個体の試乗を通し、スクエアなデザインが特徴だった“古き佳き時代”のボルボの魅力に触れた。

1990年代のステーションワゴンブームの火付け役『ボルボ・850エステート(ステーションワゴン)』

ボルボ・850エステート(ステーションワゴン)

多人数乗車を目的とした「乗用車」の1982年8月発表の「日産・プレーリー」や1983年2月発売の「三菱・シャリオ」が日本でのミニバンの始祖といわれる

リバティ(LIBERTY )は、日産自動車が販売していたワゴン型のミニバン。設計、開発の一部と生産は日産車体が担当していた。「リバティ」は、「プレーリー」のモデルチェンジに際し、車名が変更されたものである。近隣諸国への輸出も多く、それらのネーミングは「プレーリー」のままであった。

当時荻窪にあった旧・プリンス自動車の開発拠点でオースター / スタンザをベースに開発された車種であり、開発主管は初代マーチ(K10型)、レパード(F31型)、ローレル(C32型)、スカイラインR31(7th)・R32型の開発主管を務めた旧プリンス出身の伊藤修令である。

現在、実質の後継車であるラフェスタと競合するトヨタ・アイシスは、片側のみセンターピラーレス構造を採用しているが、初代M10型プレーリーは、両側共にセンターピラーレス構造をいち早く採用し、ベンチシート、3列8人乗り、回転対座などのシートバリエーションを実現していた。VN10型パルサー・バンから転用された、トーションバー・スプリングを横置きに配置することでスペース効率を向上させたトレーリングアーム式サスペンションによって当時としては画期的な超低床レイアウトを実現していた。この超低床を生かす事で小さな外観にそぐわない広い空間を5ナンバーサイズ内に構築し、日本流ミニバンの始祖的存在であった。前席のシートベルトリトラクターは左右フロントドアに内蔵された。

当時はミニバンというジャンルが存在しておらず、デビュー時のキャッチコピーも「びっくり BOXY SEDAN」と、新しいタイプのセダンという位置付けで、いわゆるミニバンタイプである3列シートのJW系(JW、JW-L、JW-G)のほかに後席を折りたたむことで広いラゲッジスペースを得ることができる2列シートのRV系(RV、RV-S)、同じく2列シートながらRV系に比べ前後シートの間隔を広げたうえ、シートバックの厚みをたっぷりとった固定式シートを採用した、リムジン感覚をうたったSS系(SS-G)、さらには商用車のNV系(3人乗り、3 / 6人乗り)という4タイプのワイドバリエーションをそろえていた。搭載するエンジンは直列4気筒 OHCのCA18S型とE15S型。
(出典:Wikipedia「日産・リバティ」)

ミニバンの始祖「日産・プレーリー」(現在の名称は「日産・リバティ」)(1982年8月発表)

シャリオ(CHARIOT )・シャリオ グランディス(CHARIOT GRANDIS )は、1983年から2003年まで三菱自動車工業が製造・販売していたミニバン。

1977年に開発を開始、1979年にはSSW(スーパースペースワゴン)として第23回東京モーターショーに出品された。 プレーリーと並んでミニバンの先駆けといわれたクルマである。
1997年以前のモデルがシャリオ、1997年から2003年までのモデルがシャリオグランディスである。2003年に登場した後継車はグランディスとシャリオのネームを外した。

初代は1983年2月23日に発表された。 駆動方式は発売当初はFFのみであったが、後にパートタイム4WD、さらにはビスカスカップリング式フルタイム4WDとなった。 2ボックスボディに3列シートという、当時は類を見ないタイプのクルマであったため、1982年に発売されたプレーリーや1983年に発売されたクライスラー・ボイジャーなどと並んで「ミニバンの嚆矢」と呼ばれている。 本車はトレディア(初代ミラージュの姉妹車)をベースに開発された[2]。車格としては2000年に登場したディオンに近い。
初代モデルはRVブームやバブル景気と相まって、8年間のロングサイクルモデルとなった。
また、4WDが発売された1984年にファラオラリーへ参戦、ガソリン4WD無改造クラスにてクラス優勝した。
(出典:Wikipedia「三菱・シャリオ」)

日産・プレーリーと並んでミニバンの先駆け「三菱・シャリオ」(1983年2月発売)

ミニバンブームの礎を作った『マツダ(アンフィニ)・MPV』

初代「マツダ・MPV」(1988年 - 1999年)

MPV(エムピーブイ) はマツダが製造・販売するMPV(Multi Purpose Vehicleの略でミニバンの同義語)型の普通乗用車である。同社のロードスター同様、自動車のスタイルの呼称をそのまま車名に用いている車種である。なお3代目から日本国外向けの車名がマツダ8(Mazda 8 )となった。

駆動方式はFR。プラットフォームはルーチェ用のマツダ・LVプラットフォームをベースにしているが、リアサスペンションは固定軸式である。ちなみにリアドアの窓は固定式だった。変速機は後に追加される多くのグレードも含めてコラム式4速オートマチックのみであった。
日本仕様は当初、エンジンはV6・3000ccの本革仕様のみで車両本体価格は355万円。モノグレードでボディカラーも1色のみで通常設定とツートン設定のみだった。マツダはミニバンとは呼ばず、「新しいカテゴリーの多目的高級サルーン」と呼んでいた。
(出典:Wikipedia「マツダ・MPV」)

マツダ・MPV 初代 LV系(1988年-1999年)

二代目「マツダ・MPV」(1999年-2006年)

この代から駆動方式がFFとなる。先代まで存在してたスイングドアは両側スライドドアとなり、エンジンは新開発の直4・2,000ccとフォード製のV6・2,500ccをラインアップした。プラットフォームはマツダ・LWプラットフォームを採用。セカンドシートにはベンチにもキャプテンにもなるKARAKURIシートが採用された。サードシートは床下格納式である。グレード体系は2.0Lの標準車と2.5Lの「Gパッケージ」・「スポーツパッケージ」・「Lパッケージ」の計4タイプとなった。
(出典:Wikipedia「マツダ・MPV」)

開発主査を手がけた丸本明は、2代目発表同時に品質担当補佐と商品品質本部長へ昇進するとともに、マツダとしては史上最年少となる41歳(当時)にして取締役に就任した。

マツダ・MPV 2代目 LW系(1999年-2006年)

ミニバンの代表的な車種『トヨタ・エスティマ』

初代「トヨタ・エスティマ」(1990年5月 - 1999年12月)

エスティマ(ESTIMA )は、トヨタ自動車、トヨタ車体が1990年から生産する高級ミニバンである。
初代はトヨタ自ら「天才タマゴ」というキャッチコピーを用いており、卵型の丸みを帯びた外観が印象的であり、ミニバンを代表する車種である。

「初代トヨタ・エスティマ」
1989年に幕張メッセで初開催された第28回東京モーターショーにコンセプトモデルとして出展。「動くカットモデル」の展示は大きな話題となった。

それから約半年後の1990年5月12日に市販化され、その卵をイメージさせる未来的なスタイルで「高性能ニューコンセプトサルーン」として注目を集めた。

従来のワンボックスカーでは前輪前・運転席下に位置しているエンジンを、横に75°寝かせることにより平床化に成功、前輪も運転席の前方に置くことにより、世界にも例を見ないアンダーフロア型ミッドシップレイアウトが採用され、ミッドシップ=2シーター、実用性に欠けるという常識を覆した。

元々のコンセプトは、当時トヨタが開発中であった2ストローク「S2」エンジンを搭載した新時代のMPV(マルチパーパスビークル)というものであり、このエンジンのおかげでエンジンルームをコンパクトにまとめられる目算であったが、排ガス対策の解決ができずエンジン開発に失敗したため、急遽ハイエースの部品を流用した一般的な直列4気筒2.4リットルエンジンを傾斜搭載することで、何とか日の目を見ることができた。

商用グレードを用意しない独立モデルであり、サスペンションも前軸はマクファーソンストラット式、後軸はダブルウィッシュボーン式の4輪独立懸架を採用。発売当時はモノグレード体系・7人乗りの1種類のみで、駆動方式はミッドシップと四輪駆動。サスペンションも前がストラット式サスペンション、後がダブルウィッシュボーン式サスペンションの4輪独立懸架を採用。搭載されたエンジンも2TZ-FE型・直列4気筒2438cc(135馬力)の1種類であった。

驚きを持って迎えられたエスティマではあったが、横幅が5ナンバー(小型乗用車)サイズに収まるキャブオーバー型ミニバンが主流だった(この当時は、1991年6月発売のバネットセレナが人気を博していた)、当時の日本では、対抗馬としてのエスティマは大柄で高価(296.5万円 - 335万円)すぎたため、また北米市場(アメリカ・カナダ)では2.4リットルエンジンが非力、ヨーロッパ市場では高価だという理由で支持を得られなかった。

なお日本国外では「プレヴィア」(Previa )として販売された。競合他車がV型6気筒エンジンを搭載する中で、エンジンパワーで劣るエスティマは価格に比して静粛性、ひいては高級感に劣ると評された。
(出典:Wikipedia「トヨタ・エスティマ」)

初代「トヨタ・エスティマ」(1990年5月 - 1999年12月)

二代目「トヨタ・エスティマ」(2000年1月 - 2005年12月)

2代目は2000年1月6日に発売された。目標月間販売台数はTとL合わせて6,000台。
後にヨーロッパ市場向け(プレヴィア)とオセアニア向け(プレヴィアもしくはタラゴ)も発売されたが、北米向けは発売されなかった(初代を参照)。また、エミーナ/ルシーダは、本モデルに統合された。

卵型の丸みを帯びた車体を踏襲しつつも、ミッドシップエンジンを改めカムリをベースとしたFF(前輪駆動)に変更となり、更に乗用車のイメージが強くなった。駆動方式をFFに変えたため、エンジンの大型化が可能となり、エンジンラインナップはV型6気筒2,994ccが先に登場し、2ヶ月遅れで加わった直列4気筒2,362ccの2本立てとなる。2001年6月にはハイブリッドモデルが追加された。

車体寸法は初代とほぼ同一であったが、駆動方式の変更による低床化により着座位置を下げヘッドクリアランスに余裕を持たせるなど室内スペース減少は最低限に抑えたと共に居住性を向上。また、このモデルより両側スライドドア、センターメーターを採用。スライドドアに関しては、一部グレードで電動化された。

初代エスティマが失敗で終わったことでの反省を踏まえ、様々な改良を加えた結果、販売面ではカローラ、ヴィッツに次ぎ、2000年新車乗用車販売台数第3位(約12万2400台)と初代の雪辱を果たす大ヒットを記録。その後も勢いは衰えず、3代目へモデルチェンジした後も中古車市場において人気モデルとなった。
(出典:Wikipedia「トヨタ・エスティマ」)

二代目「トヨタ・エスティマ」(2000年1月 - 2005年12月)

クロスオーバーSUV「トヨタ・RAV4」(1994年5月発表)

RAV4(ラヴフォー)は、トヨタ自動車で生産されているクロスオーバーSUV。

モノコック構造の乗用車をベースにした、オフロード車「クロスオーバーSUV」の先駆となった車種である。RAV4の成功を受け、他社もCR-V(本田技研工業)、エクストレイル(日産自動車)、フォレスター(スバル)などのクロスオーバーSUVを製造するなど、クロスオーバーSUV市場に大きな影響を与えた。なお、RAV4の登場に先んじて日本市場ではエスクード(スズキ)が販売されていたが、エスクードはオンロード性能や乗り心地にデザインやサイズはRAV4のクロスオーバーSUVと似ているものの、本質的には堅牢なラダーフレーム構造を持つ本格クロスカントリー車であるという点で異なる。
初代RAV4は、本国の日本でいう「5ナンバーサイズ」に収まるコンパクトなサイズのクロスオーバーSUVであったが、主に北米市場の要求から、モデルチェンジのたびにボディサイズを拡大、2代目以降3ナンバーサイズとなった。

主要市場の欧米においては他の同社製SUVよりもコンパクトなサイズとなっている。生産はトヨタ自動車高岡工場と、グループ会社の豊田自動織機である。

その後RAV4は、世界中で販売台数を延ばしており、欧州全域・北米・南米・オセアニア・中国・東南アジア・南アフリカなど、世界200か国以上で使用される世界戦略車である。

1989年の東京モーターショーにRAV-FOURとして出展し、4年後の1993年の東京モーターショーにプロトタイプが披露された後、1994年5月に発表。
カローラ、セリカなどのコンポーネンツを流用しながらも、フロアパネルは独自に起こされ、リアサスペンションも鍛造リンクを用いた仮想球面支持の専用品となるなど、オン・オフ両面の性能追求のため、惜しみなく技術が投入されることとなった。
パワートレーンは直列4気筒 2.0L 3S-FE型 ガソリンエンジンとトランスミッションを横置きに搭載し、ドライブトレーンには国産車では数少ないベベルギア式のセンターデフを持つ本格的なフルタイム4WDである。
CMキャラクターには木村拓哉が起用された。
(出典:Wikipedia「トヨタ・RAV4」)

クロスオーバーSUV「トヨタ・RAV4」

クロスオーバーSUVは CUV (Crossover Utility Vehicle) またはCrossをXと表記してXUVとも表記される。「クロスオーバー・ビークル (Crossover Vehicle) 」という考え方が米国で1990年後半に形作られる。 これは「異なる種別の車を混ぜ合わせた」という意味で直訳で「クロスオーバー車」ともいわれ、また、英語でも略してCrossoverのみでも使用される。この意味では、車輌製作側の概念上、特にSUVに限らず、多くは試作車として「クロスオーバー・ビークル」が作られていた。これらは『ハイブリッド・ビークル』と呼ばれることもある。その中で市場に最も受け入れられたもの、つまり販売可能なものが「SUVと乗用車とのクロスオーバー車」だった。これがクロスオーバーSUVである。 2006年時点で、米国では「SUV」という用語がすでに30年以上にわたって使用され、カテゴリー用語として定着した一方で、消費者の心をつかむためのマーケティング用語としては陳腐化も起こっている。 1990年代末から、SUVに対する安全性への指摘がなされ、SUV批判が起こったが、まだ有識者の間でのみだった。しかし、2003年末から起こったガソリン価格の高騰は1ガロン=2ドルを超え、3ドルに達する。高騰が長引くにつれ、燃費の悪いSUVの販売は落ち込む。 SUVブームの中心にあり、ブームを自身で推し進めていた米国の2大メーカー、GM、フォードはこの10年間の収益の軸をSUVにおいていたため、SUVの販売落ち込みは会社の経営に影響した。そのため、特に両社では、SUVのマイナスイメージに引きずられないよう、クロスオーバー系の車両にかかわらずマーケティングにおいてSUVを想起させないアプローチがなされはじめている。つまり、SUVという言葉を使わない方向に向かいつつある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BCSUV

クロスオーバーSUV - Wikipedia

ミニバンブームの火付け役『ホンダ・オデッセイ』 (1994年10月21日発売)

オデッセイ(Odyssey)は、本田技研工業が生産、販売する上級ミニバンである。

1994年に初代モデルが発売され、現行型は5代目である。ホンダが提唱した「クリエイティブ・ムーバー(生活創造車)」の第1弾として発売された初代から現在までヒットを続けており、ホンダの基幹車種のひとつに位置付けられている。

当時のホンダは、いすゞ自動車からビッグホーンのOEM供給を受けホライゾンとして細々と販売していた程度で、「RV車を持っていないのが致命的」と言われるほどセダン・クーペ以外の車種展開に出遅れ、業績が低迷していた。

そんな中、開発費の厳しい制約からアコードのプラットフォームを用いて開発を行ったオデッセイは、発売間もなく業績を回復させるほどの大ヒットとなり、同時期に販売されていた他社の類似車種と共にミニバンブームの火付け役となった。

ボディサイズをアコードと同じ生産ラインに流せる限界のサイズとし、当時のワンボックスカーでは常識であった後席スライドドアを採用できなかったことが逆に従来の多人数乗用車にない感覚を生み、日本での大ヒットに繋がったとされる。

乗用車ベースのミニバンとしてセダン同等の運動性能を持つほか、3代目以降は「低床」「低重心」をキャッチコピーとし、なおかつセダンよりも広い室内空間を売りにしている。また、初代 - 4代目までは一般的なセダン型乗用車と同様、前ヒンジドアを採用していたが、5代目モデルでは更なる低床化と車高アップに伴い、両側スライドドアに変更された。

3列目シートの床下収納機構がシリーズ通しての特徴で、3代目では電動格納式(一部グレードに標準装備またはオプション設定)のものも採用されていた。

1994年10月20日に発表された(発売は翌10月21日)。
発売当初の月販目標台数は4,000台程度と控え目であったが、予想外の大ヒットにより、後に生産ラインも増強された。当時のミニバンにはない独特な乗用車的プロポーションが特徴であった。シフトレバーは、コラムシフトを採用し、前席から後席へのウォークスルーを可能にしていた。

エンジンはF22B型のみの設定で、アコードに設定されていたVTEC仕様は後のマイナーチェンジの際に採用された。トランスミッションは「プロスマテック(TYPE II)」と呼ばれる4速ATが搭載された。増加した車重に対して最終減速比を高めたため、エンジン回転数は若干高めであり、以後のモデルに対して燃費が劣る。

ホンダの同排気量クラスの車の中では珍しく、タコメーターが標準装備されなかったため、発売開始から半年後に純正オプションとして用意された。グレード体系は「B」・「S」・「L」の3グレードで、「B」は7人乗り仕様のみ、「S」と「L」は6人乗り仕様と7人乗り仕様が選べる。

それまで、排気量2L以上の3ナンバー普通自動車クラスの販売台数では、長年の首位を維持していたトヨタ・クラウンを抜き去り、1995年には、12万5,590台の販売台数を記録。1994年には日本カー・オブ・ザ・イヤーの特別賞を、1995年にはRJCカー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。ヒットを後押ししたのはハード面だけでなく、当時、映画化された「アダムスファミリー」の出演者を総動員した販売戦略としてのソフト面での成功もある。
(出典:Wikipedia「ホンダ・オデッセイ」)

ミニバンブームの火付け役「ホンダ・オデッセイ」(1994年10月21日発売)

クロスオーバーSUV「ホンダ・CR-V」(1995年10月9日)

CR-V(シーアール-ブイ)は、本田技研工業が生産・販売しているミドルサイズのクロスオーバーSUVである。

初代・2代目はシビックのプラットフォームを基に開発されたが、3代目からは北米専用車種アキュラ・RDXなどと共通のグローバル・ライトトラック・プラットフォームを使用し、18インチタイヤの装着を前提にした最適設計を行った結果、アコードと並ぶ動力性能を手にしたと言われる。いわゆる乗用車ベースのエンジン横置きSUVである。なお、全モデルで共通して全幅が1,700mm以上あるため、3ナンバーボディとなる。

駆動方式は基本的に4WDであるが、一部FFもある。高い最低地上高によって道路状態の劣悪な災害地でも走破性を発揮できることやコストパフォーマンスの良さなどから、献血供給事業団の血液搬送車のベース車両として多く採用されている。

1995年10月9日にオデッセイに続くクリエイティブ・ムーバーシリーズの第2弾として登場。後に登場するオルティアとエンジン、シャシー、プラットフォームを共用している。
当初はSUVでありながら、全車コラムAT車のみの設定で、乗用車としては珍しいステッキ式パーキングブレーキを採用、前後ウォークスルーも可能であるなど、悪路走破性よりも居住性、実用性を重視したモデルであった。さらに、オフロードに重点を置いたフレーム式の本格SUVとは異なる都会的でスタイリッシュなエクステリアデザインや、その居住性、そして何よりも低廉な価格が評価され、当初は納車まで最長3ヶ月待ちとなる程の好セールスを記録した。

後に追加されたMT車はフロアシフトとされ、駐車ブレーキもサイドレバー式となったため、ウォークスルーに適しているのはAT車である。
(出典:Wikipedia「ホンダ・CR-V」)

ミドルサイズのクロスオーバーSUV「ホンダ・CR-V」(1995年10月9日)

人気のミニバン「ホンダ・ステップワゴン」 1996年5月8日発表(発売は5月10日)

ステップワゴン(Step wgn)は、本田技研工業が生産、販売するミニバン型の乗用車である。1990年代までの日本のミニバンの多くが、キャブオーバータイプのFRレイアウトを用いていた中、FFレイアウトのボンネットタイプのミニバンである。パッケージングの良さと、価格帯の広さから販売面で成功を収め、他社からも対抗車種の展開がはかられた。

1995年
東京モーターショーに「F-MX」として展示された。

1996年5月8日
クリエイティブ・ムーバーの第3弾として発表(発売は5月10日)。当時、日本のワンボックス型乗用車は商用車ベースで運転席下にエンジンがあるキャブオーバータイプが多かったが、FFレイアウトによる床の低さや四角いシンプルなスタイル、戦略的な低価格などにより一気に人気モデルとなった。

車名は同社のライフステップバンに由来し、英語表記は「STEP WGN」で、タイプ名を「W」「G」「N」とする「お遊び」もあった。

収益率向上のためにコスト低減に関する施策は徹底され、運輸省(現 国土交通省)の型式認定を受ける際の費用を抑える目的で、エンジンをB20B型のみ、トランスミッションをコラム式4速ATのみとそれぞれ一種類ずつに絞り、有限要素法解析(FEM)による使用鋼材の削減、パネル分割の工夫による部品点数とプレス型の削減を従来以上に推し進めた。

その他、車体剛性確保のため右側スライドドアを設けず、フロントドア以外のガラスをスイング式にすること、溶接痕の目隠しとリアコーナー部のシール作業を省略するため、無塗装の太い樹脂モールと大型リアコンビランプで車体の角を覆うことなど多岐に及んだ。その副産物として車重も1,410 - 1,530kgと軽量に仕上がった。

しかし、行過ぎた設計には弊害もあり、車体剛性の低さやそれに起因するステアリングコラムとブレーキマスターシリンダー(バルクヘッド部)の取り付け剛性不足、リモートケーブルの剛性不足とフリクションの大きさ、ノブ自体の質量不足によるATセレクターレバーの操作性(節度感)の悪さなどが指摘された。これらは構成が近いCR-Vにも当てはまるが、両車とも販売が非常に好調であったため、大幅な設計変更や部分的な改善が施された。
(出典:Wikipedia「ホンダ・ステップワゴン」)

「ホンダ・ステップワゴン」1996年5月8日発表(発売は5月10日)

ミニバン「日産・エルグランド」(1997年)

エルグランド(ELGRAND )は、日産自動車が販売するワンボックス型のミニバン。製造は初代と2代目が日産車体湘南工場、3代目は日産車体九州。
日本国内での販売のほか、E51・E52型は香港/マカオとシンガポールにも輸出される。E52型から前後意匠を刷新、また全長・全幅を拡大し2011年からクエスト(RE52型)として米国に輸出開始。

グレードは最上級から7人乗り「X」、8人乗り「V」、最廉価「J」という構成。「X」のみ本革・サプラーレコンビシート、オートスライドドア、電子制御サスペンション「アクティブダンパーサスペンション」がオプション設定され、「J」を除いた全グレードにはツインモニターTV・ナビゲーションシステムがオプション設定された。「V」はミドルグレード、最廉価「J」にはオートクロージャードア、電動格納式ドアミラーなどが装備されていない。スピーカー数も2つである。前後席のウォークスルーを可能にする「スーパーマルチシート」を採用する。

当初は、モーター系(ローレル販売会社)が「キャラバン・エルグランド」(CARAVAN ELGRAND)、プリンス系(スカイライン販売会社)が「ホーミー・エルグランド」(HOMY ELGRAND)と車名が分けられており、エルグランドのエンブレムは、「キャラバン~」が赤、「ホーミー~」が青となっていた。

1997年5月 - キャラバンとホーミーのミニバンタイプとして登場した。
7月 - いすゞ自動車へのOEM供給を開始(ファーゴ・フィリーとして販売、のちにフィリーに車名変更、2002年4月で終了)。

1998年1月 - ラルゴやセレナで人気を博したスポーティーグレード「ハイウェイスター」が設定される。「V」をベースにし、専用メッキグリルやエアロパーツ、本革/サプラーレ/トリコット地の専用シートなどを装備していた。

同時にオーテックジャパンから、当時の日産の社長車として話題となった「ロイヤルライン」がエルグランドをベースとして発売された(4人乗り、新車価格695万円)。
(出典:Wikipedia「日産・エルグランド」)

ミニバン「日産・エルグランド」(1997年)

ミニバン「メルセデス・ベンツ・Vクラス」(1998年)

Vクラス(V-Class )は、ドイツの自動車メーカーであるダイムラーがメルセデス・ベンツブランドで製造・販売しているミニバン型乗用車である。1998年から製造・販売されている。

メルセデス・ベンツのラインナップの中では、1ボックスタイプのミニバンとして唯一の車種であり、3列シートを備え、乗車定員は6名または7名である。同様の多人数乗車可能可能モデルとしては、他にRクラスやGLクラスがあるが、それらとはコンセプトが全く異なっている。

基本は二輪駆動(FFまたはFR)だが、オプションで四輪駆動も選べる(日本仕様には未設定)。後述のように商用車タイプ(ヴィトー)も存在し、ヨーロッパなどでは警察用車両、救急車などにも広く使われている。

初代Vクラスは、メルセデス・ベンツが欧州などで発売している商用車「Vito」(ヴィトー、ヴィート)の乗用バージョンである。日本では1998年に「V230」が販売開始され、1999年に「V280」が追加された。「V280」は2002年に生産中止となり、末期は「V230」のみが販売された。
(出典:Wikipedia「メルセデス・ベンツ・Vクラス」)

ミニバン「メルセデス・ベンツ・Vクラス」(1998年)

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世界が熱狂!葛飾商店街×『キャプテン翼』コラボ「シーズン2」開催!新エリア&限定メニューで街を駆け抜けろ!

葛飾区商店街連合会は、2025年10月10日より『キャプテン翼』とのコラボイベント「シーズン2」を亀有・金町・柴又エリアで開催。キャラクターをイメージした限定メニューやスタンプラリーを展開し、聖地巡礼と地域活性化を促進します。


キン肉マン愛が英語力に!超人たちの名言・名場面で学ぶ『キン肉マン超人英会話』発売

キン肉マン愛が英語力に!超人たちの名言・名場面で学ぶ『キン肉マン超人英会話』発売

人気アニメ『キン肉マン』の「完璧超人始祖編」の名言・名場面を題材にした英会話学習書『キン肉マン超人英会話』が、2025年11月29日(土)にKADOKAWAより発売されます。超人たちの熱い言葉を通じて、楽しみながら実用的な英語表現をインプットできます。TOEIC満点保持者やプロレスキャスターなど、豪華プロ集団が監修・翻訳を担当した、ファン必携の英語学習本です。


【カウントダウン】あと2日!古舘伊知郎&友近「昭和100年スーパーソングブックショウ」いよいよ開催迫る!豪華ゲスト集結の東京国際フォーラムは「昭和愛」で熱狂へ!

【カウントダウン】あと2日!古舘伊知郎&友近「昭和100年スーパーソングブックショウ」いよいよ開催迫る!豪華ゲスト集結の東京国際フォーラムは「昭和愛」で熱狂へ!

開催直前!TOKYO MX開局30周年記念「昭和100年スーパーソングブックショウ」が10月16日に迫る。古舘伊知郎と友近がMC、豪華ゲストと共に贈る一夜限りの昭和ベストヒットに期待高まる!


ギタリスト 鈴木茂「BAND WAGON」発売50周年記念ライブを東阪ビルボードで開催!

ギタリスト 鈴木茂「BAND WAGON」発売50周年記念ライブを東阪ビルボードで開催!

ギタリスト 鈴木茂が、『鈴木茂「BAND WAGON」発売50周年記念ライブ~Autumn Season~』を11月13日にビルボードライブ大阪、16日にビルボードライブ東京にて開催する。今回は、1975年にリリースされた1stソロアルバム「BAND WAGON」の発売50周年を記念したプレミアム公演となる。


【1965年生まれ】2025年還暦を迎える意外な海外アーティストたち!

【1965年生まれ】2025年還暦を迎える意外な海外アーティストたち!

2025年(令和7年)は、1965年(昭和40年)生まれの人が還暦を迎える年です。ついに、昭和40年代生まれが還暦を迎える時代になりました。今の60歳は若いとはと言っても、数字だけ見るともうすぐ高齢者。今回は、2025年に還暦を迎える7名の人気海外アーティストをご紹介します。